福井県坂井市に小高い丘として佇む丸岡城。
現存天守を持つ日本12城の一つであり、その中でも最も古い天守の姿を伝える城として、長く特別な存在とされてきました。
小ぶりながらも質実剛健。
豪壮さではなく、戦国の現実をそのまま封じ込めたような天守――それが丸岡城です。
本記事では、丸岡城の成立背景、戦国史、天守建築の特異性、そして近年の再評価まで、時間をかけて詳しく解説します。
丸岡城の基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 城名 | 丸岡城 |
| 別名 | 霞ヶ城 |
| 所在地 | 福井県坂井市丸岡町 |
| 築城 | 1576年(天正4年) |
| 築城主 | 柴田勝家の甥・柴田勝豊 |
| 城郭形式 | 平山城 |
| 天守 | 現存天守(望楼型・二重三階) |
| 指定 | 国指定重要文化財(天守) |
丸岡城の誕生 ―― 織田政権下の北陸支配
柴田勝家と北陸戦線
丸岡城は、織田信長の重臣柴田勝家が北陸支配の拠点として築かせた城です。
1575年、信長は越前一向一揆を制圧し、勝家を越前国の支配者として配置しました。
丸岡城は、
- 越前平野の北端を押さえる
- 加賀・越中への抑え
という、戦略上きわめて重要な位置に築かれました。
築城主・柴田勝豊
築城を担ったのは、勝家の甥である**柴田勝豊(しばた かつとよ)**です。
天正4年(1576年)、現在の天守を含む丸岡城が築かれました。
この時期は、
- 織田信長が勢力を急拡大
- 各地で実戦的な城が次々と築かれた
まさに戦国城郭の最前線でした。
丸岡城の城郭構造 ―― 小さく、しかし堅固
平山城という立地
丸岡城は、平野の中に独立して盛り上がる小丘陵を利用した平山城です。
- 高さは約30メートル
- 視界が開け、周囲を見渡せる
- 平地からの攻城を困難にする
という、合理的な立地です。
本丸単郭式の城
丸岡城の構造は非常に簡潔で、
- 本丸を中心に
- 最低限の郭を配置
する単郭式に近い構成です。
これは、
- 短期間で築城
- 実戦重視
- 防御の集中
を目的とした、戦国後期らしい思想を反映しています。
現存天守 ―― 最古級「望楼型天守」の姿
望楼型天守とは何か
丸岡城天守は、望楼型天守に分類されます。
- 下層:実戦的な櫓構造
- 上層:見張り台的な望楼
後世の層塔型天守(姫路城など)に比べ、
古式で戦国的な天守形式です。
天守の構造と特徴
- 二重三階(外観二重、内部三階)
- 石瓦葺き屋根
- 白漆喰と板張りの併用
特に注目すべきは、日本最古級とされる石瓦屋根です。
石瓦の理由
- 越前は冬季の積雪が非常に多い
- 瓦屋根では雪の重みに耐えにくい
- 石瓦は重く、風雪に強い
これは、北陸の自然環境に適応した城郭建築の代表例です。
内部構造 ―― “戦う櫓”そのもの
急勾配の階段
丸岡城天守内部の階段は、
- 非常に急
- 幅が狭い
観光客が「怖い」と感じるほどですが、これは敵兵の侵入を防ぐための明確な防御構造です。
狭間と防御設備
- 矢狭間
- 鉄砲狭間
が無数に設けられ、360度防御が可能。
天守というより、巨大な武装櫓に近い性格を持っています。
丸岡城の別名「霞ヶ城」
丸岡城は、**霞ヶ城(かすみがじょう)**とも呼ばれます。
- 春や秋、城が霧に包まれる様子
- 天守が霞の中に浮かぶ姿
から名付けられたとされ、
質実な城に、どこか幻想的なイメージを添えています。
江戸時代の丸岡城 ―― 藩政の拠点へ
関ヶ原の戦い後、丸岡城は徳川政権下に入り、
- 本多氏
- 有馬氏
などが城主を務め、丸岡藩の政庁として機能しました。
戦国期の城を大改修することなく使用し続けたため、
戦国天守の姿がそのまま残ったとも言えます。
天守倒壊と復元 ―― それでも「現存」とされる理由
1948年 福井地震
昭和23年(1948年)の福井地震により、丸岡城天守は倒壊しました。
しかし、
- 部材のほとんどが回収
- 旧材を最大限再利用
- 伝統工法による復元
が行われ、1955年に再建されました。
このため丸岡城は、
「現存天守の部材を用いた復元」
として、現存天守の一つに数えられています。
丸岡城が持つ特別な価値
丸岡城の価値は、
- 最古級の天守形式
- 石瓦屋根という独自性
- 戦国期の実戦思想を色濃く残す
点にあります。
華麗さはありません。
しかしそこには、生き残るための現実的な城づくりが、ありのままに残されています。
丸岡城の見どころまとめ
- 日本最古級の望楼型現存天守
- 北陸特有の石瓦屋根
- 戦国期そのままの内部構造
- 単郭式の簡潔な城郭
- 霞に包まれる幻想的な景観
おわりに ―― 丸岡城は「戦国の化石」
丸岡城は、後世の美意識で磨かれた城ではありません。
それは、戦国という苛烈な時代を生き抜くための、最小限かつ最適解の城です。
急な階段を登り、狭間から越前平野を見渡したとき、
ここが「戦うための場所」だったことを、身体で理解するでしょう。
丸岡城は、
戦国城郭の原点を、今に伝える貴重な存在なのです。


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