長野県松本市の中心にそびえる松本城(まつもとじょう)。
現存天守をもつ日本12城の一つであり、その中でも特に異彩を放つ存在です。
白壁の城が多い日本において、黒漆で覆われた外観は圧倒的な存在感を放ち、「烏城(からすじょう)」の異名で親しまれてきました。
しかし松本城の真価は、その美しさだけでなく、**戦国の緊張感を色濃く残した“実戦的城郭”**である点にあります。
本記事では、松本城の成立史から建築構造、戦国〜江戸初期の政治背景、そして現存天守としての価値まで、深く掘り下げて解説します。
松本城の基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 城名 | 松本城(別名:深志城・烏城) |
| 所在地 | 長野県松本市丸の内 |
| 築城 | 戦国期(1504年頃)/天守完成:1594年頃 |
| 主な築城主 | 島立貞永、小笠原氏、石川数正 |
| 城郭形式 | 輪郭式平城 |
| 天守 | 現存天守(五重六階+月見櫓) |
| 指定 | 国宝 |
松本城の起源 ―― 「深志城」から始まった歴史
戦国時代の前線基地
松本城の前身は、16世紀初頭に築かれた**深志城(ふかしじょう)**です。
当時の信濃国は、
- 村上氏
- 諏訪氏
- 武田信玄
といった勢力が争う、戦国最前線でした。
深志城は、甲斐(武田)と越後(上杉)を結ぶ交通の要衝にあり、軍事的価値の高い拠点でした。
武田氏の支配と城の改修
1550年頃、深志城は武田信玄の支配下に入ります。
武田氏の城郭思想は「防御力重視」であり、
- 堀の拡張
- 土塁の整備
が進められ、後の松本城の原型が形成されました。
天下人に仕えた男 ―― 石川数正と松本城
徳川から豊臣へ寝返った名将
松本城を近世城郭へと一変させた人物が、**石川数正(いしかわ かずまさ)**です。
- 徳川家康の側近
- 1585年、突如豊臣秀吉に出奔
- 秀吉から松本城主に任命
この異例の経歴を持つ数正は、徳川軍制を知る数少ない人物でした。
“徳川対策”としての城づくり
石川数正が築いた松本城天守は、
- 鉄砲戦を強く意識
- 防御と迎撃を最優先
という特徴を持ちます。
これは、徳川家康との衝突を想定していたと考えられており、松本城が「戦う城」と言われる理由の一つです。
松本城の構造 ―― 完成された輪郭式平城
輪郭式とは何か
松本城は、天守を中心に、
- 本丸
- 二の丸
- 三の丸
が同心円状に配置された輪郭式平城です。
山を利用せず、平地に築かれているため、
- 堀の重要性が非常に高い
- 水堀が幾重にも巡らされている
という特徴があります。
水城としての側面
松本城の堀は、周囲の湧水や河川を利用した天然水堀です。
これにより、
- 防御力の向上
- 景観美の創出
を同時に実現しています。
国宝天守 ―― 五重六階の複合天守
天守の基本構造
松本城天守は、**五重六階(地下一階)**構造です。
- 外観:五重
- 内部:六階+地下
この構造は、
- 敵の侵入を混乱させる
- 防御動線を複雑化する
という、実戦的思想に基づいています。
黒漆の外壁 ―― 烏城の由来
松本城の外壁は、黒漆塗りの下見板張り。
- 防腐・防水効果
- 威圧感の演出
を兼ね備え、白壁の城とはまったく異なる印象を与えます。
鉄砲戦を想定した城
松本城は、日本の現存天守の中でも特に鉄砲戦対応が徹底しています。
狭間(さま)の多様性
- 矢狭間
- 鉄砲狭間
が多数設けられ、角度も多様。
敵に死角を与えません。
急勾配の階段
城内の階段は、
- 非常に急
- 段差が不均一
これは敵兵の侵入を防ぐための仕掛けであり、観光客が「怖い」と感じる理由そのものが、防御機能です。
月見櫓 ―― 戦国から泰平へ
松本城には、天守に付属する月見櫓があります。
- 江戸初期に増築
- 赤い欄干
- 大きな開口部
これらは明らかに「戦」ではなく、平和な時代の象徴です。
松本城は、
- 天守:戦国の城
- 月見櫓:泰平の城
という、時代の変化を一つの城で体現している点が非常に貴重です。
廃城を免れた奇跡
明治維新後、多くの城が破却されましたが、松本城は地元有志の尽力により保存されました。
- 「松本城天守保存会」の活動
- 市民による募金
- 教育的価値の訴求
その結果、1952年に国宝指定を受け、現在までその姿を留めています。
松本城の見どころまとめ
- 国宝指定の現存五重天守
- 鉄砲戦を意識した実戦的構造
- 黒漆の外観「烏城」
- 月見櫓に見る泰平の象徴
- 平城として完成度の高い輪郭式構造
おわりに ―― 松本城が語る「戦国の記憶」
松本城は、単なる美しい城ではありません。
それは、戦国という不安定な時代を生き抜くための知恵と恐怖を、今に伝える建築物です。
急な階段に足を取られ、狭間から外を覗いたとき、
かつてこの城が「命を賭けた場所」であったことを、身体で理解するでしょう。
松本城は、**“見る城”ではなく、“感じる城”**なのです。


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