伊達十万石が築いた「海城」の完成形
愛媛県宇和島市にそびえる**宇和島城(うわじまじょう)**は、
四国に現存する4天守の一つであり、
藤堂高虎の縄張思想と伊達政宗の血脈を色濃く伝える、極めて特異な城です。
- 現存12天守の一つ
- 海を防御線とした海城
- 天守・櫓・城郭遺構が良好に残存
宇和島城は、
**「戦国の合理性」と「江戸の統治構造」**が融合した名城といえます。
宇和島城の基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 城名 | 宇和島城 |
| 別名 | 鶴島城、板島丸串城 |
| 所在地 | 愛媛県宇和島市丸之内 |
| 築城 | 1601年(慶長6年) |
| 築城者 | 藤堂高虎 |
| 天守 | 現存天守(国重要文化財) |
| 城郭形式 | 平山城(海城) |
| 日本百名城 | 第83番 |
城の起源 ―― 藤堂高虎による築城
宇和島城の本格的な築城は、
築城名人・藤堂高虎によって始まりました。
高虎は、
- 今治城
- 津城
- 伊賀上野城
などを手がけた、日本屈指の築城家です。
彼は宇和島の地形に着目し、
海を堀として最大限に活用する城を設計しました。
伊達氏の入城 ―― 宇和島伊達家の成立
1615年、
仙台藩主・伊達政宗の長子
伊達秀宗が10万石で入封。
ここから、
宇和島伊達家の歴史が始まります。
以後、明治維新まで
宇和島城は伊達家の居城として存続しました。
宇和島城天守の特徴
① 現存天守としての価値
宇和島城天守は、
- 三層三階
- 外観三重
- 小規模ながら均整の取れた姿
という、典型的な初期江戸期天守です。
② 質実剛健な造り
外観は白漆喰を基調としながらも、
- 装飾は最小限
- 軍事施設としての実用性重視
という姿勢が貫かれています。
③ 天守内部
内部構造は極めて実戦的。
- 梁や柱は太く
- 階段は急勾配
- 武具収納を想定した空間配置
「最後の籠城拠点」であることを明確に示しています。
石垣 ―― 海城ならではの工夫
宇和島城の石垣は、
- 野面積み
- 打込接ぎ
を中心とし、
自然地形と調和した構造が特徴です。
特に、
- 潮位変動を考慮した石積み
- 水際まで伸びる石垣
は、
海城特有の防御思想をよく表しています。
宇和島城最大の見どころ ―― 現存する城郭遺構群
天守だけではない価値
宇和島城の特筆点は、
城郭全体の遺構が良好に残ることです。
現存・復元を含め、
- 上り立ち門
- 追手門
- 井戸丸
- 二之丸
- 三之丸
と、城の機能構造が立体的に理解できます。
現存櫓・門
特に重要なのが、
- 上り立ち門
- 追手門
これらは、
天守と同時代の防御線を今に伝える貴重な建造物です。
宇和島城と城下町
宇和島城の城下町は、
- 海沿いの港町
- 山裾の武家地
- 商人町
が明確に分けられ、
海運と藩政を結びつけた都市設計が行われました。
宇和島は、
- 真珠養殖
- 漁業
- 海上交通
の拠点として発展していきます。
宇和島城と伊達家の文化
伊達家は、
武を重んじつつも文化を尊びました。
宇和島では、
- 伊達文化の流入
- 学問奨励
- 藩校の設立
が進められ、
城は単なる軍事拠点ではなく
文化・政治の中枢となっていました。
明治以降と保存の奇跡
明治維新後、
多くの城が破却される中で、
宇和島城は天守を含む主要建造物を残します。
- 早期の史跡指定
- 地元の保存意識
- 伊達家ゆかりの文化的評価
これらが重なり、
現存天守として今日まで受け継がれました。
宇和島城が特別な理由
- 海城として完成された縄張
- 藤堂高虎の築城思想
- 伊達十万石の歴史
- 天守と城郭遺構の高い残存率
これらをすべて備える城は、
全国的にも稀です。
まとめ ―― 「海と城が一体となった名城」
宇和島城は、
- 山
- 海
- 城下町
この三者が密接に結びついた、
日本屈指の総合城郭です。
天守を仰ぎ、
石垣を辿り、
海を望んだ時――
そこには、
「生きた城」の姿が今も息づいています。
現存天守を巡る旅の中で、
必ず訪れるべき一城。
それが、宇和島城です。


コメント