― 尾張の政治中枢として栄え、天下人・織田信長を育んだ城 ―
愛知県清須市にある**清須城(きよすじょう)**は、戦国時代において尾張国の中心として機能した重要な城郭です。
名古屋城の前身とも言える存在であり、織田信長が天下への第一歩を踏み出した城として、日本史上きわめて大きな意味を持ちます。
本記事では、清須城の
- 成り立ち
- 城主の移り変わり
- 歴史的役割
- 城郭としての特徴
を軸に、清須城が「どのような城だったのか」を詳しく解説します。
清須城の基本情報
- 城名:清須城
- 所在地:愛知県清須市
- 築城:室町時代初期(15世紀初頭)
- 築城者:斯波氏(しばし)
- 城の種類:平城
- 主な城主:斯波氏、織田氏(清須織田家・信長)
清須城の成立 ― 室町幕府と尾張支配の拠点
斯波氏の守護所としての清須城
清須城は、室町時代初期に尾張国守護であった斯波氏によって築かれました。
当時の尾張国の守護所は、それまでの那古野周辺から清須へと移され、清須は尾張支配の政治的中枢となります。
この時点での清須城は、
- 軍事拠点
- 政務を行う守護所
- 尾張国内の権力象徴
という三つの役割を担っていました。
清須城の性格 ―「戦う城」より「治める城」
清須城は平城であり、山城のような堅固な防御を第一とした城ではありません。
城の特徴
- 河川(五条川・庄内川水系)に囲まれた自然地形
- 城下町と一体化した構造
- 政治・経済の中心としての機能
つまり清須城は、
👉 戦国大名が国を治めるための政庁的な城
👉 尾張国全体を統治するための首都機能を持つ城
であったと言えます。
城主の移り変わり① ― 斯波氏から織田氏へ
斯波氏の衰退
室町中期以降、守護大名・斯波氏は次第に力を失い、家臣であった織田氏が実権を握るようになります。
この過程で清須城は、
- 名目上:斯波氏の城
- 実質的支配:織田氏
という状態になりました。
城主の移り変わり② ― 清須織田家の時代
織田氏は清須を拠点に勢力を拡大し、やがて清須織田家と呼ばれる系統が成立します。
清須織田家の役割
- 尾張守護代として国政を担当
- 尾張国内の諸城・諸勢力を統制
- 清須城を尾張支配の中心に据える
この時代、清須城は完全に「尾張の首都」として機能していました。
織田信長と清須城 ― 天下人の原点
清須城が信長の城となる
織田信長は、那古野城(名古屋城の前身)で生まれ育ちましたが、
清須城をめぐる家督争いに勝利したことで、尾張全体の支配者となります。
清須城時代の信長の功績
- 尾張国内の統一
- 今川氏との対峙
- 桶狭間の戦いへの布石
清須城は、
👉 信長が「一地方の武将」から
👉 「天下を狙う大名」へ脱皮する拠点
となった城なのです。
清須会議 ― 日本史を動かした城
清須会議とは
天正10年(1582年)、本能寺の変で織田信長が横死した後、
後継者問題を協議するために開かれたのが清須会議です。
清須会議の意義
- 織田家の後継体制を決定
- 豊臣秀吉が主導権を握る
- 戦国時代の流れを大きく変える転換点
この会議が清須城で行われたことは、
清須城が織田家にとって最重要拠点であったことを物語っています。
清須城の衰退 ― 名古屋城への移転
清須越し(清須城廃城)
江戸時代初頭、徳川家康は尾張国の拠点を名古屋城へ移します。
これにより行われたのが有名な**「清須越し」**です。
- 城下町の住民
- 寺社
- 商人・職人
が一斉に名古屋へ移され、清須城は急速に衰退、廃城となりました。
清須城天守の再建について
現在の清須城天守は、
1989年(平成元年)に再建された模擬天守です。
現在の清須城の見どころ
- 天守からの眺望
- 織田信長・清須会議の展示
- 城下町跡を感じる地形
史跡としての「遺構」は多くありませんが、
歴史を学ぶ城・物語を感じる城として高い価値を持っています。
清須城の歴史的役割まとめ
清須城は単なる一城ではなく、
✔ 尾張国の政治中枢
✔ 守護所・守護代の城
✔ 織田信長の飛躍の拠点
✔ 清須会議という歴史的転換点の舞台
という、日本史における極めて重要な役割を担いました。
まとめ ―「天下への玄関口」となった城
清須城は、
- 戦うための城ではなく
- 国を治め、時代を動かすための城
でした。
名古屋城の陰に隠れがちですが、
清須城なくして織田信長も、豊臣秀吉も存在しなかったと言っても過言ではありません。
【お城めぐり】として訪れる際は、
ぜひ「この城から天下が動き始めた」という視点で歩いてみてください。

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