伊弉諾、伊弉冉にが国生みによって大八島国を作った伝説がありますが、日本をかき混ぜる際に使用したとされる鉾が、神代より現在も鹿児島にある高千穂峰の山頂に祭られています。
それが日本三奇の一つ「天の逆鉾(あまのさかほこ)」です。
鹿児島県にある霧島連山のひとつ「高千穂峰(たかちほのみね)」。
その山頂には、異様は鉾が神代から祀られています。
高千穂峰は高千穂峡と共に日本神話における天孫降臨の舞台とされ、歴史上の偉人とも不思議な縁を持っています。
今回は、神話と歴史、そして現代へと受け継がれる信仰の象徴「逆鉾」について詳しくご紹介します。
◆ 天孫降臨と逆鉾|神が降り立った証

『古事記』『日本書紀』によると、
天照大神の孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)が高天原から地上へ降臨した際、
最初に降り立った地が高千穂峰だとされています。
その際、邇邇芸命は自らの携えていた鉾――「天の逆鉾」を地面に刃先から突き刺したのです。
これは単なる武器ではなく、**天と地を結ぶ“神の証”**であり、
この地に神の支配が始まったことを示すものでした。
◆ なぜ「逆」鉾なのか?

通常の鉾(矛)は、刃を下突き刺し、柄を上にしますが、
「逆鉾」はその名のとおり、鉾の柄を地面に突き刺した異形の形。
これは、神が地上に“根を下ろす”こと、
あるいは天からの使いが降りた“杭”としての意味を持つともされ、
古代の呪術的意味合いを含むと考えられています。
伝説では天孫降臨の際に邇邇芸命が山頂に逆鉾をつきさしたとされています。
一説では奈良時代にはすでに山頂に刺さっていたという記録があり、真偽の程はわかっていません。
◆ 現在の逆鉾はレプリカ? 本物はどこに?
高千穂峰の山頂には現在も逆鉾が突き立てられていますが、
鉾の部分ははレプリカであるとされています。
実は大正時代、噴火や地震の影響で鉾が折れてしまったため、
逆鉾の鉾部分がレプリカとなっておりオリジナルはどこかへ紛失したとされています。
◆ 逆鉾と坂本龍馬|神話の鉾に触れた男

幕末の志士、坂本龍馬が霧島を訪れた逸話をご存知でしょうか?
1866年、寺田屋事件で深手を負った龍馬は、妻・お龍とともに霧島へ“新婚旅行”に出かけます。
この旅は、日本初の新婚旅行ともいわれるほど有名です。
龍馬は高千穂峰に登った時のことを姉の乙女に手紙を残しており、手紙の中で
逆鉾を引き抜いたと言っています。
「天下を取る男ならば、この鉾を引き抜けるはずだ!」
そんな気概を込めた行動だったとも。
この逸話は、神話と歴史の“接点”として語り継がれています。
◆ 高千穂峰と霧島東神社のつながり
- 高千穂峰:邇邇芸命が降り立ったとされる地で、逆鉾が刺されている場所。
- 霧島東神社:逆鉾の折れた一部を社宝として保管し、邇邇芸命を主祭神とする古社。
霧島東神社は「天孫降臨の社」とも呼ばれ、
山岳信仰・神道・神話が交差する聖地として、多くの参拝者を集めています。
◆ 現地情報|高千穂峰への登山

- 登山口:高原町登山口(霧島東神社付近)または霧島神宮側登山口
- 所要時間:登山口から山頂まで約2〜2.5時間
- 注意点:火山帯のため天候・火山情報の確認は必須
- 山頂の見どころ:逆鉾、霧島連山の絶景、天孫降臨の聖地の空気感
◆ まとめ|逆鉾は神話と歴史の“交差点”
高千穂峰に突き立つ逆鉾――
それは単なる伝説の遺物ではなく、日本神話の核心をなすシンボルです。
そして幕末の志士・坂本龍馬という歴史の英雄もまた、
この神話の地を訪れ、鉾に挑んだことは、
“神話は今もなお生きている”というメッセージのようにも思えます。
ぜひあなたも、天孫降臨の神々と、龍馬の足跡をたどる旅に出てみてはいかがでしょうか?
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