【古事記・人代編②】仁徳天皇から推古天皇までの時代と記述の終わり

『古事記』の下巻は、第十六代仁徳天皇の治世から始まります。中巻で確立された大和王権が、文化や対外関係を深めながら発展していく時代が描かれますが、同時に豪族間の権力闘争や、後の飛鳥時代へと繋がる重要な転換期も含まれています。


1. 聖帝(せいてい)・仁徳天皇の伝説

仁徳天皇は、『古事記』や『日本書紀』において、**「民の竈(かまど)の煙を見、民の窮乏を察した聖帝」**として名高い天皇です。

① 高台からの眺めと税の免除

仁徳天皇は即位後、高い山に登り、国中を見渡しました。しかし、家々からほとんど煙が上がっていないのを見て、「民は貧しく、満足に食事も作れないほど窮乏しているに違いない」と深く憂慮しました。

そこで天皇は、三年間、税をすべて免除するという大胆な政策を打ち出します。これにより宮殿は荒れ果てますが、三年後、再び国中を見渡すと、家々の竈から賑やかに煙が立ち昇っているのを目にしました。

天皇は「これで、国が豊かになった」と喜び、この後、民は自発的に税を納め、荒れた宮殿の修復に協力したとされています。この伝説は、「仁政(じんせい)」(慈悲深い政治)の理想を象徴するものとして、後世まで語り継がれています。

② 皇后・磐之媛(いわのひめ)の嫉妬

私的なエピソードとしては、仁徳天皇の皇后である**磐之媛命(いわのひめのみこと)**の強い嫉妬心が記されています。磐之媛は非常に嫉妬深く、天皇が他の妃を宮中に入れようとすると、それを許さず、しばしば宮殿から遠ざけてしまいました。

このエピソードは、公的な聖帝伝説と対比され、人間味あふれる天皇像を描き出しています。


2. 中・後期の天皇と重要な転換点

下巻では、仁徳天皇以降の天皇の治世が連綿と記されますが、特に後の歴史に大きな影響を与えた転換期の天皇の記述があります。

① 継体天皇(けいたいてんのう)の即位(大和王権の変革)

継体天皇の時代(第26代)は、系譜的には応神天皇の五世の孫とされますが、それまでの皇族の血筋から離れた(または遠い)人物が即位したとされています。

この即位は、古代のヤマト王権が、血縁関係に大きく依存する体制から、有力豪族連合による政治的な合意によって成立する体制へと変化していった、重要な転換点を示す出来事だと解釈されています。

② 欽明天皇(きんめいてんのう)と仏教伝来

欽明天皇の時代(第29代)には、朝鮮半島の百済(くだら)から仏教が公的に伝来したと記されています。

仏教を受け入れるかどうかをめぐり、宮廷内では、古来の神々を尊ぶ物部氏(もののべし)と、新興の仏教を受け入れようとする蘇我氏(そがし)との間で激しい対立が起こります。これは、次の時代の蘇我氏と物部氏の抗争へと発展する、後の歴史を決定づけた重要な記述です。


3. 蘇我氏・物部氏の抗争と推古天皇

下巻の終盤は、仏教をめぐる豪族間の対立から、飛鳥時代初期にかけての宮廷内の権力闘争が描かれます。

① 蘇我氏の台頭

仏教を巡る対立は、最終的に蘇我氏が勝利し、大和王権における蘇我氏の権力が強大化するきっかけとなります。

② 推古天皇までの系譜と事績

推古天皇(すいこてんのう、第33代)は、古事記に記述される最後の天皇です。

  • 日本初の女性天皇:推古天皇は、日本初の正式な女性天皇です。
  • 摂政・厩戸皇子(うまやとのみこ):天皇の甥にあたる厩戸皇子(後の聖徳太子) が摂政として政務を執った時代ですが、『古事記』における聖徳太子に関する記述は、『日本書紀』に比べて非常に簡略的です。

『古事記』は、推古天皇の崩御までの系譜と后妃、子の名を記し、簡素な記述をもって終焉を迎えます。


4. 『古事記』の終わり:記述が簡略化する理由

『古事記』は、終盤になるにつれて記述が短く、素っ気ないものになっていきます。この理由として、主に二つの説が挙げられます。

  1. 時代の近接性:『古事記』は、天武天皇の勅命から成立(712年)まで時間を要していますが、推古天皇の時代(在位:593年~628年)は、編纂時と比較的時代が近かったため、**「新しい時代の事績については、別で公式の記録があるから、わざわざ詳述する必要がない」**と考えられた可能性が高いです。
  2. 神話性の喪失:『古事記』の最大の目的は、天皇家の神聖な起源を語ることでした。時代が下るにつれて、神話や伝説の要素が薄れ、単なる歴史記録になってしまうため、筆録者の太安万侶が、物語としての魅力を保つために記述を意図的に抑制した、とも考えられています。

こうして『古事記』は、神々の創造から始まり、英雄たちの活躍を経て、豪族の争いと文化の受容という、国家成立の歴史を描き切って幕を閉じるのです。

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