【書物図鑑】『古事記』太陽の子が都を求めて!「神武東征」と初代天皇の即位

『古事記』上巻の神話時代が終わり、物語は中巻へと進みます。ここで語られるのが、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の血筋を引く神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)、後の神武天皇(じんむてんのう)が、日向(ひむか)の地から東へ向かい、大和を平定して初代天皇として即位するまでの壮大な旅、神武東征(じんむとうせい)の物語です。

これは、日本の国家成立の根幹をなす、歴史と神話が交錯する重要なエピソードです。

この記事では、神武天皇がいかにして困難を乗り越え、大和の地に都を築いたのかを解説します。


1. 東征の決意と旅の始まり

神武天皇は、天孫降臨の主人公である邇邇芸命(ニニギノミコト)の曾孫にあたります。彼は、故郷である日向(現在の宮崎県)で成人しましたが、「この地は祖神が降り立たれた場所ではあるが、都として国を治めるには狭すぎる」と考えました。

⛩️ 遷都の決意

より広大な土地と、国を治めるにふさわしい中央の地を求め、神武天皇は兄たちや子らを率いて、日向から東へと向かうことを決意します。これが「東征」の始まりです。

彼らは、まず海路で豊国(とよのくに、大分県)や筑紫国(ちくしのくに、福岡県)などを経由し、瀬戸内海を東に進みます。


2. 最初の試練:兄の死と熊野での危機

東征の旅は、決して順調ではありませんでした。最初の大きな試練は、現在の大阪湾周辺、難波(なにわ)の地で起こります。

🏹 長兄の殉死

神武一行が上陸しようとすると、当時のこの地を治めていた登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)の軍勢が立ちはだかり、激しい戦闘となります。

この戦いで、神武天皇の長兄である五瀬命(イツセノミコト)が、敵の放った矢に当たって重傷を負ってしまいます。

五瀬命は、「私は太陽に向かって(東へ)戦ったから、弓矢の神の力を受けられなかった。これはいけない。回り込んで太陽を背にして(南へ)戦おう」と悟り、紀伊半島を南へ向かうことを主張しますが、その途中で息絶えてしまいます。

🐻 熊野の危機

兄の教えに従い、一行は紀伊半島を南下しますが、熊野(くまの)の険しい山中に入ると、道に迷い、悪神の毒気(あるいは強い霊力)によって全員が倒れてしまいます。

絶体絶命の窮地に立たされた時、高天原の神々の導きにより、以下の助けがもたらされます。

  1. 布都御魂(ふつのみたま)の剣: 高倉下(たかくらじ)という者が、剣を献上します。この剣の霊力によって、神武一行は目を覚まし、悪神を打ち払う力を得ます。
  2. 八咫烏(やたがらす):アマテラスの命により遣わされた、三本足を持つ巨大な烏。この烏が、神武一行を大和への正しい道へと導きました。

3. 大和の平定と勢力の統合

八咫烏の導きにより、神武一行は大和の吉野川沿いに出て、ついに中央の地へと足を踏み入れます。しかし、ここでも再び、多くの土着の勢力との戦いが待っていました。

👹 土蜘蛛(つちぐも)との戦い

神武天皇は、土蜘蛛と呼ばれるゲリラ的な勢力を討伐し、各地の反抗勢力を鎮圧していきます。

🤝 長髄彦(ながすねひこ)との和解

かつて兄の五瀬命を傷つけた大和の有力者、長髄彦とは再び対立しますが、天の神々の介入と、長髄彦の主君が降伏したことにより、長髄彦は討たれ、残党は降伏しました。

これにより、神武天皇は、武力天の神々の威光の両方をもって、大和地方の主要な勢力を次々と統合し、最終的に国土を平定することに成功します。


4. 初代天皇の即位

大和の地を平定した後、神武天皇は、現在の橿原(かしはら)の地に、新たな宮殿を築きます。

そして、辛酉(かのととり)の年、すなわち紀元前660年とされる年に、初代天皇として即位します。

🇯🇵 建国と国号

神武天皇は即位に際して、国土を治める大御言(おおみこと、詔)を発し、国を永遠に治める決意を述べました。

この「神武東征」の物語は、『古事記』と『日本書紀』を通じて、天照大御神の系譜が、困難と試練を乗り越えて日本の中央(大和)に王権を確立し、日本の始まりを告げた出来事として語り継がれています。

神武天皇の即位をもって、神々の時代から人間の統治の時代へと、日本の歴史は決定的に移行したのです。

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