『古事記』において、愛する妻を失った伊邪那岐命(イザナギ)が踏み入れた死者の世界、それが黄泉の国(よみのくに)です。このエピソードは、日本の神話における「死」「穢れ」「夫婦の別れ」といった根源的なテーマを描く、非常にドラマチックな物語です。
この記事では、イザナギの黄泉の国訪問から、その後の禊(みそぎ)による重要な神々の誕生までを詳しく解説します。
1. 悲嘆から始まった旅
妻である伊邪那美命(イザナミ)を火の神の出産で失い、深い悲しみに暮れたイザナギは、「会いたい」という一念から、死者が赴く地下の世界、黄泉の国へと向かいます。
イザナギが黄泉の国の入り口、黄泉比良坂(よもつひらさか)にたどり着くと、イザナミは扉を開けて対応します。
イザナギはイザナミに、「私たちが創り上げた国はまだ完成していません。帰ってきてください」と訴えます。
🚨 決して見てはいけないもの
イザナミは、「黄泉の国の食べ物を食べてしまったので、すぐには戻れません。黄泉の神々に相談しましょう」と答えます。
そして彼女はイザナギに対し、**「その相談が終わるまで、決して私の姿を見ないでください」**と強く忠告します。これは、死者の世界の穢れを象徴する、この物語最大のタブーとなります。
2. タブーの崩壊と変わり果てた姿
しかし、イザナミの相談がなかなか終わらないことに業を煮やしたイザナギは、ついに禁を破ってしまいます。
彼は、自分の髪飾り(ゆづまげ)の櫛(くし)を一本折り、それに火を灯して、宮殿の中を覗き込みます。
そこにいたのは、愛する妻の姿ではありませんでした。イザナミの体はすでに腐敗が進み、ウジがたかり、体には八柱の雷神(やはしらのいかづちのたかみ)がまとわりついていました。
追走劇:黄泉比良坂での永遠の別れ
変わり果てた妻の姿に恐怖と嫌悪を覚えたイザナギは、悲鳴をあげて逃げ出します。
黄泉の神々から恥をかかされたイザナミは激怒し、黄泉醜女(よもつしこめ)という醜い女たちにイザナギを追わせます。イザナギは、髪飾りやブドウの房、そして十拳剣(とつかのつるぎ)を振るって、追手を退けながら逃走します。
最終的にイザナミ自身が、大勢の黄泉の軍隊を引き連れて追いかけてきます。
夫婦の対決と離縁
イザナギは、黄泉の国と現世を隔てる黄泉比良坂まで逃げ延びます。彼はそこにあった大きな岩(千引の磐:ちびきのいわ)で道を塞ぎ、イザナミと岩を挟んで最後の対話をします。
イザナミは「愛しい人よ、あなたがこのようなことをするなら、私はあなたの国の人間を一日に千人殺しましょう」と呪いの言葉を投げかけます。
イザナギはそれに対し、「愛しい妻よ、あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋(うぶや)を建てよう」と答えます。
💡 神話のポイント これにより、「一日に千人が死に、千五百人が生まれる」という生と死のサイクルが定まり、永遠の別れ(離縁)が成立しました。イザナミは、これ以降、黄泉の国の神(黄泉津大神)となったのです。

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