『古事記』は、今からおよそ1300年前、西暦712年に完成した、日本に現存する最古の歴史書です。
しかし、単に過去の出来事を記録した書物ではありません。日本の国土がどのように生まれ、天皇の支配がどこから始まったのか、その壮大な物語と根源を語る、神話と歴史の集大成と言える書物です。
この古代の書物がなぜ、どのようにして生まれたのか。そしてどのような構成になっているのかを詳しく解説します。
1. なぜ作られた?『古事記』編纂の背景と目的
『古事記』が編纂された背景には、当時の日本の国家としての強い意志がありました。
① 天皇家支配の正当性確立(国内向け)
7世紀後半、日本は天皇を中心とする律令国家(法と制度に基づく中央集権国家)の建設を進めていました。しかし、国内の有力豪族たちは、それぞれ異なる氏族の系譜や伝承(「帝紀(ていき)」や「旧辞(きゅうじ)」)を持っており、歴史認識が統一されていませんでした。
このままでは、国家の根幹が揺らぎかねません。そこで、天皇家の支配こそが、神々から受け継いだ唯一無二の、正統なものであることを歴史的に証明し、国内の秩序を確立する必要がありました。
② 対外的な威厳の表明(国際向け)
当時、大陸の超大国である唐(中国)や、朝鮮半島の諸国との外交において、日本が由緒ある歴史を持つ独立した国家であることを示す必要がありました。
『古事記』の直接的な目的は天皇家のルーツを語ることですが、この編纂事業全体が、日本の文化と歴史の深さを誇示する行為でもありました。
2. 成立の経緯:三人のキーパーソン
『古事記』は、一人の人間が書き上げたのではなく、複数の人物の役割分担によって完成しました。
① 天武天皇の勅命(発端)
編纂を命じたのは、第40代天武天皇(在位:673年~686年)です。
天武天皇は、豪族が持つバラバラな伝承を憂慮し、「偽りを削り、実を定めて」(誤りを正し、真実を確立して)正確な歴史を後世に伝えるよう命じました。これが『古事記』編纂の始まりです。
② 稗田阿礼(ひえだのあれ)の暗誦(情報の源)
天武天皇は、抜群の記憶力を持つ人物、稗田阿礼に、天皇家の系譜と古い伝承の内容をすべて暗誦(記憶して口頭で伝えること)させました。
阿礼の性別や詳細な出自には諸説ありますが、宮廷内の語り部として、伝承を記憶し伝えるという非常に重要な役割を担いました。
③ 太安万侶(おおのやすまろ)の撰録(文書化)
天武天皇の死後、事業は一時中断しますが、その遺志を継いだ第43代元明天皇(げんめいてんのう)の時代に再開されます。
太安万侶は、稗田阿礼が暗誦した伝承を筆録し、漢字を用いて文章として整理・編纂しました。そして**和銅5年(712年)**に三巻からなる『古事記』を元明天皇に献上したことで、正式に成立しました。
3. 『古事記』の全体像:三巻構成の内容
『古事記』は、上・中・下の三巻で構成されており、日本の始まりから一つの時代を区切りとしています。
| 巻 | 対象時代 | 記述内容の概要 |
| 上巻(かみつかん) | 神代(かみよ) | 天地の始まり(天地開闢)から、日本の国土の誕生(国生み)、天照大御神(アマテラスオオミカミ)、須佐之男命(スサノオノミコト)ら神々の物語、そして天皇家の祖先であるニニギノミコトの天孫降臨まで。 |
| 中巻(なかつかん) | 人代前半 | 初代・神武天皇の東征と即位から、第15代応神天皇までの天皇の系譜と事績。**倭建命(ヤマトタケルノミコト)**など、古代の英雄たちの伝説的な活躍が中心。 |
| 下巻(しもつかん) | 人代後半 | 第16代仁徳天皇から第33代推古天皇までの天皇の系譜と事績。次第に歴史的信憑性の高い記述が増えるが、末期になると記述が簡略化される傾向がある。 |
4. 歴史の双璧:『古事記』と『日本書紀』の違い
『古事記』成立のわずか8年後(720年)には、同じく日本最古の正史である**『日本書紀』**が完成しました。この二書はしばしば比較されますが、目的と文体に大きな違いがあります。
| 比較項目 | 『古事記』 | 『日本書紀』 |
| 完成年 | 和銅5年(712年) | 養老4年(720年) |
| 記述言語・文体 | 日本語の語り口を尊重。漢字を音と訓に使い分ける独特な表記。 | 漢文(中国語の公的な文体)で記述。 |
| 主な目的 | 国内の天皇支配の正当性確立。伝承・神話の保存。 | 対外的な国の正史としての確立。公文書としての形式を重視。 |
| 物語性 | 高い。神々や人物の人間的な感情、ドラマが豊富。 | 低い。淡々とした記録が多く、複数の異伝を併記。 |
『日本書紀』が公的な歴史書として広く用いられたのに対し、『古事記』は一時的にあまり顧みられなくなります。しかし、江戸時代に国学者**本居宣長(もとおりのりなが)**が『古事記伝』という大著でその価値を再発見し、今日では日本文化の根源を知る上で欠かせない書物として再評価されています。
『古事記』は、私たちが住むこの国の始まりと、古代の人々が抱いた世界観を知るための、まさに「日本人の物語の原点」なのです。

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