【神社めぐり】忌宮神社(山口県 下関市)

山口県下関市長府地区に鎮座する「忌宮神社(いみのみやじんじゃ)」は、古代史好き・神功皇后関連史跡を辿る上では外せない神社として知られています。長府一帯は古くから「豊浦宮」と呼ばれ、神功皇后が三韓征伐後に政務を執り、応神天皇を育てた地と伝わる場所です。日本書紀にもその名が登場する、非常に古層の深い神社です。

■主祭神

・仲哀天皇
・神功皇后
・応神天皇
・武内宿禰

八幡神のルーツに関わる人物・神々が祀られている点も注目ポイントです。


歴史・由緒

社伝では、仲哀天皇8年(紀元3世紀頃)に当地に宮を構えたのが起源とされています。仲哀天皇が戦死した後、神功皇后は豊浦宮で政務を執ったと伝わり、その御跡を神域として崇めたのが忌宮神社の始まりとされます。

平安期『延喜式神名帳』には「長門国 豊浦郡 忌宮神社」として記載され、式内社としての格を持ち、長門国でも重要視された神社でした。

長府藩主毛利家からも篤い崇敬が寄せられ、境内の構造にもその名残が見られます。


不思議・特徴的な伝承

境内には「古宮址」とされる地が残り、ここが神功皇后の政務を執った宮の場所であると伝えられています。

また、毎年行われる「数方庭祭(すほうていさい)」は特に特筆すべき神事です。約1800年以上続くと伝えられる古式の祭で、古代の宮廷儀礼を思わせる舞や所作が残っていると言われています。この神事そのものが、まさに「物語を伝える史跡」であり、忌宮神社の最大の見どころの一つです。


見どころ

・古宮址(神功皇后ゆかりの史跡)
・数方庭祭という古式祭祀の継承
・長府の静かな城下町の空気と神域の調和

特に長府は城下町散策とセットで楽しむ参拝が非常に相性が良く、神社参拝後に古地図感覚で歩く楽しみがあります。


まとめ

忌宮神社は、単に「古い神社」の枠に収まる存在ではなく、日本書紀の時代の物語がリアルな地形と伝承のまま残っている数少ない場所と言えます。

八幡信仰の源流にも接続し、神功皇后という日本史上最も神格化された人物が深く関わる神社の一つ。

古代史の息づかいを、境内そのものが証明しているような神社です。長府に訪れた際は、ぜひゆっくり時間をとって参拝してみてください。

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