愛知の神社の代表格ともいえるのが名古屋市熱田区に鎮座する熱田神宮です。
熱田神宮で三種の神器の一つ草薙剣を祀ることで天皇陛下との関わりが強い神社として知られています。
伊勢神宮、明治神宮と共に日本三大神宮の一つとして、東海にお住まいの方であれば、一度は参拝されたことがあると思います。たぶん(笑)
熱田神宮は名古屋城と共に名古屋十名所にも数えられ、名古屋の名所にもなっています。
ただ折角熱田神宮を参拝するなら、熱田神宮について、少し勉強してみるのはいかがでしょうか
今回は熱田神宮について、あますことなくお話ししていこうと思います。
熱田神宮について他にもこんな話が、あるよ等あればこっそり教えてください!(笑)
神社情報
社格 :式内社(名神大)、尾張国三宮、旧官幣大社、司祭者、別表神社
創建 :646
御祭神
・熱田大神(アツタノオオカミ)
・相殿神(※主祭神と共に祀られる神々)
天照大神(アマテラスオオミカミ)
素戔嗚尊(スサノオノミコト)
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
宮簀媛命(ミヤズヒメノミコト)
建稲種命(タケイナダネノミコト)
由緒
熱田大神(アツタノオオカミ)を主祭神とし、三種の神器である八咫鏡(ヤタノカガミ)、八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)と並ぶ「草薙の剣」を祀る愛知県でも有数の神社の一つです。
熱田神宮はパワースポットとしても有名で、全国からの参拝者も多く平日であっても賑わいを見せています。
境内には別宮、摂社、末社を28社、境外には摂社、末社16社を祀っています。
約1900年前から天皇家で継承され続ける三種の神器。その三種の神器の一つ草薙剣がこの熱田神宮に祭られています。
日本神話の時代日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の妻だった宮簀媛命(ミヤスヒメノミコト)が
伊勢国能褒野(いせのくにのぼの)でなくなった日本武尊の形見である神剣を祀ったのが始まりとされています。
この熱田という地名は、日本書紀に
【素戔嗚尊から給わった草薙剣が、今尾張国吾湯市(あゆち)村にあり】
という記載があり、吾湯市(あゆち)が変わっていく行くうちに熱田という地名になったと言われています。
別宮・摂社・末社について
熱田神宮は数多くの社殿を含めた総称であり、実は全部合わせると45の社があります。
また熱田神宮の境内と境外で境内摂社・末社、境外摂社・末社と区別されています。
熱田神宮の敷地は6万坪もの広さがあり、境内にある神社を参拝するだけでもそれなりに時間を要し、境外も合わせると、とても一日では時間が足りません。
それぞれの社の区分については、
①本社【1社】
②別宮【1社】
八剣宮
③摂社【8社】
一之御前神社、日割御子神社、孫若御子神社、南新宮社、御田神社、上知我麻神社、下知我麻神社、 龍神社
④末社【19社】
大幸田神社、清水社、東八百萬社、西八百萬社、内天神社、乙子社、姉子神社、今彦神社、水向神社、素戔嗚神社、日長神社、楠之御前社、菅原社、徹社、八子社、曽志茂利社、大国主社、事代主社、影向間社
⑤境外摂社【4社】
高座結御子社、氷上姉子神社、青衾神社、松姤社、
⑥境外末社【12社】
鉾取社、新宮社、御井社、稲荷社、元宮、神明社、玉根社、南楠社、鈴之御前社、琴瀬山神社、浮島社、朝苧社
となっています。
参拝される方のほとんどが熱田神宮の本殿のみを参拝されると思いますが、摂社末社にもそれぞれの神社について由緒があったりします。ブログ記事で紹介していますので、興味を持っていただいたなら摂社末社の記事もチェックしてみましょう。
別宮 八剣宮(はっけんぐう)

熱田神宮において、唯一の別宮とされています。
八剣宮は古くから武将の信仰が篤く、愛知を代表する武将、織田信長や徳川家康が先勝祈願に手を合わせに来るほどの神社となっています。
御祭神は熱田大神と言われています。
記録では元明天皇和銅元年(708)9月9日に勅命により神剣をつくり、境内に社を建てて、祀ったことが創祀で、建築様式をはじめ、年間の祭典・神事に至るまで全て本宮に準じて執り行われます。
摂社 一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)

本殿の北西に位置する一之御前神社は熱田神宮で荒魂を祀る神社で、熱田神宮の中で最も神聖な場所です。
2012年までは一般の入場は禁止されており、写真撮影も一切認められていません。
本殿西側の「心の小径」を進とお参りすることができます。
ご存じかもしれませんが、参拝をする際、本殿では、参拝できたことに関する感謝を申し上げ、お願い事は荒魂である一之御前神社にするというように言われています。
ご祭神は天照大神の荒御魂と言われています。
ちなみに、参拝の時間も
午前9時~午後4時まで
と決まっており、それを過ぎると心の小径への扉が閉まってしまい、入ることができなくなるので一之御前神社を参拝する場合は時間に注意してください。
上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)

乎止與命(おとよのみこと)を主祀神とし、その両脇に大国主社(おおくにぬししゃ・大黒様)、事代主社(ことしろぬししゃ・恵比須様)を祀る神社
毎年1月5日に開催される『初えびす』は商売繁盛のご利益を求め、人々が無言で福熊手を求める姿は毎年テレビでも放映される程に愛知県を代表する文化の一つとなっています。
ちなみに、お札を受けた後には福を逃がさないように、誰とも口をきかずに一目散に帰宅する奇習も残されています。
下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)
下知我麻神社は古くから旅行安全の神様である真敷刀俾命が祀られています。真敷刀俾命は相殿神である宮簀媛命の母神様です。は境内を一度外に出ないといけませんので最初か最後に参拝したほうがいいかもしれません。
清水社(しみずしゃ)





熱田神宮本殿の北東に位置し、心の小径を東側から進むと、少し変わった空間、清水社があります。
清水社は水を司る神、罔象女神(みずはのめのかみ)を祀っている熱田神宮の末社です。
清水社のすぐ裏手に湧き水が湧く場所があり、この湧き水には①楊貴妃と②平影清の二つの伝説残っています。
①楊貴妃
中国玄宗皇帝の日本攻略を、熱田の大神が楊貴妃に姿を変え阻止し、熱田の地に楊貴妃の石塔が供えられたそうです。
清水社のすぐ後ろに水が沸く場所があり、その湧き水で肌を洗えば楊貴妃のような美肌になると言われています。
また湧き水の張る池の中央に小さな石が顔を出しており、それが楊貴妃石塔の一部と言われ、この石に三回水をかけると願いことが叶うと言われています。
②平影清
平安時代の末期、源氏に敗れた際、平景清が眼を患い清水社に湧く水で眼を清めたところ治癒したという伝えがあり、湧き水で目を清めれば眼がよくなると言われています。
熱田神宮境外摂社四社
奥の院【尾張部神社】
熱田神宮の奥の院と噂される神社が名古屋市守山区にあります。
その名も””尾張部神社””
熱田神宮に関係する尾張氏の祖神を祀る神社として、信仰を集めています。
正式な奥の院としての記録はないものの、古くから熱田の奥宮と噂され、古墳の上に社殿があるなどどこか只ならぬ空気があります。
詳しくは別の記事にまとめたので、詳細を知りたい方はリンク先をチェックしてください。
見どころ
宝物殿

別途入館するのにお金が必要になります。熱田神宮の歴史等貴重な資料が展示してあります。
熱田の七楠
熱田神宮には七本の大きな楠があるといわれています。
7本の内3本は立ち入り禁止エリアのため、詳細は謎に包まれています。
熱田の七楠の詳細については別に記事をまとめたので興味ある方はリンクから。
信長塀(日本三大土塀)

信長塀とは1650年に信長公が桶狭間の戦い前に先勝祈願で熱田神宮に参拝に見事勝利を収めた。
その勝利を熱田の神の加護とし、信長は熱田神宮に信長塀を奉納。
三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀に並び日本三大土塀の一つに数えられています。
佐久間灯篭(日本三大灯篭)


南禅寺(京都)、上野東照宮のおばけ灯篭(東京)と並ぶ日本三大灯篭の一つ
御器所城主佐久間盛次の四男で信濃長沼藩初代藩主である佐久間勝之が海上で台風に遭い遭難した際、熱田神宮に守護を祈ったところ無事に生き延び難を逃れたので、1630年にお礼として熱田神宮に寄進した。
ちなみに三大灯篭はすべて佐久間灯篭と言われています。
二十五丁橋

西行法師が腰かけた事があるといわれる、二十五丁橋(写真)。25枚の石板でできており、名古屋最古の石橋と言われています。
土用殿
明治時代まで神剣(草なぎの剣)が奉安されていたお社です
グルメ
お休み処・清め茶屋 みなもカフェ(きよめ餅)




熱田神宮の名物の一つ「きよめ餅」
1785年(江戸中期)に境内できよめ餅を休憩所にて売り出し、名物となったもの
「抹茶・きよめ餅」のセットでは名物の抹茶と名物のきよめ餅のセットがいただけます。
毎月一日には「あつた朔日(ついたち)参り」が行われ朔日市限定の熱田宮餅も頂けます。
宮きしめん
名古屋飯の一つ「きしめん」。その中でも有名なのが、熱田神宮の「宮きしめん」
熱田蓬莱軒
名古屋飯といったらひつまぶし、名古屋ひつまぶしの代表格が熱田蓬莱軒です。
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