【神社めぐり】全国八幡宮の総本宮「宇佐神宮」〜八幡信仰のはじまりの地〜

 大分県宇佐市に鎮座する「宇佐神宮(うさじんぐう)」は、全国に約4万社あるといわれる「八幡神社」の総本宮です。
 その歴史は古く、奈良時代にまでさかのぼります。八幡信仰発祥の地として、日本の神社史の中でも特別な存在とされています。

住所 :〒872-0102 大分県宇佐市南宇佐2859
電話 :0978-37-0001
社務所:9:00~16:00
公式HP:八幡総本宮 宇佐神宮
Wiki :宇佐神宮

主祭神:八幡大神(応神天皇)、比売大神、神功皇后
社格:八幡社総本社、式内社、官弊大社、豊前国一宮、刺祭社、名神大社
創建:欽明天皇32年 571年
本殿:八幡造


■ 八幡信仰のはじまり

 八幡神とは、もともと「応神天皇」が神格化された神様です。
応神天皇は第15代天皇で、後に「八幡大菩薩」として神仏習合の中で日本全国に信仰が広まりました。

 奈良時代、聖武天皇の時代に国家鎮護の神として崇敬を集め、東大寺の大仏建立の際には「宇佐の八幡神」が「我も助けよう」と託宣を下したと伝えられています。
この出来事をきっかけに、八幡信仰は皇室・武家・庶民にまで広がっていきました。


■ 宇佐神宮の歴史と格式

宇佐神宮の創建は約1300年前、708年(和銅元年)と伝えられます。
古来より朝廷の崇敬が厚く、伊勢神宮に次ぐ「第二の宗廟(そうびょう)」として扱われたこともあります。

また、八幡神は後に「武運の神」として武家からの信仰も厚く、特に源氏が氏神として祀ったことで有名です。
鎌倉の鶴岡八幡宮や、京都の石清水八幡宮も、いずれもこの宇佐神宮から勧請された分霊を祀っています。


■ 三殿並立の美しい社殿

宇佐神宮の社殿は、三つの本殿が横に並ぶ「八幡造(はちまんづくり)」という独特の建築様式です。
これは宇佐神宮が発祥であり、後の八幡宮のモデルとなりました。

朱塗りの社殿が青々とした森の中に映える姿は荘厳で、訪れる人々を圧倒します。
また、本殿は国宝に指定されており、社殿の背後には御神体山である「御許山(おもとさん)」がそびえます。


■ 宇佐神宮の見どころ

  • 呉橋(くれはし)
    境内の入り口にかかる太鼓橋で、普段は一般通行できません。神事の際にのみ使用される神聖な橋です。
  • 若宮神社・黒男神社などの摂末社
    宇佐神宮には多くの摂社・末社があり、それぞれに深い信仰と伝承が残されています。
  • 菱形池(ひしがたいけ)
    神功皇后が戦の前に占いを行ったとされる神聖な池です。

■ 八幡神と武士の関係

 平安時代後期から鎌倉時代にかけて、源氏を中心とする武士階級が八幡神を厚く信仰しました。
源頼義・義家父子が戦勝祈願を行い、「八幡太郎義家」という名が生まれたのもこの信仰の証です。

 以後、「武運長久」「国家安泰」「家内安全」の神として、日本全国に八幡宮が勧請されていきました。
 現在では、地域の氏神として親しまれ、各地で「秋の例祭」などが盛大に行われています。


■ 宇佐神宮のご利益

  • 勝負運・仕事運の上昇
  • 国家安泰・家内安全
  • 厄除け・交通安全
  • 縁結び・子宝

 古来より「国家を守る神」として崇められた八幡様は、現代でも人生の節目に訪れる参拝者が後を絶ちません。


■ まとめ

 宇佐神宮は、単なる「八幡神社の総本宮」ではなく、日本の信仰史そのものを映す鏡のような存在です。
 伊勢の天照大神が「天」を司るのに対し、宇佐の八幡神は「地」を司るといわれることもあり、
両社を併せて参拝することで「天地の神々に祈る」とされる伝統も残っています。

 全国に広がる八幡信仰の源流を訪ねる旅として、宇佐神宮はまさに外せない聖地です。
静寂と神気に包まれた森の中で、日本人の信仰の原点に触れてみてはいかがでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました