日本の初代天皇とされる神武天皇の即位から、第10代崇神天皇までの間に位置する第2代から第9代の天皇は、**「欠史八代(けっしはちだい)」**と呼ばれています。
『古事記』や『日本書紀』において、彼らの治世に関する具体的な事績やドラマチックな出来事の記述が極端に少なく、**系譜(血筋)**が主に記されているため、このように呼ばれます。
この記事では、神話時代と歴史時代の橋渡し役となった「欠史八代」の天皇たちと、初期の治世が持つ意味について解説します。
1. 「欠史八代」とは何か?
「欠史八代」とは、以下の8人の天皇を指します。
| 代数 | 天皇名(読み) | 概要 |
| 第2代 | 綏靖天皇(すいぜいてんのう) | 神武天皇の子。 |
| 第3代 | 安寧天皇(あんねいてんのう) | |
| 第4代 | 懿徳天皇(いとくてんのう) | |
| 第5代 | 孝昭天皇(こうしょうてんのう) | |
| 第6代 | 孝安天皇(こうあんてんのう) | |
| 第7代 | 孝霊天皇(こうれいてんのう) | |
| 第8代 | 孝元天皇(こうげんてんのう) | |
| 第9代 | 開化天皇(かいかてんのう) |
彼らの治世について、『古事記』や『日本書紀』では、皇居の所在地と皇后や皇子たちの系譜が簡潔に記されているのみで、具体的な東征や征服、政治的な事件といった物語的な記述がほとんどありません。
📚 なぜ「欠史」と呼ばれるのか?
「欠史」と呼ばれる主な理由は、現代歴史学において以下のように考えられています。
- 系譜の補完: 初代神武天皇の「建国神話」と、第10代崇神天皇以降の「歴史的な事実性が高い記述」との間に、時間的な隔たりがありました。この隔たりを埋め、皇統の連続性を示すために、後から系譜のみが挿入された可能性が高いとされています。
- 物語性の欠如: 『古事記』の編纂目的の一つが「歴史的な正統性の確立」であったため、神武天皇と崇神天皇という重要なターニングポイントの間に、あえて詳細な物語を挿入しなかった、あるいは当時の伝承にそうした物語が存在しなかったと見られています。
2. 治世に記された数少ない事柄
欠史八代の時代には、大きな対外的な動きは記されていませんが、国内的な体制が徐々に整えられていたことが示唆されています。
🏘️ 皇居の移動
各天皇の治世では、皇居が次々と移動したことが記されています。これは、大和地方(現在の奈良県)内の様々な場所に拠点を移しながら、勢力圏を広げ、中央の支配体制を徐々に固めていった過程を反映していると考えられます。
🧎♀️ 氏族の誕生
この時代には、天皇を支える重要な氏族(うじ、有力な同族集団)の祖先となる人々が、天皇の后妃や大臣として登場します。後の有力な豪族たちが、皇室との姻戚関係を通じて、自らの地位の正統性を確立したことを示しています。
3. 次の時代への橋渡し:第10代 崇神天皇
欠史八代の後の第10代崇神天皇(すじんてんのう)の治世は、『古事記』の記述が一変し、具体的な事績と物語性を取り戻します。
崇神天皇は、「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」(初めて国を治めた天皇)という異名を持ち、歴史学上、実在性が高い最初の天皇と見なされることもあります。
彼の治世には、以下のような重要な出来事が記されています。
- 疫病の発生と祭祀の改革: 国内で疫病が流行したため、天照大御神と倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)の祭祀を宮中から出し、別の場所で祀らせるという大がかりな宗教改革を行いました。
- 国威の確立: 四道将軍(しどうしょうぐん)を派遣し、国内の秩序を確立しました。
- 税制の整備: **「民に税を課した」**という記述があり、国家としての統治機構の整備が進んだことを示しています。
💡 まとめ:神話から歴史へ
「欠史八代」の時代は、神武天皇が打ち立てた建国の理念と、崇神天皇以降の実質的な国家体制の確立をつなぐ、**「神話から歴史への移行期」**を象徴しています。
この空白の期間があったからこそ、神々の系譜と人間の統治がスムーズに融合し、後の日本の統一王権が成立する正統性が確立されたと言えるのです。

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