◆はじめに
大分市郊外の静かな山あいに鎮座する「西寒多神社(ささむたじんじゃ)」。
その歴史は古く、『延喜式神名帳』にもその名が記される由緒正しき式内社です。
豊後国の一之宮として古くから朝廷・武将の崇敬を集め、
地元では「おささむたさん」と呼ばれ、地域の人々に親しまれてきました。
社名にある「寒多(ささむた)」とは、“神が降りる山”を意味するといわれ、
古代の太陽信仰・山岳信仰の聖地として知られています。
◆神社の概要
- 名称:西寒多神社(ささむたじんじゃ)
- 鎮座地:大分県大分市大字寒田1644番地
- 社格:豊後国一之宮/延喜式内社/旧県社
- 御祭神:
- 主祭神:天津日高彦火火出見命(あまつひだかひこほほでみのみこと)
- 配神:豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
- 他に鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を合祀
この三柱の神々は、古事記・日本書紀に登場する海幸・山幸の神話に関わる神々です。
つまり、西寒多神社は“神話の舞台を祀る社”でもあるのです。
◆御祭神の神話:山幸彦と豊玉姫の物語
主祭神の**天津日高彦火火出見命(山幸彦)**は、
天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の子にあたり、
兄の海幸彦との釣り針をめぐる物語で知られています。
失くした釣り針を探して海の宮へ向かった山幸彦は、
海神の娘・豊玉姫命と出会い、結ばれます。
そして二人の間に生まれたのが、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)。
その子孫が初代天皇・神武天皇です。
つまり、西寒多神社に祀られる三柱は、
天皇家の祖神に直結する血統を持つ極めて尊い神々なのです。
◆神社の歴史
創建は非常に古く、**第12代景行天皇の御代(西暦100年代ごろ)**とも伝わります。
社伝によると、かつてこの地には「寒多岳(さむたがたけ)」と呼ばれる聖山があり、
太陽神が降臨する神奈備(かんなび)として信仰されていました。
のちに山麓に社殿が築かれ、「西寒多神社」と称されたといわれます。
平安時代には『延喜式神名帳』に名を連ね、
中世には豊後国の守護・大友氏からも厚く崇敬されました。
大友宗麟がキリスト教に傾倒した後も、家臣の間では信仰が絶えなかったと伝わります。
江戸時代には「豊後一之宮」として諸藩から寄進を受け、
明治以降は県社に列し、現在も大分県屈指の格式を誇る神社です。
◆ご利益
西寒多神社は、御祭神の神話に由来し、次のようなご利益があるとされています。
- 縁結び・夫婦円満(山幸彦と豊玉姫の結び)
- 安産・子宝(豊玉姫命の出産伝承)
- 家内安全・繁栄
- 開運招福・厄除け
- 農業・漁業の守護
特に「夫婦神」を祀ることから、良縁や家庭運に関する祈願が多く、
安産祈願や初宮参りで訪れる家族も多いことで知られています。
◆見どころ
◇一の鳥居と杉並木の参道
境内へと続く参道は、古木の杉が立ち並ぶ荘厳な雰囲気。
特に朝霧の立つ時間帯は幻想的で、まるで神々が現れるかのような神気を感じます。
◇拝殿・本殿
拝殿は重厚な入母屋造りで、彫刻も美しく、地元の工匠による技が光ります。
背後にそびえる本殿は、江戸時代の再建ながら威厳を保ち、
「豊後国一之宮」の名にふさわしい格式を今も伝えています。
◇寒多山(かんたさん)
神社の御神体山であり、古くから「太陽の昇る聖なる山」とされてきた霊山。
登山道も整備されており、頂上からは大分市街や別府湾を一望できます。
古代人がこの地に太陽神を祀った理由が、眺望からも納得できるでしょう。
◇御朱印
西寒多神社の御朱印は、中央に力強く「西寒多神社」と墨書され、
神紋の「三つ巴」が押印されたシンプルながら神聖な印影です。
お正月や例大祭には特別御朱印も授与されます。
◆主な祭事
- 例大祭(10月17日):神輿渡御や奉納神楽が行われ、地元の秋祭りとして賑わいます。
- 歳旦祭(1月1日):初詣には県内外から多くの参拝者が訪れます。
- 祈年祭(2月17日):五穀豊穣を祈る神事。
- 夏越大祓(6月30日):茅の輪くぐりで半年の穢れを祓います。
◆アクセス情報
- 所在地:大分県大分市大字寒田1644番地
- アクセス:
JR大分駅から車で約20分
大分自動車道「大分光吉IC」から約10分 - 駐車場:あり(無料・約50台)
◆まとめ
西寒多神社は、古代神話の息づく「豊後国一之宮」として、
太陽と山、そして生命の神々を祀る聖地です。
山幸彦と豊玉姫の愛の物語、そして神武天皇へと続く血脈。
その神話の系譜が、いまもこの静かな山里で生き続けています。
自然と神話が融合した神秘的な空間で、
心を清め、新しい運を呼び込みたい方におすすめの神社です。

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