【神様図鑑】崇徳天皇(すとくてんのう)―日本史上「最も強い怨霊」と呼ばれた天皇―


■崇徳天皇とは

崇徳天皇(在位:1123〜1142)は、平安時代末期の天皇。父は鳥羽天皇、母は藤原璋子(待賢門院)。幼くして即位したが、政治的実権は摂関家・院政により握られ、思うように政務に関われないまま在位を終えました。

その後、鳥羽法皇・後白河天皇の確執、藤原氏を巻き込んだ政治闘争の中で、崇徳院は後継争いから外され、ついに「保元の乱」(1156年)へと至ります。

この乱に敗れた崇徳天皇は、讃岐(香川県)へ配流。
ここから彼の“物語”は、日本史の中でも特に異様な方向へと向かっていきます。


■怨霊伝説と神格化

讃岐での幽閉生活で妻にも会えず、政治的にも完全に隔絶された崇徳院は、後半生を仏典の書写、祈り、そして恨みと絶望の中で過ごしたと言われます。

崇徳天皇は自ら写経を行い、それを朝廷へ献上しましたが、後白河法皇はこれを受け取りませんでした。
この出来事が後年「最大の怨念化の引き金」として描かれます。

その後、崇徳天皇は死後

日本の最大の怨霊

として語られるようになり、京では天災・疫病・政治の混乱が「崇徳院の祟り」と恐れられます。

しかし同時に、鎮魂・慰霊のために崇徳天皇は神として祀られ、いくつかの神社で御祭神となりました。


■崇徳天皇を祀る主な神社

神社名所在地
白峯神宮京都府京都市上京区(崇徳天皇を鎮魂するために創建)
白峯寺香川県坂出市(配流地にゆかり)
安楽寺香川県坂出市(崇徳院御廟所)

特に白峯神宮は、崇徳天皇と淳仁天皇を祀る目的で明治維新後に建立された皇室ゆかりの神社であり、京都における崇徳院鎮魂の中心的存在となっています。


■崇徳天皇のご利益

怨霊として恐れられた崇徳院ですが、神として祀られるようになってからは

  • 厄除け
  • 災厄からの守護
  • 逆境逆転、挽回

といったご利益が伝えられています。
「逆境からの復活」を祈る人にとっては特に強い象徴となり、現代ではスポーツ必勝・芸能上達の信仰も大きく、白峯神宮は球技・スポーツの神としても知られています。


■まとめ

崇徳天皇は「不運の天皇」として歴史に刻まれ、死後は“最強の怨霊”と恐れられた人物です。
しかし、時代を経る中でその魂は鎮められ、今では日本各地で敬われる神となっています。

日本の神道では「怨念で終わらせる」のではなく、祀り・鎮め・敬意を通じて神格化へと転じさせる文化があります。
崇徳天皇の物語は、まさにその象徴的な存在といえます。

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