■ はじめに
日本各地の神社で見かける「茅の輪」や「蘇民将来子孫也」と書かれた札(護符)。
これらの由来となっているのが、古代から伝わる 蘇民将来(そみんしょうらい)神話 です。
この物語は、厄払い・疫病除けの呪符として現在まで広く受け継がれています。
本記事では、蘇民将来の物語の内容、関係する神(素戔嗚尊)、呪符の由来、各地の信仰の広がりまで詳しく解説します。
■ 1. 蘇民将来神話とは
蘇民将来の神話は『備後国風土記』逸文に見られる伝承で、要点は次の通りです。
残念ながら現在、備後風土記の原文は残っていませんが、鎌倉時代末期の『釈日本紀(しゃくにほんぎ)』という書物に、その一部が引用される形で伝えられています。
● 貧しい兄(蘇民将来)と裕福な弟(巨旦将来)
蘇民将来には、裕福だが冷たい弟・**巨旦将来(こたんしょうらい)**がいたとされます。
ある日、旅の途中の 武塔神(むとうのかみ)(後に素戔嗚尊と同一視される)が宿を求め、まず弟の巨旦将来の家を訪れました。
しかし巨旦は旅人を冷たく追い払います。
● 貧しい蘇民将来の「もてなし」
武塔神は次に兄・蘇民将来の家へ。
蘇民は貧しいながらも誠心誠意もてなし、寝床や食事を提供しました。
その心に深く感動した武塔神は、後日、恩返しに蘇民将来の家を訪れ、こう告げます。
「来年、疫病が国を襲う。お前たちは茅(ちがや)で輪を作り、腰につけよ。
それが災厄から身を守る護りとなる。」
● 災厄は巨旦将来一族へ
一年後、予告どおり疫病が流行。
茅の輪を身につけていた蘇民将来一族だけは無事で、巨旦将来の家族は全滅しました。
このことから、武塔神は次の言葉を残したとされます。
「吾は蘇民将来の子孫なり、といえば災いを免れるであろう」
この宣言が現在の護符「蘇民将来子孫也」に繋がっています。
■ 2. 蘇民将来と素戔嗚尊の関係
武塔神(むとうのかみ)は、のちに 素戔嗚尊(スサノオノミコト) と同一視されるようになりました。
- 武塔 → 武塔天神 → 牛頭天王
という信仰変遷を経て、
明治以降は 素戔嗚尊に統合されて現在に至ります。
よって蘇民将来神話は、
「素戔嗚尊が蘇民将来を守護した物語」 として扱われることが多く、
疫病除けの神・牛頭天王の信仰とも深く関わります。
■ 3. 「蘇民将来子孫也」の護符と茅の輪の由来
● 茅の輪(ちのわ)
神話に登場する“茅(ちがや)で作った輪”がその原型。
現在は6月と12月に多くの神社で行われる 「茅の輪くぐり」 の元となっています。
● 蘇民将来の護符
神社の授与所で見られる
「蘇民将来子孫也」
と記された札・スサノオ紋の護符は、
「自分は蘇民将来の子孫である」
と名乗ることで災厄を避ける
という神話がそのまま反映されたもの。
特に疫病除けの象徴とされ、家や玄関、祭具に付ける地域も多いです。
■ 4. 蘇民将来信仰が残る代表的な神社
蘇民将来信仰は日本各地へ広がり、特に「スサノオ」や「牛頭天王」を祀る神社に多く残ります。
●(1)八坂神社(京都)
- 祇園祭で知られる全国の“祇園信仰”の総本社
- 牛頭天王・素戔嗚尊の疫病除け信仰が中心
- 蘇民将来護符・粽の配布などが有名
●(2)津島神社(愛知・津島市)
- 全国3000以上の天王社の総本社
- 「天王祭」では蘇民将来信仰が色濃い
- 蘇民将来札が授与される
●(3)祇園社系神社・天王社
全国の祇園祭・天王祭で粽(ちまき)や護符として蘇民将来の言葉が配布される。
●(4)備後地方(広島)
風土記の伝承地として特に深い。
千田町などには蘇民将来ゆかりの地名・伝承が多く残っています。
■ 5. 蘇民将来神話の意味 ― 日本人の「厄除けの源流」
蘇民将来の物語が現代まで愛される理由は、非常に象徴的です。
● ① 「貧しくても、誠の心が神に伝わる」
冷たい巨旦将来より、貧しくても真心を尽くした蘇民が救われたという
倫理的な寓話 として人気があります。
● ② 「疫病除けの原型」
茅の輪くぐり、祇園祭、蘇民将来札など、
日本の厄除け文化の大半がこの神話に由来します。
● ③ 「神の庇護は名乗りに宿る」
「蘇民将来の子孫也」と名乗るだけで守護されるという
言霊信仰的な特徴 を持ち、民間信仰として広く浸透しました。
■ 6. まとめ
蘇民将来神話は、素戔嗚尊(武塔神)と貧しい蘇民将来との出会いから始まる
日本古来の疫病除けのルーツ といえる物語です。
- 茅の輪の起源
- 蘇民将来護符
- 祇園信仰の基礎
- 神の加護は真心に宿るという教訓
これらすべてが、この神話と密接に関係しています。


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