「石垣の城」と称される現存天守の名城
香川県丸亀市にそびえる**丸亀城(まるがめじょう)**は、
現存12天守のひとつであり、日本一高い石垣を誇る城として知られています。
四国に現存天守を持つ城は、
- 丸亀城
- 松山城
- 宇和島城
- 高知城
の4城のみ。その中でも丸亀城は、
石垣の美しさと構造美において突出した存在です。
丸亀城の基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 城名 | 丸亀城 |
| 別名 | 蓬莱城 |
| 所在地 | 香川県丸亀市一番丁 |
| 築城 | 1597年(慶長2年) |
| 築城者 | 生駒親正 |
| 天守 | 現存天守(国重要文化財) |
| 城郭形式 | 平山城 |
| 日本百名城 | 第77番 |
築城のはじまり ―― 生駒氏による城づくり
丸亀城の築城は、戦国末期の1597年。
讃岐国を支配していた生駒親正によって始まりました。
当時の丸亀は、瀬戸内海交通の要衝であり、
- 海上交通の監視
- 瀬戸内支配の拠点
- 四国経営の要
として、極めて重要な立地でした。
しかし、完成を見ないまま生駒氏は讃岐を離れ、
城は一時的に廃城となります。
江戸時代 ―― 丸亀藩成立と城の本格整備
京極氏の入封
1615年(一国一城令)後、
**京極高和(きょうごく たかかず)**が丸亀藩6万石の藩主として入封。
京極氏は丸亀城を藩の政治・軍事の中枢と定め、
本格的な城郭整備を行いました。
天守の完成
現在残る天守は、
1660年(万治3年)頃に完成したものと考えられています。
この天守が、改築・再建されることなく現存している点は、
丸亀城の大きな価値です。
丸亀城天守の構造と特徴
① 日本最小級の現存天守
丸亀城天守は、
- 三層三階
- 高さ約15m
と、現存天守の中でも最小クラス。
しかしその小ささが、
- 石垣との対比
- 城全体の均整美
を際立たせています。
② 実戦的な造り
外観は装飾を抑えた質実剛健な姿。
- 鉄砲狭間
- 矢狭間
- 急勾配の階段
など、防御機能を重視した設計が随所に見られます。
丸亀城最大の見どころ ―― 圧倒的な石垣
日本一の高さを誇る石垣
丸亀城の石垣は、
最高約60mにも達します。
これは城郭石垣としては日本一。
高石垣が生む視覚的迫力
山全体を覆うように、
- 帯曲輪
- 二の丸
- 三の丸
が階段状に配置され、
それぞれを高石垣が支えています。
見上げた時の迫力は、
他の城では味わえない圧巻の景観です。
石垣技術の集大成
石垣は主に、
- 野面積み
- 打込接ぎ
- 切込接ぎ
が混在しており、
築城技術の進化を一城で確認できる点も評価されています。
丸亀城と瀬戸内海
丸亀城は内陸の城に見えますが、
築城当時は海に面した海城的性格も持っていました。
- 丸亀港を監視
- 船運・物流の管理
- 瀬戸内防衛
これらの役割を担い、
陸と海を結ぶ拠点城郭だったのです。
丸亀城と京極家
京極氏は、
近江・若狭などを治めた名門守護大名。
丸亀藩では、
- 城下町の整備
- 治水事業
- 産業振興
を進め、城と城下町は一体的に発展しました。
現在の丸亀市街地は、
その城下町構造を色濃く残しています。
城下町と文化 ―― 丸亀の発展
丸亀は江戸時代を通じて、
- 海運の拠点
- 讃岐平野の物流中心
として栄えました。
また、近代以降は、
- 丸亀うちわ
- 讃岐うどん文化
といった地域文化も育まれています。
丸亀城の保存と修復
近年、石垣の崩落なども経験しましたが、
現在は伝統工法による丁寧な修復が進められています。
これは単なる復旧ではなく、
- 石材の選定
- 積み直し技術
- 歴史的景観の維持
を重視した、本格的な文化財保護事業です。
丸亀城が語る城の本質
丸亀城は、
- 大天守ではない
- 豪華な装飾もない
しかし、
- 石垣
- 地形
- 配置
によって、
城とは何かを雄弁に語る名城です。
まとめ ―― 「小さな天守、大きな城」
丸亀城は、
- 日本一の高石垣
- 現存天守
- 瀬戸内を見渡す立地
という、唯一無二の価値を持っています。
天守の小ささに驚き、
石垣の巨大さに圧倒される――
その対比こそが、丸亀城最大の魅力です。
石垣好き、城郭好きなら必訪の一城。
それが、丸亀城です。


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