「日本三大平山城」に数えられる名城
愛媛県松山市の中心部、**標高約132mの勝山(かつやま)**に築かれた
**伊予松山城(いよまつやまじょう)**は、
江戸時代初期の城郭構造をほぼ完全な形で今に伝える、日本屈指の名城です。
- 現存12天守のひとつ
- 日本三大平山城
- 城山全体に残る完全な縄張
これらの点から、伊予松山城は
**「近世城郭の教科書」**とも称されています。
伊予松山城の基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 城名 | 伊予松山城 |
| 別名 | 松山城、金亀城 |
| 所在地 | 愛媛県松山市丸之内 |
| 築城 | 1602年(慶長7年) |
| 築城者 | 加藤嘉明 |
| 天守 | 現存天守(国重要文化財) |
| 城郭形式 | 平山城 |
| 日本百名城 | 第81番 |
築城のはじまり ―― 賤ヶ岳七本槍・加藤嘉明
伊予松山城を築いたのは、
加藤嘉明(かとう よしあき)。
彼は、
- 豊臣秀吉に仕え
- 賤ヶ岳の戦いで武功を挙げ
- 「賤ヶ岳七本槍」の一人に数えられた名将
関ヶ原の戦い後、
伊予国20万石の大名として入封し、
新たな城として松山城の築城を開始しました。
城の完成 ―― 江戸初期を代表する城郭
築城は1602年に始まり、
天守の完成は1627年(寛永4年)。
これは、
- 戦国の城から
- 江戸時代の城へ
と移行する過渡期の完成形とも言える城郭です。
伊予松山城最大の特徴 ―― 連立式天守
日本でも稀な「完全な連立式天守」
伊予松山城の天守は、
大天守・小天守・櫓・廊下が連結された
連立式天守です。
現存天守でここまで完全な形を残す城は極めて少なく、
- 防御力
- 視認性
- 指揮統制
すべてを兼ね備えた構造となっています。
大天守の構造
- 五層六階(地下一階)
- 外観三重・内部五階
- 白漆喰と黒板張りの対比が美しい
外観は優美ですが、
内部は極めて実戦的で、
梁や柱は太く、装飾は最小限に抑えられています。
天守内部の見どころ
急勾配の階段
戦時に敵の侵入を防ぐため、
- 階段は非常に急
- 段差も不均一
防御を最優先にした設計です。
狭間と石落とし
鉄砲狭間・矢狭間が多数設けられ、
天守台には石落としも備えています。
これは、
天守が最後の籠城拠点であることを明確に示しています。
城山全体に広がる「完全な縄張」
伊予松山城の価値は、
天守だけにとどまりません。
本丸・二の丸・三の丸
山全体を利用し、
- 本丸
- 二の丸
- 三の丸
が段階的に配置されています。
現存する櫓群
城山には現在も、
- 筒井門
- 太鼓門
- 隠門
- 巽櫓
- 筒井櫓
など、多くの櫓・門が残ります。
これほど城郭全体が現存する例は全国でも稀です。
石垣 ―― 技術の集積地
伊予松山城の石垣は、
- 野面積み
- 打込接ぎ
- 切込接ぎ
が混在し、
築城技術の変遷を一城で確認できます。
特に、
- 曲線を描く高石垣
- 地形に沿った石積み
は、芸術性と実用性を兼ね備えた名品です。
城下町・松山の形成
松山城を中心に、
- 武家町
- 商人町
- 寺町
が計画的に配置され、
現在の松山市中心部の基礎が築かれました。
松山城と松平家
江戸時代後期、
城主は松平(久松)家となります。
松平家は徳川家康の親族であり、
松山藩は幕府にとっても重要な拠点でした。
このため松山城は、
- 大規模な改修を受けず
- 江戸初期の姿を保ったまま
近代まで存続します。
明治以降と保存の歴史
明治維新後、多くの城が破却される中、
松山城は奇跡的に主要建造物を残しました。
- 天守・櫓は国重要文化財
- 城山全体は史跡指定
現在も、
生きた城郭遺産として保存されています。
伊予松山城が特別な理由
- 連立式天守という希少な構造
- 城郭全体がほぼ完全な形で残存
- 平山城の完成形を体現
- 城下町と一体となった都市構造
これらすべてを備える城は、
日本全国を見渡しても多くありません。
まとめ ―― 「城が、城として完成した場所」
伊予松山城は、
- 戦国の荒々しさ
- 江戸の秩序と美
その両方を併せ持つ城です。
天守を見上げ、
城山を歩き、
城下町を巡ることで、
「城とは何か」
その答えが自然と見えてきます。
現存天守を訪ねるなら、
必ず候補に入れるべき一城――
それが、伊予松山城です。


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