はじめに
本記事では、伊勢神宮の成立と深く関わる古典資料倭姫命世記 に記された原文のうち、内容を損なわないよう丁寧に現代語訳いたします。
本書は、天照大神の御鎮座までの経緯、倭姫命の巡幸、伊勢神宮創祀の神話的由来を伝える、極めて重要な神道文献です。
以下、章ごとに【原文内容の流れに沿って】現代語訳を行います。
【天孫降臨】現代語訳
天地が初めて開けたころ、最初に日が昇ったとき、
御饌都神(みけつかみ)と大日霊貴(おおひるめのむち=天照大神)は、目には見えない神聖な契りを結ばれました。
そしてこう誓われました。
- 永遠に天下を照らし治めよう
- 月となり日となって常に輝こう
- 神となり皇(すめろぎ)となって永遠に窮まることなく続こう
その光が国々を照らし始めると、高天原にとどまっておられた皇祖神・神漏岐命と神漏美命は、八百万の神々を天上に集めて神議り(神の会議)を行いました。
そこで決定されたのは、
「葦原の中つ国は、我が子孫が王として治める国である。
安らかで平和な国として、皇孫に天降りさせよ」
という神意でした。
しかし地上には荒ぶる神々がいました。
まず天穂日命が派遣されましたが、復命せず。
次の建三熊命も同様。
天若彦も使命を果たさず、ついに命を落としました。
そこで経津主命と建雷命の二神が降臨します。
二神は大己貴神(大国主神)とその子・事代主神に交渉し、
国造りの象徴である広矛を受け取り、荒ぶる神々を鎮めました。
こうして
「葦原の中つ国はすべて平定された」
と復命したのです。
三種の神器の授与
天照大神は皇孫に三種の神器を授けました。
- 八坂瓊の勾玉
- 八咫鏡
- 草薙剱
そしてこう宣言されました。
「この鏡を私と思いなさい。
天と地が続く限り皇統は栄える」
天津彦火瓊々杵尊(ニニギ命)は高千穂へ天降り、
そこから非常に長い年月、天下を治めたとされます。
(※年数は神話的象徴表現)
【神武天皇】現代語訳
神武天皇は、生まれながら賢明で強く、15歳で皇太子となりました。
45歳のとき、
「この国は天照大神から授かった国である。
我々はその意志を継ぐ存在である」
と述べ、東征を開始します。
橿原に都を築き、三種の神器を奉じて天下を治めました。
神武から開化天皇までの九代は、
神と人との境がまだ近く、同殿共床であった
と記されています。
【崇神天皇・豊鋤入姫命】
崇神天皇は、天照大神と草薙剱を笠縫邑へ遷し、皇女・豊鋤入姫命に奉斎させました。
これが皇室内祭祀から外部祭祀への転換の始まりです。
神威を畏れ、「共に住むのは安からず」となり、神器の分身(内侍所の鏡剱)を新たに鋳造しました。
【倭姫命】現代語訳
豊鋤入姫命は、
「私は役目を全うできない」
と述べ、姪の倭姫命に託しました。
倭姫命は天照大神を奉戴し、各地を巡幸します。
宇多、伊賀、近江、美濃、尾張、伊勢などを巡り、その土地の神々から
- 神田
- 神戸
- 御贄地
を奉納されました。
荒ぶる神を鎮め、社を定め、地名の由来を与え、神宮祭祀の基盤を整えていきます。
【伊勢鎮座】
ついに倭姫命は五十鈴川上に到ります。
天照大神は夢で告げられます。
「ここが私の望んだ宮処である」
倭姫命は荒草を刈り、柱を立て、
- 天御柱(心御柱)
- 大宮柱
- 千木高知る神殿
を建てました。
こうして
伊勢神宮(内宮)創建
が成されたのです。
倭姫命は
「朝日向かう国、夕日向かう国、風音も波音も穏やかな国」
と伊勢を寿ぎました。
【伊雑宮・瀧原宮・二見】
伊雑宮は、志摩における御贄地の由来を伝えます。
白鶴が稲を啄み、千穂に実った奇瑞を神意と解釈し、それを神宮へ奉納したのが
「千税の始まり」
とされます。
これが現在の
- 伊雑宮(内宮別宮)
- 志摩御食つ国伝承
の起源です。
総括
本書は単なる神話ではなく、
- 皇統正統性の神学的根拠
- 伊勢神宮創建の神意証明
- 各地豪族の祭祀参加の正当化
- 地名・社名の由来伝承
を体系化した宗教史料です。
倭姫命は単なる皇女ではなく、
神意を読み取り、神を鎮め、地を聖化する祭祀王女
として描かれています。

コメント