はじめに
神社とお寺。日本人にとって馴染み深い二つの宗教施設ですが、じつはかつてこの両者は明確に分かれていなかった時代がありました。
それが「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」という歴史的な宗教融合の形です。
今回は、神社を訪ねる際にも知っておきたい「神仏習合」について、やさしく、そして深く解説していきます。
1.神仏習合とは?
神仏習合とは、神道の神々と仏教の仏さまが一体と考えられ、日本独自の宗教観が形成された状態のことを言います。
仏教が伝来した6世紀以降、日本に元々あった神道と仏教が徐々に融合し、神も仏も共に祀られるようになっていきました。
たとえば、有名な神社にお寺が併設されていたり、「○○権現」という名称が用いられるのも神仏習合の名残です。
2.神仏習合の始まり
- 仏教伝来(6世紀)
仏教は朝鮮半島を経由して日本に伝えられました。初めは外来宗教として警戒されましたが、貴族層に受け入れられ、次第に広がります。 - 神は仏の化身?(本地垂迹説)
やがて「仏が神の本体(本地)であり、神は仏が日本の人々を救うために姿を変えた(垂迹)ものだ」という考え方が広まりました。これが「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」です。
例えば、天照大神の本地仏は大日如来、春日大社の神は十一面観音というふうに、神と仏が対になる形で信仰されました。
3.神仏習合の実例
■ 熊野三山(和歌山県)
熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社では、仏教の観音信仰と神道の神々が融合して信仰されていました。熊野権現という名称はその名残です。
■ 日光東照宮(栃木県)
東照大権現=徳川家康を祀る神社でありながら、かつては輪王寺と一体となった形で運営されていました。
■ 宮寺(ぐうじ)
神社の境内にお寺がある形式で、「神宮寺(じんぐうじ)」とも呼ばれました。お坊さんが神社の祭祀にも関わっていました。
4.神仏分離と廃仏毀釈
明治時代になると、政府は近代国家体制を整える中で「神道を国教」としようとします。
その結果、**神仏習合を解消し、神と仏を分離する政策=神仏分離令(1868年)**が発令されました。
この時、全国で多くの仏像やお寺が破壊された「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」が起こり、神仏習合の文化は大きな打撃を受けました。
5.現代に残る神仏習合の痕跡
現在でも神仏習合の名残は各地に残っています。
- 神社名に「権現」がつく(例:日光東照宮、熊野権現)
- 神社境内に仏像がある
- 神道と仏教の年中行事が混在(例:地蔵盆、節分)
神社巡りをする際には、こうした神仏習合の痕跡を探す楽しみも、知識があればより深く味わえます。
おわりに|神仏習合は“日本らしさ”の象徴
神仏習合は、異なる宗教を排斥するのではなく、調和し融合させてしまう日本人の宗教観や柔軟性の現れとも言えます。
現代の神社やお寺に息づくこの「習合の精神」を知ることは、日本の信仰文化をより深く理解する第一歩になるでしょう。
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