――稲荷神社と渡来系氏族・秦氏はなぜ結び付けられるのか
はじめに
伏見稲荷大社を総本宮とする稲荷信仰は、日本でもっとも広がりを見せた信仰の一つです。一方、古代日本史において特異な存在感を放つ渡来系氏族「秦氏(はたうじ)」は、稲荷神社の成立・発展に深く関与したのではないかと、古くから指摘されてきました。
本記事では、
- なぜ秦氏が稲荷神社と関係づけられるのか
- その根拠はどこにあるのか
- 秦氏の存在が稲荷信仰にどのような影響を与えたのか
これらを、神話・史料・地理・信仰構造の観点から詳しく解説します。
1.秦氏とは何者か ― 渡来系氏族の概要
◆ 出自
秦氏は『新撰姓氏録』において
「秦公、始皇帝之後也」
と記され、中国(秦・漢王朝系)を祖とする渡来系氏族とされています。
ただし、実際には
- 朝鮮半島経由
- 百済・新羅系技術集団
であった可能性も指摘されており、**「高度な技術を持つ移住民集団」**という理解が現在では一般的です。
◆ 特徴
秦氏の最大の特徴は次の点にあります。
| 分野 | 内容 |
|---|---|
| 農業 | 灌漑・治水・新田開発 |
| 技術 | 養蚕・機織・金属加工 |
| 経済 | 貨幣・流通・財務管理 |
| 信仰 | 外来信仰と在来信仰の融合 |
これらは、稲作・富・繁栄を司る稲荷信仰と極めて親和性が高い要素です。
2.稲荷信仰の原点 ― 稲作と霊山信仰
◆ 稲荷大神の本質
稲荷大神は、単なる「狐の神」ではなく、もともとは
- 稲(穀霊)
- 山の神(水源神)
- 生産と循環の神
という性格を併せ持つ神です。
伏見稲荷の稲荷山は、
- 水が湧き
- 谷が多く
- 稲作に適した地形
を備えており、農業技術者集団が拠点とするには最適な場所でした。
3.秦氏と伏見・太秦 ― 地理的な一致
◆ 本拠地の重なり
秦氏の本拠地は、
- 山城国葛野郡(現在の京都市右京区・伏見区一帯)
- 特に「太秦(うずまさ)」
この地域は、
といった重要社寺が集中する場所です。
秦氏の居住域と、稲荷信仰の中心地がほぼ重なっている
これは偶然とは考えにくいとされます。
4.稲荷神社と秦氏が結び付けられる理由
理由①:稲作・治水技術との一致
秦氏は
- 水路整備
- 洪水防止
- 新田開発
に卓越していました。
稲荷信仰の本質が稲作の成功=富の創出である以上、
稲荷大神を祀る主体として秦氏が関与した
と考えるのは自然です。
理由②:伏見稲荷創建伝承との整合性
伏見稲荷大社の創建は
- 和銅4年(711年)
- 秦伊呂具(はたのいろぐ)が稲荷山で神を祀った
という社伝があります。
この「秦伊呂具」という人物名が、
秦氏と稲荷信仰の直接的な接点とされています。
理由③:松尾大社との関係
松尾大社は
- 秦氏の氏神
- 酒造・農耕・水の神
として知られます。
松尾大社と伏見稲荷は
- 信仰内容
- 祭祀構造
- 立地
に共通点が多く、
秦氏が複数の農耕神信仰を体系化した可能性が指摘されています。
5.「狐」と秦氏 ― 外来文化の影響
稲荷信仰における「狐」は、日本固有というよりも、
- 中国の霊獣思想
- 変化(へんげ)・境界の象徴
の影響が強いとされます。
秦氏が持ち込んだ
- 陰陽思想
- 霊獣信仰
が、
稲荷大神の神使として「狐」が定着する下地
になったという見方もあります。
6.秦氏が稲荷信仰に与えた影響
◆ 信仰の「拡張性」
秦氏は各地に移住・分布しており、
そのネットワークを通じて
- 稲荷信仰は地方へ拡散
- 地域神と習合
- 商業神・職能神へ変化
していきました。
◆ 商売繁盛神への変化
稲荷信仰が
- 農業神 → 商業神 → 都市信仰
へと変化した背景には、
秦氏の経済・流通感覚が影響したと考えられます。
7.史料上の限界と学説の注意点
重要な点として、
- 「秦氏が稲荷神社を創建した」と断定できる一次史料は存在しない
- あくまで
- 地理的一致
- 伝承
- 機能的整合性
から導かれる蓋然性の高い仮説であることは明記すべきです。
しかし同時に、
これほど条件が重なる例は古代氏族史でも稀
とも言えます。
まとめ
稲荷信仰と秦氏の関係は、
- 稲作・治水技術
- 地理的分布
- 創建伝承
- 信仰内容の親和性
という複数の要素が重なり合うことで、
極めて強い関連性を示しています。
稲荷大神は単なる「狐の神」ではなく、
渡来系技術と日本的神観が融合した象徴的存在
であり、
秦氏はその融合を実現した媒介者であった可能性が高いと言えるでしょう。

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