
こんにちは、みなさんは
「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」
「伊勢へ七たび、熊野へ三たび、お多賀さまへは月まいり」
という歌を聞いたことはありますか?
これは近江地方を中心に広まる歌で、多賀大社参詣を促すために広まったとされています。
伊勢神宮で「御師」と呼ばれる人たちが、伊勢神宮の参詣を促すのと同様に、同じころ多賀大社参詣を促す多賀講も組織され、多賀大社を参拝する人も大きく増加したとされています。
今回は古くから人々の信仰を集め、戦国武将豊臣秀吉公とも関わりの深い多賀大社についてご紹介していきます。
多賀大社には見どころが多く、記事が長くなってしまうため、別ページを多く作成しました。
多少記事が見にくくなってしまったこと、本当に申し訳ありません。(*´з`)
「趣味は神社めぐり」ではみなさんの全力参拝を応援しています。(∩´∀`)∩
ちなみに初めにご紹介した「お伊勢はお多賀の子でござる」という内容について、それぞれの神社の主祭神が
●伊勢神宮=天照大神
●多賀大社=伊邪那岐大神・伊邪那美大神
となっており、天照大神が伊邪那岐と伊邪那美の子供であることから、「お多賀の子でござる」と歌われたとされています。( ´_ゝ`)
住所 :〒522-0341 滋賀県犬上郡多賀町多賀604
電話 :0749481101
社務所 : 9:00~16:00
公式HP:http://www.tagataisya.or.jp/
Wiki :多賀大社 – Wikipedia
■ 「お多賀さん」と呼ばれる古社

滋賀県犬上群多賀町に鎮座する**多賀大社(たがたいしゃ)**は、「お多賀さん」の名で親しまれる、古くからの名社です。
712年に編纂された『古事記』の写本のうち、真福寺本によれば、
「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」
との記載があり、この文を現代語に訳すと、
「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」
(いざなぎのおおかみは あふみのたがに ましますなり)
となります。
この訳によれば、
「伊邪那岐大神が淡海の多賀においでになる」
と読むことができ、この多賀というのが多賀大社なのではないかという説があります。
しかし『日本書紀』では同様の部分に
「構幽宮於淡路之洲」
との記載されています。
この文を現代語に訳すと
「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて」
となり、国産み・神産みを終えた伊邪那岐尊が、最初に生んだ淡路島の地に幽宮(かくりみや、終焉の御住居)を構えたことになり、『古事記』真福寺本の「淡海」は「淡路」の誤写であるとの説もあるそうです。
幽宮が多賀大社なのか、伊邪那岐宮なのか、現段階では断定するとこができませんが、多賀大社も伊弉諾神宮と共に幽宮の可能性があることを把握しておきましょう。(*’▽’)
■ 御祭神(伊邪那岐大神・伊邪那美大神)

- 伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)
- 伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)
多賀大社の御祭神である二柱は、日本列島を生み出し、八百万の神々を誕生させた国産み・神産みの神。
まさに「日本の父母神」といえる存在です。
そのため多賀大社は、「命の根源を司る神社」として、古来より病気平癒・延命長寿・夫婦和合の祈りが絶えません。
■ 由緒と歴史




創建年代は定かではありませんが、『古事記』『日本書紀』に記される国産みの神を祀ることから、神代の昔に起源をもつと伝わります。
平安時代には「延喜式神名帳」にも名を連ねる名神大社として記録され、「お伊勢参りならお多賀参り」と言われるほど、伊勢神宮と並び称される信仰を集めました。
特に室町時代以降、「お多賀杓子(しゃくし)」と呼ばれる土産物が全国に広まり、「多賀詣で」は庶民の間でも親しまれる旅の目的地となりました。
また、江戸時代には徳川家康が関ヶ原の戦いの戦勝祈願を行い、勝利後に多賀大社へ社領を寄進したという伝承も残ります。
■ 社殿と境内の見どころ
境内に鎮座する境内社15社
多賀大社の境内には、多くの摂社末社が鎮座しており、その数は15社にも上ります。
主な見どころ
多賀大社の境内には太閤橋、寿命石、お多賀しゃくし、など多くの見どころがあります。
| 寿命石(じゅみょういし) | 平安の昔、東大寺の再建を命ぜられた俊乗坊重源が参詣し、20年の寿命を授かった由緒を伝える石 | |
| 太閤橋(たいこうばし) | 太閤秀吉が母の大政所の病気平癒を願い全快したお礼に奉納した橋 | |
| 奥書院庭園(おくしょいんていえん) | 太閤橋と同様に大政所の病気平癒のお礼に奉納した庭園 | |
| 太閤秀吉祈願文(たいこうひでよしきがんぶん) | 太閤秀吉が母の大政所の病気平癒を願った祈願文とされる | |
| 遠藤喜右衛門の信仰 | 浅井長政の家臣遠藤喜右衛門は来るべき信長軍との戦いを前にして歌仙絵を奉納しています。また多賀大社の梵鐘には、浅井長政の幼少期の名前が入っているようです。 | |
| 信玄の厄除祈願 | 武田信玄が25歳の厄年に黄金を奉納し、厄除けを祈願した。 | |
| 調馬・厩馬図屏風 | 国の重要文化財に指定される屏風で、特別展等で公開されることがあります。 | |
| お多賀しゃくし(おたがしゃくし) | 元正天皇の病気に際し、当時の神主が強飯を炊き、しでの木で作った杓子を献上したところ、天皇はたちまち病気が平癒し、無病息災の縁起物と言われるようになりました。 「おたまじゃくし」の語源とも言われています。 |
詳しくは別の記事でまとめていますので、そちらの記事もご覧ください。
■ 多賀信仰と御利益
多賀大社の信仰は、「延命長寿」「縁結び」「厄除け」を中心に、古くから広がってきました。
御神徳の象徴は、「命の親神」。
「この命をいただいたことへの感謝」から生まれた信仰であり、長寿や健康を祈る人々が全国から訪れます。
主な御利益:
- 延命長寿
- 病気平癒
- 縁結び・夫婦和合
- 家内安全
- 厄除け・開運
また、古くは「お伊勢参り」の帰りに「お多賀さんに詣でる」と良いとされ、人生を見つめ直す巡礼の締めくくりとしても尊ばれました。
多賀大社と関わりのある偉人達
豊臣秀吉
母親の大政所の病気平癒を祈願し米1万石を奉納
多度大社の太閤橋、奥書院庭園はその奉納によって築造されたとされています。
武田信玄
25歳の厄年に厄除祈願を行い、多度大社に黄金を奉納したとされています。
浅井長政
境内にのこる鐘楼に名前の記載があり
寺院としての側面
多賀大社は江戸時代まで、神社とお寺の両方の顔を持ち、多賀大社の境内には不動院、般若院、成就院、観音院等、四つの神宮寺があったと言われています。
今も境内には般若院跡と書いた立て看板や、鐘楼が残っており、鐘楼は当時の寺院の名残とされています。
確かに神社に鐘があると少し違和感を感じます。(*’▽’)
また多賀大社の御祭神である伊邪那岐大神は「阿弥陀如来」と同一とされ、仏様の姿(木造阿弥陀如来坐像)で祀られていたそうです。
明治時代に入り、1868年に神仏分離令が施工されてからは境内の不動院は廃され、院にあった阿弥陀如来像も雨ざらしとなったと伝えられています。
その姿をご不憫に思った真如寺の住職がこの阿弥陀如来をもらい受け、阿弥陀如来はこの真如寺の御本尊となったそうです。
■ アクセス
- 所在地:滋賀県犬上郡多賀町多賀604
- アクセス:近江鉄道「多賀大社前駅」から徒歩約10分
- 駐車場:あり(有料・大型バス対応)
■ まとめ
多賀大社は、🌸 命の神・夫婦の神・長寿の神を祀る、滋賀を代表する聖地です。
古来より「お多賀さん」と親しまれ、「生きること」「つながること」「感謝すること」の大切さを教えてくれる場所でもあります。
心を整え、人生の節目を迎えるときに訪れたい――
そんな温かく、力強いエネルギーを感じられる神社です。


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