【神社めぐり】鎌倉宮 ― 悲運の皇子・護良親王を祀る、鎌倉の静寂に佇む社

鎌倉市二階堂の山あいにひっそりと佇む**鎌倉宮(かまくらぐう)は、
南朝の忠臣として知られる
護良親王(もりながしんのう)**を祀る神社です。

鎌倉幕府滅亡から南北朝の動乱へと続く時代の中、
理想の国家を夢見た皇子の志と悲劇が、今もこの地に静かに息づいています。


◇ 鎌倉宮の概要

  • 所在地:神奈川県鎌倉市二階堂154
  • 創建:明治2年(1869年)
  • 御祭神:護良親王(もりながしんのう)
  • 社格:旧官幣中社
  • 別称:大塔宮(だいとうのみや)

この神社は、明治天皇が護良親王の忠義を顕彰するために創建を命じた、
明治創建の“勅願社”です。

護良親王は後醍醐天皇の皇子であり、鎌倉幕府討幕の中心人物の一人。
一時は征夷大将軍にも任ぜられましたが、やがて時代の波に呑まれ、
鎌倉の地で非業の最期を遂げました。


◇ 御祭神 ― 護良親王とは

護良親王(もりながしんのう)は後醍醐天皇の皇子として生まれ、
南北朝時代の幕開けに大きく関わった人物です。

出家して「大塔宮」と号し、比叡山の僧兵を率いて幕府討伐を画策。
元弘の乱で父・後醍醐天皇と共に戦い、鎌倉幕府を滅ぼす原動力となりました。

しかし、足利尊氏との対立が激化し、
尊氏の弟・直義によって鎌倉の東光寺に幽閉。
その後、謀殺されたと伝わります。享年28。

護良親王の悲運の最期は「忠義と理想に殉じた皇子」として語り継がれ、
明治時代、維新を成し遂げた明治天皇がその忠節を讃え、鎌倉宮を創建しました。


◇ 創建の由緒

明治2年(1869年)、明治天皇は護良親王の忠誠を顕彰するため、
幽閉・崩御の地である鎌倉二階堂に鎌倉宮を創建するよう勅命を下しました。

神社の設計は伊東忠太が担当し、古式ゆかしい社殿が建立されました。
以後、鎌倉宮は「忠義を尽くした者を祀る社」として、
国家安泰・忠誠心・開運招福を祈る人々に崇敬されています。


◇ 境内の見どころ

● 本殿・拝殿

木造の美しい社殿は、明治初期の勅願社らしい荘厳さと簡素さが共存しています。
拝殿前の「大塔宮」の文字は、護良親王の通称に由来しています。

● 土牢(どろう)

護良親王が幽閉されたと伝わる土牢跡が、境内奥に保存されています。
わずかに光が差し込む暗い空間には、当時の悲劇を偲ばせる静寂が漂います。
この土牢は鎌倉宮の象徴的な史跡のひとつです。

● 厄割り石(やくわりいし)

願いを込めた土玉を投げて割ると厄が祓われるとされる「厄割り石」。
参拝者に人気のスポットで、厄除けや開運のご利益があると伝えられます。

● 鎌倉宮宝物殿

護良親王ゆかりの甲冑・刀剣・古文書などが展示され、
南北朝時代の歴史を身近に感じることができます。
とくに「護良親王の兜」は必見の一品です。


◇ ご利益

  • 厄除開運
  • 勇気・正義感の向上
  • 目標達成・心願成就
  • 勝負運上昇

護良親王の生き様から、「逆境に立ち向かう力」や「信念を貫く強さ」を授かる神として信仰されています。
とくに試験・就職・経営者など、“挑戦する人”に人気の神社です。


◇ 四季の風景と行事

  • :桜が境内を彩り、護良親王の御霊を慰めるように咲き誇ります。
  • :緑豊かな森に包まれ、静かな参道が涼を誘います。
  • :紅葉が社殿を染め、幻想的な光景が広がります。
  • :雪化粧した社殿が荘厳な美しさを放ちます。

主な行事には、

  • 例大祭(10月)
  • 初詣(1月)
  • 鎌倉まつり(4月)での流鏑馬奉納 などがあります。

◇ アクセス

  • 所在地:神奈川県鎌倉市二階堂154
  • アクセス
    JR鎌倉駅東口から京急バス「大塔宮行き」終点下車すぐ
    鎌倉駅から徒歩でも約30分(鶴岡八幡宮から続く静かな散策路)
  • 駐車場:あり(有料)

◇ まとめ

鎌倉宮は、南北朝の理想に命を賭した護良親王の精神を今に伝える社です。
鎌倉の喧騒から少し離れた二階堂の静寂の中に、
時代を超えて受け継がれる“忠義の心”が息づいています。

訪れる人は皆、その静かな空気とともに、
護良親王の信念と哀しみを感じ取ることでしょう。

鶴岡八幡宮と合わせて訪れることで、鎌倉の歴史をより深く体感できます。

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