第15話「海幸彦・山幸彦と豊玉姫」
海神の宮、見てはならぬ禁忌、そして神武天皇へ続く血脈
あらすじ
コノハナサクヤヒメが産んだ三子の兄・火照命(海幸彦)と弟・火遠理命(山幸彦)。兄弟は互いの道具を交換したことから争いが始まる。 失われた釣り針を求めて海神の宮を訪れた山幸彦は、美しい豊玉毘売と出会い結婚する。地上に帰還した山幸彦は兄を服従させるが、豊玉毘売の出産に際して破った「見るな」の禁忌が、二神の永遠の別れをもたらす。 そして生まれた御子の子孫こそが、日本の初代天皇・神武天皇である。
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1ある日、弟の火遠理命(山幸彦)が兄・火照命(海幸彦)に道具の交換を提案した。山幸彦は山の弓矢を貸し、海幸彦の釣り針を借りたが、その釣り針を魚に奪われてしまった。
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2山幸彦が自分の剣を砕いて五百本の釣り針を作って弁償しようとしても、海幸彦は「元の針でなければ許さない」と強く求めた。山幸彦は途方に暮れて海辺で泣いていた。
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3そこへ塩椎神(しおつちのかみ)が現れ、山幸彦を竹籠の舟に乗せて海神(わたつみ)の宮へと案内した。海神の宮の井戸のそばの木の上で待っていると、海神の娘・豊玉毘売命(トヨタマヒメノミコト)が水を汲みに現れた。
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4豊玉毘売と山幸彦は互いに一目惚れした(目合い)。豊玉毘売の父・綿津見神(わたつみ)は二人の結婚を祝福し、山幸彦は海神の宮で三年間幸せに暮らした。
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5故郷を思い出して泣いていた山幸彦に、綿津見神は失った釣り針を見つけ出して渡した。さらに海を支配する潮満玉(かんたまの玉)・潮干玉(かれたまの玉)を授け、兄を服従させる方法も教えた。
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6地上に帰還した山幸彦は、教えの通り釣り針を返し、潮満玉・潮干玉で海幸彦を苦しめた。海幸彦はとうとう降参し、「永遠に昼夜の守護者(警護役)として仕えます」と誓い、山幸彦に服従した。
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7山幸彦のもとへ豊玉毘売が「子を産むために参りました」と海を渡ってやってきた。海辺に鵜の羽根で産屋を建てたが、羽根が葺き終わらないうちに産気づいてしまった。
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8豊玉毘売は「産む時には決して産屋を覗いてはなりません」と厳命した。しかし山幸彦は「どうしても」と思い産屋を覗いてしまった。中では豊玉毘売が大きな鰐(ワニ・鮫)の姿で産んでいた。
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9本来の姿を見られた豊玉毘売は恥じ怒り、生まれた御子(天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命)を残して海へと帰ってしまった。御子の養育には妹の玉依毘売命(タマヨリヒメノミコト)が当たった。
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10やがて御子は養母・玉依毘売と結婚し、その間に生まれた子の一人が神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)、のちの神武天皇である。ここに古事記・神代篇は幕を下ろす。
登場神一覧
| 神名 | 読み方 | 役割・概要 |
|---|---|---|
| 火照命(海幸彦) | ホデリノミコト | ニニギとコノハナサクヤヒメの長男。漁猟を得意とする。釣り針問題で弟と対立。最終的に山幸彦に服従し、隼人(はやと)の祖先とされる |
| 火遠理命(山幸彦) | ホオリノミコト・彦火火出見命 | ニニギとコノハナサクヤヒメの三男。山の狩猟を得意とする。海神の宮で豊玉毘売と結婚。神武天皇の祖父にあたる |
| 塩椎神 | シオツチノカミ | 海の知恵を持つ老神。山幸彦を海神の宮へ案内した。「潮」を司る海の神官的存在 |
| 綿津見神(海神) | ワタツミノカミ | 海を支配する神。豊玉毘売・玉依毘売の父。山幸彦を歓迎し、娘との結婚を祝福。失われた釣り針と神宝を授けた |
| 豊玉毘売命 | トヨタマヒメノミコト | 綿津見神の娘・山幸彦の妻。海神の宮の姫。出産に際して鰐(ワニ)の本来の姿を見られ、海へ帰った |
| 玉依毘売命 | タマヨリヒメノミコト | 豊玉毘売の妹。姉の子(ウガヤフキアエズ)の養育を担い、のちにその子と結婚した。神武天皇の母 |
| 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命 | ウガヤフキアエズノミコト | 山幸彦と豊玉毘売の子。鵜の羽根で葺き終わらない産屋で生まれたことからこの名がある。神武天皇の父 |
兄弟の対比――海幸彦と山幸彦
この神話の核心は「海と山の対比」である。二つの異なる生業(漁猟と狩猟)を持つ兄弟が道具を交換したことから物語が始まる。
海神の宮と豊玉毘売との出会い
塩椎神の案内で竹籠の舟に乗った山幸彦は、海の底にある「綿津見の宮(わたつみのみや)」へと降りていった。そこは地上とはまったく異なる神秘の世界であった。
- 宮の門の前の桂の木に登り、井戸のほとりで待っていると、豊玉毘売の侍女が水を汲みに来た。侍女が玉の杯を捧げると、山幸彦は水を飲まずに口の中の玉を杯に吐き入れた。玉は杯にくっついて離れなくなった
- 侍女が不思議がって豊玉毘売に報告。豊玉毘売が自ら見に行くと、山幸彦と目が合い(目合い)、互いに一目惚れした
- 豊玉毘売が父・綿津見神に知らせると、神は喜んで山幸彦を宮の中へ招き入れ、海神の娘と結婚させた
- 山幸彦は海神の宮で三年間、幸せに暮らした
- ある日ふと故郷を思い嘆息すると、豊玉毘売が気づき父に伝えた
- 綿津見神は魚たちを集め、失われた釣り針が大きな魚(鯛)の喉に刺さっているのを発見して取り出した
- 綿津見神は釣り針を渡すとともに、潮満玉(しおみつたま)と潮干玉(しおふるたま)の二つの玉を授け、帰還の方法と兄を服従させる呪法を教えた
潮満玉を使うと海水が満ちて相手を溺れさせることができ、潮干玉を使うと海水が引いて助けることができる。山幸彦は帰還後、この二つの玉で兄・海幸彦を苦しめ(満玉)、助命を求める兄に引玉を使って許した。
山幸彦が水を飲まず玉を吐き入れたのは、「天神の御子が水を飲む(口にする)こと」への矜持の表れとも解釈される。杯に吐いた玉が離れなくなったことで、豊玉毘売に非凡な存在と認識された。
山幸彦が海神の宮で三年間過ごしたことは、海と山の異界の時間感覚の違いを示している。浦島太郎伝説との類似が指摘されており、この神話が浦島太郎の原型となった可能性が高い。
見るなの禁忌と豊玉毘売の去就
豊玉毘売が産屋で出産する場面で、山幸彦が「見るな」の禁を破ったことが、二神の永遠の別れをもたらした。日本神話を代表する「見るなのタブー」の神話である。
- 豊玉毘売が地上に渡ってきて「子を産むために参りました」と山幸彦に告げた
- 海辺に産屋を建てようとしたが、鵜の羽根が葺き終わる前に産気づいてしまった(このことからのちに生まれた御子に「鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)」の名がつく)
- 産屋に入る前に豊玉毘売は「産む時は絶対に産屋を覗いてはなりません」と厳命した
- 「臨産の時には本来の姿に戻って産むのが常なのです」とも言った
- 山幸彦は「どうしても気になる」と思い、産屋の隙間から覗いてしまった
- 中では大きな鰐(わに・古代語でサメを指す)が産屋の中を這い回って産んでいた
- 山幸彦は驚き、逃げ出した
- 本来の姿を見られた豊玉毘売は「見られた、私は恥ずかしい」と言い、生まれた御子を残して海へと去った
- 豊玉毘売は「海と陸とは互いに通わせません(二度と会わない)」と断ち切りの言葉を述べた
- それでも御子を思う心から、妹の玉依毘売を地上へ遣わして養育させた
「沖つ鳥 鴨どく島に 我が率寝し 妹はわすれじ 世のことごとに」
(おきつとり かもどくしまに わがいねし いもはわすれじ よのことごとに)
訳:「沖の鴨が群れる島で共に眠った妻よ、世が続く限り決して忘れない」
神武天皇への系譜
山幸彦の子孫は、古事記・神代篇の最終到達点として神武天皇(初代天皇)へと連なる。 この系譜が古事記・日本書紀の語る「天皇の起源」である。
火遠理命(山幸彦)の孫・神武天皇が日向から東方へ出発し、大和(奈良)を平定して初代天皇となるところから「人代篇」が始まる。
古事記は三巻構成で、上巻(神代)・中巻(神武〜応神)・下巻(仁徳〜推古)と続く。神武天皇は「天神の子孫が地上を治める」という神代の物語の帰結点であり、日本の歴史の始まりとされる。
古事記原文と現代語訳
①釣り針の紛失と兄弟の争い
「兄の火照命、海佐知・山佐知を換へて求むと雖も、全く得ず。かれ弟火遠理命の求めに従ひて、針を換ふるに、その針を失ひき。」
【読み方】えのほでりのみこと、うみさち・やまさちをかえてもとむといえども、まったくえず。かれおとほおりのみことのもとめにしたがいて、はりをかうるに、そのはりをうしないき。
兄の火照命は、海の幸と山の幸を取り替えて行ってみたが、まったく得られなかった。そして弟・火遠理命の求めに従って(弟の弓矢と)釣り針を取り替えたところ、(弟が)その針を失ってしまった。
②海神から授かった神宝と兄への呪法
「また潮満玉・潮干玉二つの玉を賜ひて、「その兄溺れ苦しまむ時に随ひ、潮満玉を出だして溺れしめ、若しあわれと乞はば、潮干玉を出だして助けよ。かく悩ましたまへ」と教へき。」
【読み方】またしおみつたま・しおふるたま、ふたつのたまをたまいて、そのえのしずまんときにしたがい、しおみつたまをいだしてしずめ、もしあわれとこわば、しおふるたまをいだしてたすけよ。かくなやましたまえ、とおしえき。
また潮満玉・潮干玉の二つの玉を授けて、「その兄が溺れ苦しむ時に合わせて、潮満玉を出して溺れさせよ。もし(兄が)哀れみを乞うなら、潮干玉を出して助けよ。このように苦しめなさい」と教えた。
③豊玉毘売の「見るな」の禁と鰐の姿
「「吾が産む時に、かつて見たまひそ」と言ひき。ここに其の言を奇しと思ほして、産むこと竟はりなむとする時に、窃かに見れば、八尋の和邇に化りてたかびより這ひき。」
【読み方】あがうむとき、かつてみたまいそ、といいき。ここにそのことをあやしとおもおして、うむことおわりなんとするときに、ひそかにみれば、やひろのわにになりてたかびよりはいき。
「私が産む時には、決してご覧になってはなりません」と言った。ここで(山幸彦は)その言葉を不思議に思い、産み終わろうとする時にこっそりと覗いてみると、(豊玉毘売が)八尋もある大きな鰐(ワニ・鮫)に変身して、(産屋の中を)這い回っていた。
④豊玉毘売の去り際の歌
「沖つ鳥 鴨どく島に 我が率寝し 妹はわすれじ 世のことごとに」
【読み方】おきつとり かもどくしまに わがいねし いもはわすれじ よのことごとに
【豊玉毘売の返歌】赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり
【読み】あかだまは おさえひかれど しらたまの きみがよそい たふとくありけり

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