全国の「天神社」や「天満宮」を訪れると、境内のどこかに牛の像が鎮座している光景をよく目にします。
撫で牛(なでうし)と呼ばれるその像は、頭や体を撫でると「学問が上達する」「病気が治る」などのご利益があるとされ、多くの参拝者に親しまれています。
今回は、なぜ天神様=菅原道真公の神社に牛が祀られているのか、その理由や由来を詳しくご紹介します。
■ 天神様とは誰か?
まずは、天神社の主祭神である菅原道真(すがわらのみちざね)公についておさらいしておきましょう。
道真公は平安時代の学者・政治家で、「学問の神様」として広く信仰されています。
幼い頃から聡明で、詩文の才能に優れ、朝廷で右大臣にまで上り詰めた人物です。
しかし、藤原氏との政争により無実の罪で太宰府(現・福岡県)に左遷され、失意のまま亡くなってしまいました。
その後、都では落雷や疫病などが相次ぎ、これを道真公の怨霊の祟りと恐れた朝廷が、彼を「天満大自在天神」として祀ったのが「天神信仰」の始まりです。
■ 牛が神の使いとされる理由
① 道真公の生涯と牛の深い縁
実は、菅原道真公の生涯には「牛」にまつわる逸話がいくつも残されています。
● 生まれ年が「丑(うし)年」
道真公は承和12年(845年)丑年の生まれでした。
これがまず、牛と結びつく象徴的な理由の一つです。
● 左遷の旅路を牛車で進んだ
都から太宰府へ向かう際、道真公は**牛車(ぎっしゃ)**で旅をしたと伝えられています。
牛がその道中、主君の道真公を静かに守ったとされ、この時から牛は「忠実な守護の象徴」として語られるようになりました。
● 道真公の遺骸を運んだ牛が動かなくなった
最も有名なのが、道真公が亡くなった後の逸話です。
その遺骸を牛車に乗せて運んでいたところ、牛が突然動かなくなり、その地に墓を建てたと伝えられています。
その場所こそ、今の太宰府天満宮のある地です。
この出来事から、「牛は天神様の意志を伝える神の使い」として崇められるようになりました。
■ 牛を撫でるとご利益がある「撫で牛(なでうし)」
天満宮などでよく見かける「撫で牛」。
これは、「自分の悪いところを撫でたあと、牛の同じ部分を撫でると治る」「頭を撫でると賢くなる」などの信仰に由来します。
特に受験生たちは、「天神様のように聡明になれますように」と願いながら牛の頭を撫でるのが定番です。
こうした文化は、江戸時代以降に庶民信仰として全国に広まりました。
■ 牛像の向きや姿にも意味がある?
天満宮の牛像は、伏せた姿が多く見られます。
これは「天神様の御霊を静める」ため、また「地に足をつけて学ぶ姿勢」を象徴するものといわれます。
また、地域によっては牛が東を向いていたり、天満宮の御本殿の方向を向いている場合もあり、それぞれの地元信仰が反映されています。
■ 牛信仰が広がった理由
平安時代以降、牛は「神聖な動物」「忠実な使い」として信仰され、各地の天満宮・天神社にその像や伝説が残りました。
とくに学問成就・病気平癒のご利益とともに、「努力を重ねることの大切さ」を象徴する存在として、現代でも多くの人に親しまれています。
■ 牛に会える代表的な天神社・天満宮
- 太宰府天満宮(福岡県太宰府市)
→ 牛が動かなくなった伝説の地。境内には多くの撫で牛がある。 - 北野天満宮(京都府京都市)
→ 全国の天満宮の総本社。境内の「神牛」は受験生に人気。 - 大阪天満宮(大阪府大阪市)
→ 天神祭で有名。参道にも多くの牛像が置かれている。
■ まとめ
天神社に牛が祀られているのは、単なる飾りではなく、
**「菅原道真公と深い縁を持つ神聖な存在」**としての意味があるからです。
牛は、忠誠・誠実・努力の象徴。
そして学問の神・道真公を通じて、私たちに「真摯に学び、地道に努力を重ねる心」を教えてくれる存在なのです。


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