― 天皇を護った忠義の臣。足腰の守護神として祀られる人物 ―
■ はじめに
和気清麻呂は、奈良時代末期に活躍した政治家であり、
“天皇を守った忠義の象徴”として神格化された人物です。
特に 道鏡事件 における勇気ある進言は日本史上でも有名で、
現代では 足腰の守護神として民間信仰でも広く親しまれています。
主に祀られている神社として、京都の 護王神社 が代表的です。
■ 和気清麻呂とは
● 基本情報
- 生没年:733年 – 799年
- 時代:奈良時代
- 出身:備前国(岡山県)
- 家系:和気氏は地方豪族であり、後に政治の中枢にも進出
清麻呂は優秀な官僚としてキャリアを重ね、朝廷内で高く評価されていました。
■ 和気清麻呂と道鏡事件
● 道鏡とは
称徳天皇の寵愛を受け、法王という異例の地位にあった僧。
朝政に強く影響力を持ち、一時は皇位を狙っていると疑われた人物です。
● 宇佐八幡神託事件
道鏡を皇位につけようとする勢力がいたため、
称徳天皇は「宇佐八幡神(大分県)」に 神意を確認するための使者 を遣わしました。
この使者として選ばれたのが 和気清麻呂の姉・和気広虫(ひろむし)。
さらに、清麻呂が勅使として宇佐へ向かいます。
● 清麻呂の勇気ある奏上
宇佐八幡で清麻呂は、次のような神託を受けたとされます。
「天つ日嗣(皇位)は必ず皇族から立てるべきである」
この神託を、清麻呂は歪めることなく正直に天皇へ奏上しました。
これにより、道鏡の野望は阻止されます。
● 流罪と奇跡の逸話
道鏡に恨まれた清麻呂は
- 右足の腱を切られ
- 遠方の大隅(鹿児島)へ流罪
という過酷な罰を受けます。
しかし、この道中で 300頭もの猪が現れ清麻呂を守護した という伝承が生まれます。
これが後に 「足腰の守護神」「いのししの神」 とされる理由です。
のちに称徳天皇の死後、清麻呂は復権し元の地位へ戻ります。
■ 神格化された和気清麻呂
和気清麻呂はその忠義・勇気から「神」として崇敬されるようになります。
● 神としての側面
- 忠義と正義の象徴
- 国家安泰の守護神
- 足腰の守護神(猪の伝説に由来)
- 開運・魔除け・勝負運
- 学問や政治に関する御利益
特に足腰の守護は、スポーツ選手からの信仰が強いことで知られています。
■ 和気清麻呂を祀る主な神社
● 護王神社(京都市)
清麻呂公を祀る総本社格。
「いのしし神社」として全国的に有名。
● 和気神社(岡山県備前市)
清麻呂公の生誕地近くにある神社。
● 由岐神社(京都・鞍馬)
清麻呂公が奉祀される神社の一つ。
このほか、全国の護王神社・和気神社・天満宮系の摂末社にも祀られることがあります。
■ 清麻呂にまつわる象徴・モチーフ
● いのしし
道鏡に追われた清麻呂を守ったという伝説から、
猪が象徴動物として扱われ「霊猪」「狛いのしし」が各神社に配置されます。
● 足腰のお守り
護王神社の「足腰守護御守」は全国的に有名。
リハビリ、健康祈願、スポーツの怪我防止など多くの参拝者が求めます。
■ 和気清麻呂の姉・和気広虫
清麻呂の姉・広虫も慈悲深い人物として知られます。
- 孤児を多数引き取り救済した
- 母性的存在として “子育ての神” として信仰される
護王神社では清麻呂公と並んで祀られています。
■ まとめ
和気清麻呂は、
- 天皇を守った忠義の臣
- 歴史的に重要な政治家
- そして後世に神格化された人物
として日本史・信仰の両面で深く受け継がれています。
特に 足腰の守護神として全国に広まり、いのししの神 としてユニークな信仰を集めています。
歴史的事実と伝承が融合し、今もなお多くの参拝者を励ます存在となっています。


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