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【神社めぐり】オノコロ島をめぐる三つの説(絵島説、沼島説、オノコロ島神社説)

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オノコロ島はどこにあったのか

― 沼島説・絵島説・おのころ神社説を巡る神話と信仰 ―

日本神話において、すべての始まりの地とされるオノコロ島
伊邪那岐命・伊邪那美命が最初に降り立ち、国生みを始めたとされるこの島は、今もなお「どこに存在したのか」が語り継がれています。

淡路島周辺には、特に有名な三つの比定地があります。
本記事では、沼島説・絵島説・おのころ神社説を中心に、それぞれの由緒と信仰を辿ります。


オノコロ島とは何か

オノコロ島(淤能碁呂島・自凝島)は、『古事記』『日本書紀』に記される日本最初の島です。

天の沼矛で海をかき混ぜた際、
矛の先から滴り落ちた潮が自ずから凝り固まり、島となった――
この「自ずから凝る」という性質が、後世の比定地論争の重要な鍵となっています。


① 沼島説 ― 原初の島に最も近い場所

■ 沼島(兵庫県南あわじ市)

淡路島の南沖に浮かぶ小島、**沼島(ぬしま)**は、
オノコロ島比定地の中でも「最も原初的」と評価される説です。

■ 沼島説の根拠

  • 面積が小さく、孤立した島であること
  • 岩礁が多く、「海から凝り固まった島」のイメージと合致
  • 古代祭祀の痕跡が多く残る
  • 島全体が信仰空間として扱われてきた歴史

沼島は、人工的な開発が比較的少なく、
**「神話の時代の風景を残す島」**として高い評価を受けています。

■ 現在の信仰

島内には沼島八幡神社をはじめとする信仰施設が点在し、
「島そのものが御神体」という感覚が今も息づいています。

👉 沼島説は、学術的・神話的整合性の高さが特徴です。


② 絵島説 ― 海に浮かぶ神話の象徴

■ 絵島(兵庫県淡路市岩屋)

本州と淡路島を結ぶ明石海峡大橋のたもとに位置する絵島も、
オノコロ島の比定地として古くから語られてきました。

■ 絵島説の根拠

  • 海に浮かぶ小島であること
  • 神話的景観を備えた独立岩
  • 「国生み神話の舞台装置」として視覚的にわかりやすい

江戸時代には、絵島は和歌や絵画の題材にもなり、
神話と文学が交差する象徴的存在となりました。

■ 絵島と信仰

現在は立ち入りが制限されているものの、
遠景から拝する「遥拝の島」として、
神話を想起させる重要な存在であり続けています。

👉 絵島説は、神話の情景性・象徴性を重視する立場です。


③ おのころ島神社説 ― 信仰としてのオノコロ島

■ 自凝島神社(おのころじまじんじゃ/南あわじ市)

 三説の中で、最も信仰として確立しているのが、おのころ神社説です。

 自凝島神社は、オノコロ島そのもの、あるいはその中心地を祀る神社として伝えられています。

■ おのころ神社説の根拠

  • 「自凝(おのころ)」の名を社名に持つ
  • 国生み神話を明確に由緒としている
  • 天御柱を象徴する巨大な鳥居
  • 淡路島=最初の島という神話との整合性

この説では、
👉 島の一部が聖域として固定化された
と考えられています。

■ 現在の役割

 おのころ島神社は、

  • 縁結び
  • 夫婦和合
  • 国土安泰
    などの信仰を集め、神話を現代へとつなぐ拠点となっています。

👉 おのころ島神社説は、信仰的・民俗的に最も生きている説です。


三説をどう捉えるべきか

 これら三つの説は、互いに否定し合うものではありません。

  • 沼島説:神話の原初性
  • 絵島説:神話の象徴性
  • おのころ神社説:神話の信仰化・継承

 それぞれが、オノコロ島という神話を異なる角度から今に伝えていると考えることができます。


神社めぐりとしての楽しみ方

淡路島を巡る際は、

  • 「どこが本当か」を決めるのではなく
  • 「なぜここが語り継がれてきたのか」に目を向けてみてください

 それぞれの場所で、神話が土地に根づいてきた理由を感じ取ることができるはずです。


おわりに

 オノコロ島は、地図に描ける一点ではなく、
淡路の海と島々に重なり合う記憶として存在しています。

 神社を巡るということは、神話の「正解」を探す旅ではなく、日本のはじまりを感じる旅なのかもしれません。

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