
滋賀県犬上郡多賀町。
伊邪那岐大神・伊邪那美大神を祀る多賀大社へと続く表参道の途中に、静かに、しかし強い存在感を放つ一角があります。
それが、**「絵馬通り」**です。
「絵馬通り」と呼ばれる由来は、参道に並ぶ店々に「笑門」と書かれた絵馬を飾っていたことに由来していると言われています。
―― 祈りが並ぶ道、延命長寿信仰の原風景を歩く
華やかな門前町でもなく、観光向けに整えられたストリートでもない。
しかしここには、江戸時代から現代に至るまで連綿と続く、人々の「生きたい」「守りたい」という切実な祈りの痕跡が並んでいます。
本記事では、
- 絵馬通りの成り立ち
- 多賀大社と絵馬信仰の関係
- 奉納された絵馬が語る人々の願い
- 表参道にこの通りがある意味
- 現代における絵馬通りの価値
を、名所としてだけでなく信仰空間として詳しく解説します。
1.多賀大社 表参道と絵馬通りの位置づけ
■ 表参道とは「祈りの準備をする道」
神社における参道とは、単なる通路ではありません。
参道は、
日常の世界から神域へと、心身を切り替えるための空間
です。
多賀大社の表参道もまた、門前町 → 表参道 → 神域という段階的構造を持っています。
絵馬通りは、その中間に位置する特別な場所です。
■ 絵馬通りの立地が示す意味
なぜ、絵馬が本殿ではなく「参道の途中」に並ぶのか。
それは、
- 参拝前に願いを自覚し
- 参拝後に感謝を刻む
という、祈りの過程そのものを可視化する場所だからです。
絵馬通りは、「願いを神に届ける前の、人の心の集積地」
とも言えるでしょう。
2.多賀大社の名物
「糸切餅(いときりもち)」



「絵馬通り」の圧倒的な人気を誇る名物が”糸切餅”です。
糸切餅は、白地に青・赤・青の細い筋の入った餅の中に甘いこしあんの入った和菓子です。
三本線の入った独特の模様は、もともと鎌倉時代にあった蒙古襲来、そのモンゴルの国旗に由来すると言われています。
多賀神社では蒙古軍の青・赤・青の三筋の糸の軍旗を断ち切って外敵調伏の祈祷がされ、これが功を奏し、神風が吹いて蒙古軍が退散。
蒙古軍が博多に2度襲来した際に神風により撃退したことから、「神風のおかげ」と捉えた人々が、このことを喜び団子を作って蒙古軍の国旗の色を模して餅に赤と青の三本線を書き、それを弓の糸で切って多賀大社に奉納したものが糸切餅とされます。
この戦いの戦利品を埋めたという「船塚」が多賀大社境内のはずれにあるとされ、糸切餅は刃物を使わず、弓の糸を使って切ることから、「刃物を使わずに悪霊を断ち切る=平和」の願いを込めていると言われています。
現在も切断の際に刃物は使用せず三味線の糸を使って、餅を切っているとされます。
多賀そば
絵馬通り沿いにはいくつも「多賀そば」という上り旗を見かけます。
多賀大社の境内にも「多賀そば」を出すおみせが有り、多賀大社の代名詞ともなっています。
多賀神社のある多賀町では古く、縄文時代から蕎麦の栽培がおこなわれてきたようです。
多賀そばとは多賀町産のそば粉を使用した蕎麦のことで、有機栽培・減農薬等、厳しい規定で栽培された特別な蕎麦になります。
しっかりとした蕎麦の風味を持ち延命長寿を司る多賀大社の御神徳とも言われています。
鍋焼きうどん
多賀地域では、多賀町が「鍋焼きうどん発祥の地」とされています。
それは「寒い冬の季節に参拝される方々を気遣った」とか、日本を代表する夫婦神にちなみ「夫婦鍋(大きな二のついている鍋)を使った料理」とか「鍋を覚ます際の音がフーフーと言って食べるから」等言われていますが、その真偽ははっきりとしていません。
ただ「鍋焼きうどん」の上り旗や看板を出すのは事実であり、多賀地域で人気の名物となっています。

■ まとめ
多賀大社 表参道の絵馬通りは、
- 観光名所である前に
- 信仰の記録であり
- 人の生の歴史そのもの
です。
多賀大社を訪れた際は、ぜひ急がず、一枚一枚の絵馬に目を留めながら歩いてみてください。
そこには、教科書には載らない、日本人の祈りの原風景が、今も確かに息づいています。

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