◆ 大酒神社ってどんな神社?
大酒神社(おおさけじんじゃ)は、京都市右京区太秦蜂岡町にある古社で、『延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)』にも記載される由緒ある式内社のひとつです。
創建は古く、**仲哀天皇の時代(3世紀後半頃)**にまで遡ると伝えられており、平安時代には「大辟神(おおさけのかみ)」として知られ、神階が叙せられた記録も残っています。
明治の神仏分離までは、隣接する広隆寺の鎮守社として神仏習合の信仰を受けていました。
◆ 主祭神と相殿神
この神社で祀られている神々は、古代に日本へ渡来した氏族である**秦氏(はたうじ)**に関係する人物・祖神です:
🛐 主祭神(3柱)
- 秦始皇帝
— 中国・秦の始皇帝を祖神として祀るとされる神格。 - 弓月王(ゆづきのおう/ゆんづきのきみ)
— 秦氏遠祖。弓月国(中央アジアの一部とも)から来た王と伝えられる。 - 秦酒公(はたのさけのきみ)
— 弓月王の孫。秦氏を統率した人物として信仰される。
🛐 相殿神(2柱)
- 呉織神(くれはとりのかみ)・漢織神(あやはどりのかみ)
— 渡来した織女(呉・漢の織り技術を伝えた女性)を神格化したものとされる神々。
◆ 秦氏との関係・歴史的背景
◉ 秦氏とは?
秦氏は中国・秦の出身と伝わる渡来氏族で、古代日本における政治・技術・文化の発展に大きな影響を与えた豪族です。
とくに織物・養蚕・土木などの技術を伝えたとされ、歴史書にもその名前が見られます。
京都の太秦(うずまさ)一帯は、古代に秦氏が開拓した地域として有名で、彼らが信仰した祖神を祀る神社が点在しています。
◉ 大酒神社の成立と秦氏信仰
伝承では、秦氏の遠祖である弓月王の子孫が祀る神を勧請して創建されたとされ、秦氏の総氏神的な信仰の場として発展しました。
また大酒神社は、もともと広隆寺の鎮守としてあった歴史があり、広隆寺来由記(縁起記)には恩寵ある神として神階が叙された記録が残っています。
◆ 創建の理由・由緒・逸話
◉ 創建の目的
大酒神社の創建は、古代に日本へ渡来した秦氏の祖先を祀り、氏族の繁栄と安泰を祈念するために行われたとされます。
秦氏の信仰では、祖先崇拝と技術発展・安全祈願が強く結びついていたと考えられ、この神社も単なる地方の社ではなく、氏族と深い関係をもっていました。
◉ 名称の由来(大酒 ≒ 大辟)
「大酒」という名称は、古代の表記では「大辟(おおさけ/おおびゃく)」とも書かれ、悪疫除けや災厄を遠ざける神としての役割を持っていたとも言われています。
◆ 見どころ・境内の魅力
🏯 ① 境内の雰囲気
太秦の町並みに溶け込むように鎮座し、歴史を感じさせる静かな空間が魅力。社殿や参道は、京都らしい趣ある神社です。
🐄 ② 「牛祭(うしまつり)」
大酒神社で有名なのは毎年10月に行われる「牛祭」。
祭礼はまさに京都三大奇祭の一つに数えられ、古くから人々の信仰を集めてきました。
牛祭では、異形の面をつけた麻多羅神役が牛に乗って練り歩くなど、独特の神事が行われ、その起源は疫病除け祈願として始まったとされます。
🎎 ③ 広隆寺との位置関係
大酒神社は広隆寺(京都最古級の寺院)の東隣にあり、参拝ついでにこの名高い寺院を訪れる人も多いです。
◆ 祭礼の意味
🍶 牛祭(うしまつり)
- 牛祭は、一般的には疫病退散・豊作・無病息災を祈る行事です。
- 麻多羅(またら)や牛が登場する行列は、古代の祭祀文化を今に伝える貴重な神事です。
この祭りは神仏習合期に広隆寺の僧侶によって執り行われた歴史があり、現在も地域の人々に受け継がれています。
◆ 大酒神社 の楽しみ方・参拝のコツ
- 歴史背景を知ってから訪れることで、境内の空気や祭神の意味がより深く感じられます。
- 秋の牛祭に合わせて巡る旅は、京都の古代祭礼文化を体感できるおすすめの時期です。
- 隣接する**広隆寺の弥勒菩薩像(国宝)**と合わせて観光することで、信仰と文化の深いつながりが理解できます。
◆ おわりに
大酒神社は、一見するとこぢんまりした神社ですが、日本古代史の裏側を知る手がかりとなる貴重な社です。秦氏という大きな渡来氏族の背景が感じられ、祭礼や由緒を学べば学ぶほど魅力が深まります。
古代からの信仰を現代に伝えるこの神社――
次の京都旅では、ぜひ歴史ロマンに思いを馳せながら訪れてみてください。

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