神 様 図 鑑
こうけんてんのう(称徳天皇) 孝謙天皇
第46代・第48代天皇/聖武天皇の皇女で日本史上稀な「重祚」を果たした女帝/道鏡の登用と宇佐八幡宮神託事件で皇統の危機を招いたとされる
① 名前と出典
| 正式名称 | 孝謙天皇(こうけんてんのう)/重祚後は称徳天皇(しょうとくてんのう)。諱は阿倍内親王(あべないしんのう)続日本紀 |
|---|---|
| 系譜 |
第45代・聖武天皇の第二皇女 母は藤原不比等の娘・光明皇后(光明子)。聖武天皇には男子の皇太子(基王)がいたが早世したため、女性でありながら異例の皇太子となり、天平勝宝元年(749年)、父の譲位を受けて即位した。続日本紀 |
| 在位 |
孝謙天皇:天平勝宝元年(749年)~天平宝字2年(758年) 称徳天皇:天平宝字8年(764年)~神護景雲4年(770年) |
| 神様の種類 |
人代(奈良時代)の女帝——日本史上6人目・最後から2番目の女性天皇 一度譲位した後、政変を経て再び皇位に就く「重祚」を果たした、歴代天皇の中でも極めて稀な存在。生涯独身を貫き、実子を持たなかった。 |
② 活躍した時代
孝謙天皇として即位した当初は、母・光明皇太后とその甥・藤原仲麻呂(恵美押勝)が実権を握っていた。仲麻呂が擁立した淳仁天皇との対立を経て、764年の恵美押勝の乱を鎮圧した後、称徳天皇として重祚。晩年は僧・道鏡を重用し、仏教政治を推し進めたが、皇位継承問題で大きな政治的混乱を招いた。
祀られる神社
登場する神話・伝説
恵美押勝の乱——藤原仲麻呂との対決
淳仁天皇の後見役であった藤原仲麻呂(恵美押勝)は、道鏡を寵愛する孝謙上皇と対立を深め、764年に反乱を起こした。上皇方はこれを鎮圧し、仲麻呂は近江国で討たれ、淳仁天皇は廃位のうえ淡路に流された。この政変を経て、孝謙上皇は称徳天皇として重祚することになる。
宇佐八幡宮神託事件——皇位継承をめぐる神託の真偽
769年、「道鏡を皇位に就かせれば天下太平となる」という宇佐八幡宮の神託が伝えられた。称徳天皇は真偽を確かめるため和気清麻呂を勅使として派遣したが、清麻呂が持ち帰った神託は「皇位は必ず皇統の者を立てよ、道鏡のような無道の者は排除すべし」という正反対の内容だった。これにより道鏡の即位は阻止され、清麻呂は天皇の怒りを買って左遷されたが、後に皇統を守った忠臣として顕彰されることになる。
逸話・エピソード
一度退位した天皇が再び即位する「重祚」は、飛鳥時代の皇極天皇(斉明天皇として重祚)に次いで史上二例目であり、孝謙・称徳天皇はこれを果たした数少ない天皇の一人である。同一人物でありながら二つの異なる漢風諡号(孝謙と称徳)を持つのはこのためであり、日本の皇位継承史における特異な事例として位置づけられている。
道鏡は、761年に孝謙上皇が病に倒れた際、看病禅師として仕えたことがきっかけで寵愛を受けるようになったと伝えられる。恵美押勝の乱の鎮圧後、道鏡は太政大臣禅師、さらに天皇に准じる待遇とされる法王にまで登用されたが、この急激な重用が最終的に宇佐八幡宮神託事件という大きな政治的混乱を招くことになった。
称徳天皇は恵美押勝の乱の戦没者を弔い、国家の安寧を祈るため、百万基の小さな木製の塔(百万塔)に陀羅尼経を納めるという壮大な事業を発願した。770年に完成したこの百万塔陀羅尼は、印刷年代が明確にわかる現存する世界最古の印刷物として知られており、政治的混乱の渦中にあった称徳天皇の、深い仏教信仰と鎮魂の願いを今に伝える貴重な文化遺産となっている。
ご利益
百万塔陀羅尼の発願や篤い仏教信仰から、学業成就・出版印刷業守護・国家鎮護といったご利益が語られています。

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