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【お寺めぐり】油山寺-孝謙天皇の眼病を癒した「るりの滝」と源頼朝ゆかりの三重塔(静岡県袋井市)

油山寺 三重塔
安土桃山期の三名塔の一つに数えられる油山寺の三重塔(国指定重要文化財)

この記事でわかること
・なぜ油山寺が「目の霊山」と呼ばれているのか、孝謙天皇の眼病平癒伝説
・源頼朝ゆかりの三重塔や、掛川城から移築された山門など見どころの数々
・行基が開いたお寺が、なぜ真言宗のお寺になったのかという歴史の謎
静岡県袋井市の山あいにひっそりと佇む油山寺には、1300年以上にわたって語り継がれてきた「目」にまつわる不思議な物語がありました。

01. 油山寺の基本情報

正式名称医王山薬王院油山寺(いおうざんやくおういんゆさんじ)
山号医王山(いおうざん)
宗派真言宗智山派
ご本尊薬師如来(やくしにょらい)
開山(開基)行基(ぎょうき)
創建大宝元年(701年)と伝わる
寺格孝謙天皇の勅願寺
所在地静岡県袋井市村松1
アクセスJR袋井駅からタクシー約10分/東名高速道路 袋井ICから約5.3km
拝観時間9:00〜16:30(境内通行は7:00〜17:00)
拝観料大人300円(高校生以下無料)
駐車場100台(無料)
公式サイトhttps://yusanji.jp/

02. ご本尊「薬師如来」ってどんな仏様?

薬師如来
分類:如来
正式名:薬師瑠璃光如来

① 一言まとめ
油山寺のご本尊は、あらゆる病を癒し、心と体の健康を守ってくださる薬師如来です。中でも「目の病」に特に霊験あらたかとされ、油山寺は古くから「目の霊山」と呼ばれてきました。

② 由来・経典上の位置づけ
薬師如来は、正式には薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)といい、東方の浄瑠璃世界(じょうるりせかい)という浄土を治める如来様です。仏教経典によれば、修行時代に十二の大きな誓い(十二大願)を立て、人々を病苦や苦しみから救うと約束したと伝えられています。油山寺では大宝元年(701年)、諸国を巡り歩いていた高僧・行基がこの地に薬師如来を安置し、人々の無病息災を祈願したのが始まりと伝わります。

③ 姿・特徴
一般的に薬師如来像は、左手に薬の入った壺(薬壺/やっこ)を持つ姿で表されます。油山寺のご本尊は秘仏として金色に輝く厨子(国指定重要文化財)の奥深くに安置されており、その扉が開かれるのは百年に一度という、たいへん貴重な仏様です。

03. ご利益・祈願

👁 眼病平癒
🙏 無病息災
💪 健康長寿
🍀 諸病平癒

油山寺は「目の霊山」の異名の通り、目にまつわる病の平癒祈願で特に篤い信仰を集めています。また薬師如来は病そのものを癒す仏様であるため、健康長寿や諸病平癒を願う人にも広く親しまれてきました。眼科手術の前に平癒祈願に訪れる人や、家族の健康を願って参拝する人も多いお寺です。

毎年多くの参拝者が訪れるのは、境内の紅葉が色づく秋(11月中旬〜下旬)。山門から本堂へと続く参道が紅く染まる景色は、遠州地方でも屈指の紅葉スポットとして知られています。

04. 境内の見どころガイド

山門(国指定重要文化財)

油山寺 山門
掛川城の大手二之門を移築した珍しい二層片潜(にそうかたくぐり)造の門
万治2年(1659年)に建てられた掛川城の大手二之門を、明治6年(1873年)に移築したもの。屋根が表と裏の二段に分かれる「二層片潜付城門」という全国的にも珍しい構造で、城郭建築がそのまま寺院の山門になった貴重な例です。

三重塔(国指定重要文化財)

油山寺 三重塔
山頂に建つ、安土桃山期の三名塔の一つ
建久元年(1190年)、源頼朝が眼病平癒のお礼として建立したと伝わる塔。元亀3年(1572年)の兵火で焼失しましたが、天正2年(1574年)から再建が進められ、慶長16年(1611年)に相輪が上げられて現在の姿になりました。高さ約23メートル、上層は禅宗様・大仏様、中下層は和様という異なる建築様式が重なる、安土桃山期を代表する名塔です。内部には秘仏の金剛界大日如来が祀られています。

薬師堂(静岡県指定文化財)

油山寺 薬師堂
ご本尊と守護神・軍善坊大権現を祀る本堂
建久元年(1190年)創建、元文3年(1738年)再建。ご本尊の薬師如来と、油山寺の守護神である軍善坊大権現(ぐんぜんぼうだいごんげん)を安置します。

薬師堂内厨子(国指定重要文化財)

油山寺 薬師如来厨子
今川義元の寄進と伝わる、金色に輝く宮殿造の厨子
室町時代末期の作とされる、菊の御紋が輝く金色の宮殿型厨子。今川義元の寄進と伝えられています。秘仏であるご本尊を納めており、開扉は百年に一度のみです。

るりの滝

るりの滝
孝謙天皇の眼病平癒伝説が残る霊験あらたかな滝
不動明王を祀る滝行の道場。天平勝宝元年(749年)、孝謙天皇がこの滝の水で眼病が全快したという伝説の舞台です。詳しくは08「開山と霊験譚」で紹介します。

御霊杉(静岡県指定天然記念物)

御霊杉
幹は松、枝葉は杉という珍しい霊木
根回り2.8m・樹高16.4mという大木で、幹は松、枝葉は杉というたいへん珍しい姿をしています。弘法大師(空海)にまつわる伝説が残る霊木で、詳しくは12「謎と考察コーナー」で触れます。
三重塔の内部や秘仏はふだん公開されていません。撮影可能なエリアは境内の案内表示に従い、指定エリア以外での撮影は控えましょう。

御朱印情報

受付場所御朱印の種類
宝生殿薬師如来/不動明王/軍善坊大権現
薬師本堂 札所薬師如来/厄除大師/大日如来/開運大黒天

初穂料等の詳細は変更される場合があるため、参拝時に寺務所で直接ご確認ください。

05. 参拝の作法ガイド

  1. 山門をくぐる前に、本堂に向かって軽く一礼します
  2. 手水舎で両手と口を清めます
  3. 本堂(薬師堂)の前で姿勢を正し、静かに合掌して一礼します
  4. お参りが終わったら、来た時と同じように山門で振り返り一礼して退出します
神社の参拝作法である「二礼二拍手一礼」と異なり、お寺では拍手は打ちません。静かに手を合わせる「合掌」だけでよい、ということをお子さんにも教えてあげてください。

06. 開山と霊験譚 ― 目の病を癒した滝の物語

時は大宝元年(701年)。諸国を巡り歩き、橋や用水路を作りながら人々を助けていた高僧・行基(ぎょうき)が、油の湧き出る山「油山(あぶらやま)」にたどり着きました。この地に薬師如来を安置し、すべての人が穏やかに暮らせるようにと祈願したのが、油山寺の始まりと伝えられています。

それから半世紀近くが過ぎた天平勝宝元年(749年)。時の天皇であった孝謙天皇が、深刻な眼病に苦しんでいました。都からはるか離れたこの山寺のご本尊・薬師如来に平癒を祈願したところ、境内の「るりの滝」の霊水で目を洗うようにとのお告げがあったといいます。天皇がそのとおりに滝の水で目を洗うと、なんと病がすっかり癒えたのです。これに深く感謝した天皇は、油山寺を勅願寺(天皇の祈願所)に定めました。

その後、源頼朝も眼病平癒のお礼として三重塔を建立し、徳川家康もこの寺の守護神・軍善坊大権現に祈願したと伝わります。伝承によれば、家康は祈願成就のお礼として寺から鐘を借り受け、それを鋳直して鉄砲を作り、戦に勝利したともいわれています。時代を超えて多くの権力者たちが「目の霊山」に手を合わせてきたことがうかがえます。

07. 周辺スポット・アクセス

🚗 車
東名高速 袋井ICから約5.3km
🚃 電車
JR袋井駅からタクシー約10分
🅿️ 駐車場
100台・無料
⏱ 所要時間
境内散策 約40〜60分

油山寺は、法多山尊永寺可睡斎とともに「遠州三山」と呼ばれる袋井市を代表する3つの古刹の一つです。3寺をあわせて巡るのもおすすめで、夏には3寺合同の「遠州三山風鈴まつり」も開催されます。周辺には袋井市の名産であるクラウンメロンを使ったスイーツ店など、地元グルメも充実しています。

🎐 夏の風物詩「遠州三山風鈴まつり」(油山寺・法多山・可睡斎 合同開催)。期間限定の風鈴御朱印も授与されます。

08. まとめ

  • 油山寺は行基が開いた「目の霊山」で、ご本尊は薬師如来
  • 孝謙天皇の眼病平癒伝説が残る「るりの滝」と、源頼朝ゆかりの三重塔が見どころ
  • 掛川城から移築された珍しい山門など、歴史的建造物が数多く残る

1300年以上にわたって「目」を守り続けてきた油山寺。静かな山あいの参道を歩きながら、ぜひ歴代の権力者たちも手を合わせた薬師如来にお参りしてみてください。

09. ゆる仏様トーク

薬師如来様、いわば「東方浄瑠璃世界の総合病院院長」みたいな存在です。しかも十二の誓い=十二大願という、いわば「病院の理念」を掲げてから開業しているという、たいへん筋の通った如来様なのです。

「わたしの担当科は、内科も眼科も、心の科もすべてです」

──そう、如来様の医療は総合診療なのです。孝謙天皇の眼病も、家康公の願いも、分け隔てなく受け止めてきたのですから。

10. 謎と考察コーナー

【謎】行基が開いたお寺が、なぜ「真言宗」なのか?

【事実の整理】
油山寺は大宝元年(701年)、行基によって開かれたと伝わります。ところが現在の宗派は真言宗智山派。真言宗を開いたのは弘法大師空海(774〜835年)で、油山寺が開かれたとされる701年にはまだ生まれてすらいません。しかも境内には、弘法大師にまつわる「御霊杉」の伝説まで残っています。

【私の考察】
これは油山寺に限った話ではなく、奈良時代に行基や高僧たちが開いたとされる古刹の多くが、平安時代以降に真言宗や天台宗へと姿を変えていった、という日本仏教史でよく見られるパターンだと考えられます。なぜなら、平安時代に空海・最澄が密教を広めると、各地の有力な寺院がその教えを取り入れ、体制を整えていったからです。油山寺の「御霊杉」伝説も、実際に空海本人が訪れたというよりは、後の時代にお寺が真言宗に改まっていく過程で、弘法大師の権威を借りて生まれた言い伝えなのかもしれません。

【結論(あくまで推測)】
油山寺は「行基が開いた祈りの場」に、後の世で真言密教という新しい教えの衣がまとわれていった、という歴史の積み重ねを今に伝えているのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?

※あくまで私の考察です。

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