スポンサーリンク

【お寺めぐり】四天王寺-戦の劣勢で立てた誓い。聖徳太子が開いた日本仏法最初の官寺、なぜ鳥居が建つのか(大阪府大阪市)

四天王寺 五重塔
中門・五重塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ「四天王寺式伽藍配置」

この記事でわかること
・劣勢の戦いの中、聖徳太子が四天王に立てた誓いと、四天王寺建立の物語
・日本仏法最初の官寺が守り続けてきた、日本最古級の伽藍配置
・仏教寺院でありながら、なぜ境内に「鳥居」が建っているのかという謎
大阪府大阪市、日本仏教史上最古の官寺とされる四天王寺には、聖徳太子が命がけで立てた誓いが、1400年以上経った今も息づいています。

01. 四天王寺の基本情報

正式名称荒陵山四天王寺(あらはかさんしてんのうじ)
山号荒陵山(あらはかさん)
宗派和宗(わしゅう)総本山
ご本尊救世観音(ぐぜかんのん)
開基聖徳太子(しょうとくたいし)
創建推古天皇元年(593年)と伝わる
寺格和宗総本山、日本仏法最初の官寺
所在地大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
アクセスJR・地下鉄「天王寺駅」から徒歩約12分/地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」から徒歩約5分
拝観料中心伽藍(五重塔・金堂・講堂):大人500円/境内自由
公式サイトhttps://www.shitennoji.or.jp/

02. ご本尊「救世観音」ってどんな仏様?

救世観音
分類:菩薩
聖徳太子の本地仏とも信じられる

① 一言まとめ
四天王寺のご本尊は救世観音。あらゆる苦しみから人々を救おうとする観音様で、開基である聖徳太子自身の生まれ変わりであるとも古くから信じられてきました。

② 由来・経典上の位置づけ
用明天皇2年(587年)、仏教の受容をめぐって崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が激しく争う「丁未の乱(ていびのらん)」が起こりました。蘇我氏側についた若き日の聖徳太子は、戦況が不利になる中、自ら四天王の像を彫り、「もしこの戦いに勝利できたなら、四天王を安置する寺院を建立し、すべての人々を救済します」と誓いを立てたと伝えられています。戦いに勝利した太子は、この誓いを果たすため、推古天皇元年(593年)、四天王寺を建立しました。『日本書紀』にも記される、日本仏法最初の官寺です。

③ 姿・特徴
救世観音は金堂に安置され、聖徳太子信仰と深く結びついてきました。太子自身がこの観音様の化身であるという信仰は、法隆寺の救世観音とも共通する、聖徳太子信仰の重要な要素です。

03. ご利益・祈願

🙏 諸願成就
🕊 極楽往生
📚 学業成就
🛡 厄除け

四天王寺は聖徳太子信仰の中心地の一つとして、諸願成就全般に篤い信仰を集めています。太子が「和を以て貴しとなす」の教えを説いたことから、学業成就や、争いを収める知恵を願う参拝者にも親しまれています。

春分・秋分の中日には、境内の石鳥居の彼方に沈む夕日を見つめながら極楽浄土に思いを馳せる「日想観(じっそうかん)」という伝統行事が行われます。夕日の名所としても知られています。

04. 境内の見どころガイド

四天王寺式伽藍配置

四天王寺 伽藍配置
中門・五重塔・金堂・講堂が南北に一直線に並ぶ、日本最古級の様式
南から中門・五重塔・金堂・講堂が一直線に並び、それを回廊が囲む「四天王寺式伽藍配置」は、日本に現存する寺院建築の中でも最古級の様式とされています。

五重塔

四天王寺 五重塔
高さ約39m、内部に登楼できる再建の塔
昭和20年(1945年)の大阪大空襲でほぼ全焼した伽藍は、昭和38年(1963年)以降、鉄筋コンクリートで再建されました。現在の五重塔は内部に登楼することができ、大阪の街並みを一望できます。

石鳥居(重要文化財)

四天王寺 石鳥居
極楽浄土の東門と伝わる、神仏習合の名残
西大門(通称:極楽門)の手前に建つ、日本最古級とされる石造りの鳥居。古くから極楽浄土の東門にあたると信じられ、神仏習合の信仰の姿を今に伝えています。詳しくは10で紹介します。

六時堂・亀の池

六時堂 亀の池
多くの亀が集まる、放生(ほうじょう)の池
六時堂の前に広がる池には、参拝者が放した亀が多く集まっています。命を大切にする仏教の教え「放生」を今に伝える、境内でも人気のスポットです。
中心伽藍(五重塔・金堂・講堂)は有料エリアです。境内自体は自由に参拝できますが、有料エリアの拝観時間は季節により異なるため事前確認をおすすめします。

御朱印情報

受付場所備考
境内の御朱印所複数種類の御朱印を授与

初穂料等の詳細は参拝時にご確認ください。

05. 参拝の作法ガイド

  1. 南大門または西大門をくぐる前に、境内に向かって軽く一礼します
  2. 手水舎で両手と口を清めます
  3. 金堂の前で姿勢を正し、静かに合掌して一礼します
  4. お参りが終わったら、来た時と同じように山門で振り返り一礼して退出します
神社の「二礼二拍手一礼」とは異なり、お寺では拍手は打ちません。静かに手を合わせる「合掌」だけでよい、ということをお子さんにも教えてあげてください。四天王寺は境内が広いため、歩きやすい靴での参拝がおすすめです。

06. 劣勢の戦いで立てられた、聖徳太子の誓い

用明天皇2年(587年)、日本古代史における大きな転換点となった「丁未の乱」が起こりました。仏教の受容を推し進めようとする蘇我氏と、それに強く反対する物部氏との間で、激しい戦いが繰り広げられたのです。まだ若かった聖徳太子は蘇我氏側について参戦しましたが、戦況は一時、大きく不利に傾いてしまいます。

追い詰められた太子は、自ら白膠木(ぬるで)の木を彫って四天王の像を作り、こう祈ったと伝えられています。「もしこの戦いに勝利することができたなら、必ず四天王を安置する寺院を建立し、この世のすべての人々を救済します」。その祈りが届いたかのように、戦況は一転し、蘇我氏側が勝利を収めました。約束を守った聖徳太子は、推古天皇元年(593年)、この地に四天王寺を建立します。戦の劣勢の中で立てられた一つの誓いが、1400年以上を経た今も、大阪の地に受け継がれているのです。

07. 周辺スポット・アクセス

🚃 電車
天王寺駅から徒歩約12分
🚇 地下鉄
四天王寺前夕陽ヶ丘駅から徒歩約5分
🅿️ 駐車場
周辺の有料駐車場を利用
⏱ 所要時間
境内散策 約60〜90分

四天王寺の周辺には、天王寺動物園や新世界、通天閣など大阪を代表する観光スポットが点在しています。参拝とあわせて、下町情緒あふれる大阪観光を楽しむのもおすすめです。

🌇 春分・秋分の日には「日想観」が行われ、石鳥居の彼方に沈む夕日を眺めながら極楽浄土に思いを馳せる、幻想的な光景が広がります。

08. まとめ

  • 四天王寺は、劣勢の戦いの中で聖徳太子が立てた誓いによって建立された、日本仏法最初の官寺
  • 四天王寺式伽藍配置は日本最古級の様式として、今も1400年の歴史を伝えている
  • 境内の石鳥居には、極楽浄土の東門にあたるという神仏習合の信仰が息づいている

戦乱の中で立てられた祈りが今も息づく四天王寺。ぜひその荘厳な伽藍と、聖徳太子の誓いに思いを馳せてみてください。

09. ゆる仏様トーク

救世観音様、いわば「劣勢からの大逆転を後押しした、勝負強い観音様」みたいな存在です。聖徳太子の必死の誓いが、戦局そのものをひっくり返したというのですから、その霊験のあらたかさは折り紙付きです。

「勝利できたなら、すべての人々を救済します」

──この誓いを本当に果たしてしまうあたり、聖徳太子という人物の芯の強さがうかがえます。

10. 謎と考察コーナー

【謎】なぜ仏教寺院である四天王寺に、神社の象徴「鳥居」が建っているのか?

【事実の整理】
四天王寺の西大門(極楽門)の手前には、日本最古級とされる石造りの鳥居が建っています。この鳥居は古くから極楽浄土の東門にあたると信じられ、春分・秋分の中日には、この鳥居の彼方に沈む夕日を拝む「日想観」という行事が今も行われています。

【私の考察】
なぜ仏教寺院に、神社の象徴である鳥居が建てられているのでしょうか。私は、これは日本古来の神仏習合の信仰、すなわち神道と仏教が明確に分けられることなく一体のものとして信仰されてきた歴史を、色濃く残しているためではないかと考えます。四天王寺が創建された飛鳥時代は、まだ仏教が伝来してから日が浅く、日本古来の信仰と新しく伝わった仏教とが、互いに排斥し合うのではなく、混じり合いながら定着していった時代でした。この石鳥居は、そうした神仏が分け隔てなく共存していた時代の記憶を、今に伝える貴重な証なのかもしれません。

【結論(あくまで推測)】
四天王寺の石鳥居は、単なる境界の目印ではなく、日本人が神と仏を分け隔てなく信仰してきた、その原点を静かに物語っているのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?

※あくまで私の考察です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました