~後白河上皇ゆかりの守護神、京都東山の静寂に佇む社~
■ 新日吉神宮とは
京都市東山区、三十三間堂や智積院のほど近く、静かな住宅地に鎮座するのが**新日吉神宮(いまひえじんぐう)です。
読み方は「いまひえじんぐう」。
その名の通り、滋賀県大津市の日吉大社(ひえたいしゃ)**を勧請して創建された神社で、**後白河上皇(ごしらかわじょうこう)**が深く関わった歴史を持ちます。
■ 創建の由来と歴史
創建は平安時代末期の1156年(保元元年)。
保元の乱で勝利した後白河上皇は、自らの院政を行うために建立した法住寺殿(現在の三十三間堂周辺)を守護するため、比叡山延暦寺の鎮守・日吉大神を勧請し、この地に社殿を造営しました。
それが新日吉社、すなわち現在の新日吉神宮の起源です。
「新」と付くのは、**“新しく勧請した日吉神”**という意味で、延暦寺の本社・日吉大社に対する新たな分霊であったことを示しています。
当初は「新日吉社(いまひえのやしろ)」と呼ばれ、鎌倉・室町時代には多くの公家・武士に崇敬されました。
しかし応仁の乱などの戦火で社殿は焼失し、長く荒廃していましたが、**明治8年(1875年)**に現在の社殿が再建され、「新日吉神宮」と改称されました。
■ 御祭神
主祭神は以下の神々です。
- 大山咋神(おおやまくいのかみ)
日吉大社の主祭神で、山や土地を守る地主神。勝運・厄除・商売繁盛の神としても信仰されています。 - 大己貴神(おおなむちのかみ)
出雲大社の主祭神・大国主神と同一神。縁結び・国造り・医療の神として知られます。 - 少彦名神(すくなひこなのかみ)
大己貴神とともに国造りを行った小柄な神。健康・医薬・知恵の神。 - 田心姫命(たごりひめのみこと)
宗像三女神の一柱で、水難除け・交通安全の守護神。 - 市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
弁才天と同一視される神。芸能・財運・美の神。 - 湍津姫命(たぎつひめのみこと)
宗像三女神の一柱で、航海・安全の神。
このように、国家鎮護・厄除け・縁結びなど、多面的なご利益をもつ神々が祀られています。
■ 後白河上皇との深い関係
新日吉神宮は、後白河上皇の守護神として特別な位置を占めていました。
上皇が院政を敷いた法住寺殿の守護社として建立されたため、「法住寺殿鎮守社」とも呼ばれていました。
上皇は生前から信仰深く、死後はこの地にある**法住寺陵(ほうじゅうじのみささぎ)**に葬られました。
その陵墓の守護を担うのも、実は新日吉神宮なのです。
現在でも、境内の一角には「後白河上皇御陵参道口」があり、参拝者は上皇の静かな眠りを見守るように参道を歩むことができます。
■ 境内の見どころ
● 猿の神使(まさる)
日吉大社と同様に、新日吉神宮でも**猿(まさる)**が神の使いとされています。
「魔が去る」「勝る」に通じることから、厄除・勝運の象徴です。
境内の狛猿(こまざる)は非常にユニークで、片方は口を開けて「阿(あ)」、もう片方は「吽(うん)」の形をしています。
その愛嬌ある姿は、写真スポットとしても人気です。
● 本殿と拝殿
社殿は、明治初期に再建された典雅な神明造で、朱色が鮮やか。
背後にある東山の緑と調和し、京都らしい静謐な雰囲気を醸しています。
● 境内社「稲荷社」・「若宮社」
境内には商売繁盛や五穀豊穣を祈る稲荷社、また若宮社などもあり、それぞれ地元の方々に厚く信仰されています。
■ 御利益と信仰
- 厄除開運
- 勝運上昇
- 縁結び
- 健康・医療
- 家内安全
- 商売繁盛
特に「魔が去る(まさる)」にちなんだ厄除け・勝運祈願は、新日吉神宮ならではの信仰として知られています。
■ アクセス情報
- 所在地:京都府京都市東山区妙法院前側町451
- アクセス:
京阪電車「七条駅」から徒歩約10分
市バス「東山七条」下車、徒歩3分 - 駐車場:あり(少数)
■ まとめ
新日吉神宮は、華やかな観光地・東山エリアの中にありながら、静かで落ち着いた時間が流れる神社です。
後白河上皇ゆかりの歴史を感じながら、猿の神使に微笑みかける――そんな小さな発見に満ちた場所です。
京都を訪れる際には、ぜひ三十三間堂とあわせて参拝してみてください。
歴史の香りとともに、きっと心が穏やかになることでしょう。

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