この記事でわかること
・池上宗仲・宗長の兄弟が、父に二度勘当されながらも日蓮への信仰を貫いた物語
・日蓮聖人が61歳の生涯を閉じた「入滅の地」としての池上本門寺の由緒
・法華経の経文にちなんだ96段の石段や、30万人が訪れる「御会式」の見どころ
東京都大田区、日蓮宗大本山の池上本門寺には、信仰を貫いた兄弟の絆と、日蓮聖人が生涯を終えた場所としての深い由緒があります。
01. 池上本門寺の基本情報
| 正式名称 | 長栄山本門寺(ちょうえいざんほんもんじ)/通称:池上本門寺 |
|---|---|
| 山号 | 長栄山(ちょうえいざん) |
| 宗派 | 日蓮宗 大本山 |
| ご本尊 | 三宝尊(さんぽうそん) |
| 開山 | 日蓮聖人(にちれんしょうにん) |
| 開基 | 池上宗仲(いけがみむねなか) |
| 創建 | 弘安5年(1282年)と伝わる、日蓮聖人入滅の地 |
| 寺格 | 日蓮宗大本山、日蓮宗十四霊蹟寺院の一つ |
| 所在地 | 東京都大田区池上1-1-1 |
| アクセス | 東急池上線「池上」駅から徒歩約10分 |
| 拝観 | 境内参拝は自由 |
| 公式サイト | https://honmonji.jp/ |
02. ご本尊「三宝尊」ってどんな存在?
分類:如来(法華経の教主)を中心とした本尊
日蓮宗共通の信仰形式
① 一言まとめ
池上本門寺のご本尊は三宝尊。法華経の教えそのものを本尊とする、日蓮宗共通の信仰の形です。法華経を説いた釈迦牟尼仏と、その教えの正しさを証明する多宝如来を中心に祀ります。
② 由来・経典上の位置づけ
弘安5年(1282年)9月、身延山を発ち常陸国への湯治に向かっていた日蓮は、道中の武蔵国池上で病状が悪化します。この地の領主で、日蓮に深く帰依していた池上宗仲は、自邸に日蓮を迎え入れ、手厚く看病しました。しかし同年10月13日、日蓮はこの地で61歳の生涯を閉じます。日蓮はこの地を「長く法華経の道場として栄えるように」との願いを込めて「長栄山本門寺」と名づけたと伝えられています。日蓮の入滅後、池上宗仲は法華経の総字数(69,384字)にちなみ、約7万坪という広大な寺域を寄進し、寺の礎を築きました。
③ 姿・特徴
三宝尊は、日蓮宗の寺院に共通する本尊形式で、法華経への絶対的な信仰を形にしたものです。
03. ご利益・祈願
法華経の教えそのものを本尊とすることから、諸願成就全般に篤い信仰を集めています。池上兄弟が父の反対を押し切ってでも信仰を貫いた逸話にちなみ、信念を貫く力や、家族の理解・和解を願う参拝者にも親しまれています。
04. 境内の見どころガイド
此経難持坂(しきょうなんじざか)
慶長年間、武将・加藤清正が寄進したと伝わる96段の石段。法華経「宝塔品」の経文96文字にちなんで名づけられ、頭の4文字「此経難持(しきょうなんじ)」がそのまま坂の名前になっています。
五重塔(重要文化財)
江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の乳母であった岡部局(おかべのつぼね)の発願により建立された、高さ約31.8メートルの五重塔。東京大空襲による焼失を免れた、都内でも貴重な古建築の一つです。
大堂(祖師堂)
日蓮聖人の御影像を安置する、境内の中心的な建物。多くの参拝者がここで日蓮聖人に手を合わせます。
御朱印情報
| 受付場所 | 備考 |
|---|---|
| 境内の御朱印所 | 複数種類の御朱印を授与 |
初穂料等の詳細は参拝時にご確認ください。
05. 参拝の作法ガイド
- 総門をくぐる前に、境内に向かって軽く一礼します
- 手水舎で両手と口を清めます
- 大堂の前で姿勢を正し、静かに合掌して一礼します
- お参りが終わったら、来た時と同じように山門で振り返り一礼して退出します
06. 父に二度勘当されても、信仰を貫いた兄弟
池上宗仲の父・池上左衛門大夫(池上康光)は、日蓮と対立する別の宗派の熱心な信者でした。息子の宗仲が日蓮の信徒になったことを知った父は、建治2年(1276年)と翌3年(1277年)の二度にわたり、宗仲を勘当してしまいます。それでも宗仲は、弟の池上宗長とともに信仰を捨てることなく、日蓮からの励ましの手紙を心の支えとして、苦しい日々を耐え抜きました。
兄弟の揺るがない信仰心は、やがて父の心をも動かします。弘安元年(1278年)、勘当はついに解かれ、後には父自身も日蓮の教えに帰依するに至りました。それから4年後の弘安5年(1282年)、湯治のため旅する日蓮を、宗仲は自邸に迎え入れます。皮肉にもこれが、日蓮が生涯を終える最期の場所となりました。父との対立を乗り越えてまで守り抜いた信仰が、結果として、師の最期を看取るという大きな役目につながったのです。
07. 周辺スポット・アクセス
東急池上線「池上」駅から徒歩約10分
都内各所からバス便あり
周辺の有料駐車場を利用
境内散策 約60〜90分
池上本門寺の門前町「池上本門寺通り」には、老舗の和菓子店や食事処が軒を連ねています。参拝の前後に、下町情緒あふれる散策を楽しむのもおすすめです。
08. まとめ
- 池上本門寺は、日蓮聖人が61歳の生涯を閉じた「入滅の地」に建てられた日蓮宗大本山
- 開基・池上宗仲は父に二度勘当されながらも信仰を貫き、最終的に父も帰依した
- 加藤清正寄進の此経難持坂、江戸初期建立の五重塔など、歴史的な見どころが多数ある
信仰を貫いた兄弟の絆と、日蓮聖人が生涯を終えた地としての重みが息づく池上本門寺。ぜひその静かな祈りの空気を、実際に感じてみてください。
09. ゆる仏様トーク
三宝尊様、いわば「父と息子の対立を、最終的には和解へと導いた」信仰の証です。二度も勘当された宗仲兄弟が、それでも信念を曲げなかった姿は、時代を超えて胸を打つものがあります。
──池上兄弟のこの覚悟があったからこそ、日蓮聖人は最期の時を、心から信頼できる場所で迎えることができたのかもしれません。
10. 謎と考察コーナー
【謎】なぜ池上宗仲は、法華経の字数にちなんで寺領を寄進したのか?
【事実の整理】
日蓮聖人の入滅後、池上宗仲は法華経の総字数(69,384字)にちなみ、約7万坪という広大な寺域を寄進しました。この寄進地が、現在の池上本門寺の基礎となっています。
【私の考察】
なぜ宗仲は、単に「広い土地を寄進する」のではなく、わざわざ経文の字数にこだわったのでしょうか。私は、これは父から二度も勘当されるほどの犠牲を払って貫いた信仰の証を、誰の目にも明らかな形で残したいという、宗仲の強い思いの表れだったのではないかと考えます。土地の広さを法華経の字数という具体的な数字と結びつけることで、この寄進が単なる不動産の提供ではなく、法華経そのものへの捧げものであることを、後世にまで伝えようとしたのかもしれません。
【結論(あくまで推測)】
池上宗仲の寄進は、亡き師への感謝であると同時に、自らが貫いた信仰の重みを、数字という揺るがない形で刻み込もうとした、渾身の意思表示だったのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?
※あくまで私の考察です。

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