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【神社めぐり】吉野神宮-南朝の志を今に伝える聖地(奈良県吉野町)

🌸 南朝の聖地・吉野山と建武の新政

吉野神宮
(よしのじんぐう)

「天皇自らが幕府を倒す」── 鎌倉幕府を打倒し建武の新政を断行した後醍醐天皇を祀る、一目千本の桜で名高い吉野山の聖地。南北朝時代の争いと「北を向いて崩御した天皇」の壮絶な最期・完全ガイド
📖 この記事でわかること
  • 建武の新政(けんむのしんせい)」とは何か── 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が鎌倉幕府を倒し「天皇が政治を取り戻す」という壮大な改革を断行したが、なぜわずか3年で失敗したのか。足利尊氏(あしかがたかうじ)との対立から南北朝時代が始まるまでの経緯がわかる
  • 吉野山── 「一目千本(ひとめせんぼん)」と呼ばれる日本最有名の桜の名所の見方。下千本・中千本・上千本・奥千本という4エリアの違い・見頃の時期・撮影スポット・アクセスのコツ
  • 後醍醐天皇が「北を向いて崩御した」という伝説── 吉野(南朝)で亡くなるとき、都(京都)を取り戻せなかった無念を「北(京都)に向かって」座り、最期を迎えたとされる悲劇の意味と、その御霊を祀る吉野神宮の成り立ち
「桜の山に眠る天皇」── 日本で最も有名な桜の名所の奥に、日本で最も激しく時代と戦った天皇の聖地があります。
🌸 吉野山── 「一目千本」日本最有名の桜の名所
🌸 HITOМЕ SENBON — JAPAN’S MOST FAMOUS CHERRY BLOSSOM MOUNTAIN
吉野山(よしのやま)── 「一目千本」の桜と世界遺産の霊山
奈良県吉野郡に広がる「吉野山(よしのやま)」は、日本で最も有名な桜の名所のひとつ── 山全体に約30,000本のヤマザクラが咲き誇り、「一目千本(ひとめせんぼん)」という言葉通り、眺望台からは無数の桜が波のように広がる絶景が見られます。

吉野山は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道(きいさんちのれいじょうとさんけいみち)」の一部── 古代から「金峯山(きんぷせん)」として修験道の霊山とされ、後醍醐天皇が南朝を開いた歴史の地でもあります。日本の「桜といえば吉野」という文化は、古今和歌集の時代から続く1000年以上の伝統です。
約30,000本
吉野山のヤマザクラの本数
世界遺産
「紀伊山地の霊場と参詣道」2004年登録
1000年以上
「桜といえば吉野」という文化の歴史
下千本
(しもせんぼん)
標高低め・最も早く開花。4月上旬〜中旬。金峯山寺・蔵王堂周辺
中千本
(なかせんぼん)
最も桜の量が多い・撮影の定番エリア。4月中旬。吉水神社・竹林院周辺
上千本
(かみせんぼん)
標高高め・眺望の名所。4月中〜下旬。吉野神宮はこのエリア付近
奥千本
(おくせんぼん)
最も遅く開花・最も秘境感がある。4月下旬〜5月初旬。金峯神社・西行庵
🌸 桜シーズンの混雑について(要注意):4月の桜シーズン中は吉野山全体が非常に混雑します。特に見頃の週末は駐車場がほぼ満車・山内の道路も渋滞。おすすめは「近鉄吉野線・吉野駅からロープウェイ」で山上へ── 車は奈良市内や橿原神宮周辺の宿に停めて電車で来るのが最善策。また桜の見頃は年によって1〜2週間ズレます。最新開花情報を必ず確認してから予定を立ててください。
⛩ 吉野神宮の基本情報
🌸 吉野神宮(よしのじんぐう)基本情報
正式名称吉野神宮(よしのじんぐう)
主祭神後醍醐天皇(ごだいごてんのう)── 第96代天皇・建武の新政(けんむのしんせい)南朝(なんちょう)を開いた天皇
配祀神若日子神(わかひこのかみ)── 後醍醐天皇の皇子・南朝の皇族
社格旧官幣大社・勅祭社
創建明治22年(1889年)── 明治天皇の勅命で建立。後醍醐天皇の崩御から約550年後
境内の特徴吉野山の中腹に位置する本格的な神明造(しんめいづくり)の社殿。山内の杉・桜の自然に囲まれた静かな聖地
主なご利益開運・勝運・学業成就・厄除け・縁結び・国家安泰
主な祭事例大祭(8月12日)・吉野祭(春)
御神木吉野杉・ヤマザクラ
所在地奈良県吉野郡吉野町吉野山3226
アクセス近鉄吉野線「吉野駅」からロープウェイ(約3分)または徒歩約30分。吉野山内からさらに徒歩または車で約15〜20分
参拝時間境内自由(社務所・授与所は9:00〜17:00頃)
拝観料無料
公式サイト吉野神宮公式サイト
🌸 「吉野神宮」と「吉水神社(きっすいじんじゃ)」の違い:吉野山には「吉野神宮」のほかに「吉水神社(きっすいじんじゃ)」もあります。吉水神社は後醍醐天皇の行宮(仮の御所)があった場所・源義経(みなもとのよしつね)が静御前と隠れた場所としても有名。「吉野神宮」は後醍醐天皇を祀る明治創建の神社・「吉水神社」は行宮(仮御所)の跡── 別の場所なのでご注意を。
👑 後醍醐天皇── 「天皇自らが幕府を倒した」唯一の天皇
👑 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)── 第96代天皇・在位1318〜1339年
後醍醐天皇(生:正応元年=1288年・崩御:延元4年=1339年)は、日本史上最も激しく「天皇親政」を追い求めた天皇です。

当時の日本は鎌倉幕府(かまくらばくふ)が実権を握り、天皇家は「象徴」にすぎなかった── 後醍醐天皇はこれを変えようと、2度の倒幕計画(正中の変元弘の変)を企てましたが失敗し、隠岐(おき)(島根県)への流刑にされました。

しかし後醍醐天皇は諦めなかった── 隠岐を脱出し、楠木正成(くすのきまさしげ)新田義貞(にったよしさだ)・当初は足利尊氏も味方につけて鎌倉幕府を倒すことに成功(1333年)。「建武の新政」という天皇による直接政治を始めました── 日本史上、天皇自ら幕府を倒したのは後醍醐天皇が唯一の例です。
📅 後醍醐天皇・吉野神宮の歴史年表
1288年後醍醐天皇誕生── 父:後宇多天皇
1318年第96代天皇に即位── 「天皇親政の復活」を目指して積極的に動き始める
1324年正中の変(しょうちゅうのへん)── 第1回倒幕計画・失敗
1331年元弘の変(げんこうのへん)── 第2回倒幕計画・失敗。後醍醐天皇は隠岐へ流刑
1333年楠木正成・新田義貞・足利尊氏らの活躍で鎌倉幕府滅亡。後醍醐天皇、隠岐を脱出・帰京
1333〜36年建武の新政(けんむのしんせい)── 天皇による直接政治。恩賞の不公平・政策の急進で武士の不満が高まる
1336年足利尊氏が謀反── 湊川の戦い(みなとがわのたたかい)で楠木正成が戦死。後醍醐天皇は京都を脱出し吉野へ
1336年吉野に南朝(なんちょう)を開く── 京都の北朝(足利幕府)と「どちらが正統な天皇か」の争いが始まる(南北朝時代)
1339年後醍醐天皇崩御(51歳)── 吉野で北(京都)を向いたまま崩御したと伝わる
1392年南北朝合一── 南朝第4代・後亀山天皇が北朝の後小松天皇に神器を渡し、約56年の南北朝時代が終わる
1889年明治22年── 明治天皇の勅命で「吉野神宮」建立。後醍醐天皇の御霊を祀る

② 建武の新政── 「天皇親政」の夢と挫折

⚔ 建武の新政(1333〜1336年)── 成功と失敗の経緯
🏯
鎌倉幕府滅亡── 「武士の政権」を倒した
1333年、後醍醐天皇の呼びかけに応じた武士たちが幕府各地の拠点を攻め落とし、鎌倉幕府は滅亡。「武士が政治を支配した140年間」に終止符が打たれた── これは日本史上で、天皇が実際に幕府を倒した唯一の事例です。
📜
天皇親政の開始── すべての政治を天皇が直接決定
後醍醐天皇は「摂政も関白も幕府もいらない── 朕(ちん)自らが政治を行う」と宣言し「建武の新政」を開始。土地の所有権・恩賞・人事などをすべて天皇が直接決定する体制を作ろうとした。「天皇権力の完全な復活」を目指した壮大な改革でした。
😤
武士の不満爆発── 恩賞が不公平・政策が急すぎた
しかし現実はうまくいかなかった── 武士たちが幕府打倒に命がけで戦った恩賞(土地・地位)の分配が不公平・貴族優遇と感じた武士が多かった。また「記録所(きろくしょ)」という官僚組織が混乱し、改革が急進すぎて現場が追いつかなかった。武士の不満が高まり、わずか3年で崩壊へ。
足利尊氏の謀反── 南北朝時代の始まり
1336年、建武の新政に不満を持つ武士をまとめた足利尊氏(あしかがたかうじ)が謀反。湊川の戦いで後醍醐天皇の最大の忠臣・楠木正成が戦死。後醍醐天皇は京都を脱出し吉野へ── 「南朝(吉野)」と「北朝(京都・足利幕府支持)」に分かれる南北朝時代が始まった。
🌸
吉野での抵抗── 桜の山から「正統性」を主張し続けた
吉野に南朝を開いた後醍醐天皇は「自分こそが正統な天皇」と主張し続けた。三種の神器(鏡・勾玉・剣)を持つ側が正統── 後醍醐天皇は神器を持って吉野に入ったため「南朝が正統」と主張した。これが約56年続く南北朝の争いの根拠となった。
⚔ 南朝(吉野)vs 北朝(京都)── 南北朝時代とは
🌸 南朝(なんちょう)
本拠地:吉野(奈良県)
支持者:楠木正成・新田義貞北畠親房
主張:三種の神器を持つ南朝が「正統」
天皇:後醍醐天皇→後村上→長慶→後亀山
期間:1336〜1392年(56年間)
結末:南朝が北朝に神器を渡し「合一」
VS
🏯 北朝(ほくちょう)
本拠地:京都(室町幕府)
支持者:足利尊氏・高師直ら武士集団
主張:京都の朝廷・室町幕府が「正統」
天皇:光明→崇光→後光厳→後円融→後小松
期間:1336〜1392年(56年間)
結末:北朝側が実質的な勝者として統一
「南朝が正統か・北朝が正統か」── 現在の公式見解:明治時代に日本政府は「南朝が正統(正式な皇統)」と公式に認定しました── これが吉野神宮(南朝の後醍醐天皇を祀る)が明治時代に官幣大社として創建された背景のひとつです。「幕府に負けた南朝こそが正統」という評価は、明治天皇自身が「幕府(武家政権)から天皇親政を取り戻した」という文脈と一致しており、後醍醐天皇は「先輩」として顕彰されたのです。

③ 楠木正成── 後醍醐天皇の最大の忠臣

⚔ 楠木正成(くすのきまさしげ)── 日本史上最も「忠義」を体現した武将
楠木正成(くすのきまさしげ)は、後醍醐天皇に仕えた武将── 「河内の悪党(あくとう)」と呼ばれた在野の武士でしたが、後醍醐天皇の倒幕計画に真っ先に応じ、赤坂城(あかさかじょう)千早城(ちはやじょう)での籠城戦で圧倒的に不利な状況で幕府軍を引きつけ続けました。

1336年・湊川の戦いで「この戦いでは勝てない」と知りながら後醍醐天皇の命に従って出陣── 足利軍に敗れた楠木正成は弟の正季(まさすえ)とともに「七生報国(しちしょうほうこく)」(7回生まれ変わっても国に報いる)という言葉を交わして自害しました。享年43歳。

現代でも「楠木正成=忠義の象徴」── 神戸市の湊川神社(みなとがわじんじゃ)に祀られ、東京の皇居外苑には銅像があります。
「いまだ都(みやこ)を取り返せずに、
この地(吉野)で逝くことになろうとは──」
後醍醐天皇は崩御の際、北(京都)を向いて座ったまま息を引き取ったと伝わる
── 伝承による後醍醐天皇最期の様子(史実との区別注意)
✨ ご利益・祈願の詳細
🏆
開運・勝運
🎓
学業成就・合格祈願
🛡
厄除け・諸願成就
💕
縁結び・良縁
🌸
心願成就・決断力
🇯🇵
国家安泰・地域繁栄
👑 後醍醐天皇のご利益の根拠:後醍醐天皇は「諦めない強さ」の象徴── 2度の倒幕計画の失敗・隠岐への流刑、それでも諦めず幕府を倒した。その不屈の精神が「勝運・開運・困難な挑戦への後押し」というご利益に結びついています。受験・資格試験・就職など「大きな挑戦」を控えた方に特に参拝がすすめられます。また後醍醐天皇が「知識人・文化人」でもあったことから「学業成就」のご利益も篤く信仰されています。
🗺️ 境内・吉野山の見どころガイド
① 吉野神宮 本殿・拝殿── 静かな森の中の聖地
吉野神宮
吉野神宮(Wikimedia Commons)
吉野山の上千本エリア付近に位置する吉野神宮── 吉野杉と桜の自然に囲まれた参道を進むと、明治時代に建てられた落ち着いた神明造(しんめいづくり)の社殿が現れます。観光客でにぎわう吉野山の中心部(下千本・中千本)から少し離れた場所にあるため、比較的静かに参拝できます。
② 吉水神社── 後醍醐天皇の行宮・義経が隠れた場所
吉水神社
吉水神社(Wikimedia Commons)
吉水神社(きっすいじんじゃ)は後醍醐天皇が南朝の行宮(かりのごしょ)を置いた場所── 書院造の建物は世界遺産にも登録されています。また源義経が兄・頼朝に追われ静御前(しずかごぜん)とともに隠れた場所としても有名。豊臣秀吉が吉野山でお花見をした際の本陣にもなりました。
③ 金峯山寺 蔵王堂── 世界遺産・修験道の総本山
金峯山寺 蔵王堂
金峯山寺 蔵王堂(Wikimedia Commons)
金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂(ざおうどう)は吉野山のシンボル── 東大寺大仏殿に次ぐ日本第2位の規模を誇る木造建築・世界遺産。修験道の総本山で、日本最大級の「蔵王権現(ざおうごんげん)」像を安置。吉野神宮参拝とセットで訪れることを強くおすすめします。
④ 中千本・上千本の桜展望── 「一目千本」を見る場所
「一目千本」の絶景を見るなら中千本・上千本エリアの展望スポットへ── 特に吉水神社の境内(「一目千本」の由来地)や、上千本の花矢倉展望台(はなやぐらてんぼうだい)からの眺望が最高です。桜の見頃(4月上旬〜下旬)は人が非常に多いため、早朝(8時前)に訪れると比較的静かに撮影できます。
⑤ 奥千本・西行庵── 西行法師が愛した桜
奥千本エリアには西行法師(さいぎょうほうし)が草庵を結んだ「西行庵(さいぎょうあん)」があります。西行は平安末期の歌人で「ねがわくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ」── 吉野の桜の下で死にたいと詠んだ有名な和歌の作者。奥千本は最も遅く咲き(4月下旬〜5月初旬)・最も秘境感がある── 静かに桜を楽しみたい方に。
⑥ ロープウェイ・吉野山の入り口
近鉄吉野駅から「吉野山ロープウェイ」(約3分・片道450円)で千本口駅から吉野山駅へ。桜シーズンはロープウェイも混雑するため、徒歩(急坂・約20分)も選択肢。吉野山内はシャトルバスもありますが、徒歩で散策するのが最も吉野山の雰囲気を楽しめます。

🖊️ 御朱印情報

種類内容初穂料
通常御朱印「吉野神宮」── 落ち着いたデザイン・後醍醐天皇の菊紋入り500円
桜シーズン限定桜の意匠が入った特別御朱印(4月のみ)500〜800円
📌 吉野山の御朱印めぐり:吉野山には吉野神宮のほか、吉水神社・金峯山寺(蔵王堂)・如意輪寺(にょいりんじ)(後醍醐天皇の陵墓近く)・金峯神社(きんぷじんじゃ)など複数の神社・寺院があります。1日かけて吉野山を縦断しながら御朱印をいただく「吉野山御朱印めぐり」は非常に人気── 5〜6か所をゆっくり回って約6〜8時間が目安です。
🙏 吉野神宮・吉野山の参拝の流れ
  • 1
    近鉄吉野駅→ロープウェイ→吉野山入り
    近鉄吉野線「吉野駅」からロープウェイ(約3分・片道450円)で千本口→吉野山駅へ。桜シーズンは始発(8:30頃)から並ぶ人が出るため、9時前に着くのが理想。吉野山駅から金峯山寺方面へ向かって散策開始。
  • 2
    下千本・金峯山寺(蔵王堂)で参拝・桜を楽しむ
    山内に入ってすぐの「下千本エリア」で桜の雰囲気を楽しみながら参道を歩く。金峯山寺・蔵王堂は必見── 吉野山の信仰の中心・世界遺産。朱印もここで。
  • 3
    中千本・吉水神社── 「一目千本」の絶景スポット
    吉水神社の境内から見る「中千本・下千本の桜の海」が「一目千本」の由来地── 正面に桜の波が広がる絶景。後醍醐天皇の行宮の書院(世界遺産)も見学できます。
  • 4
    上千本・吉野神宮で参拝── 後醍醐天皇に手を合わせる
    吉野山の上方・吉野神宮へ。二礼・二拍手・一礼。「不屈の精神」「諦めない勇気」を後醍醐天皇に祈る参拝。社殿は静かな杉・桜の森に囲まれており、山内で最も「聖地」らしい雰囲気があります。
  • 5
    如意輪寺・後醍醐天皇陵(距離あり・時間に余裕のある方へ)
    吉野神宮近くの如意輪寺(にょいりんじ)は後醍醐天皇の勅願寺・陵墓にもほど近い。後醍醐天皇の「等身大の木像」が安置されており、「ここで北(京都)を向いて崩御した」という歴史の重さを感じます。
📖 神様の物語コラム── 「北を向いて死んだ天皇── 後醍醐天皇の無念と夢」

1339年、吉野── 後醍醐天皇は51歳で崩御しました。伝わるところによれば、その最期は「北を向いて座ったまま」── 北の方角は京都。取り戻せなかった都。

後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒すという「不可能とも思える夢」を実現した人物です。「天皇自らが幕府を倒す」── 普通なら「そんな時代ではない」と諦める話を、後醍醐天皇は2度失敗しても諦めず、ついに実現した。

しかしその後の「建武の新政」はわずか3年で崩壊。足利尊氏という別の「強者」に権力を奪われ、吉野の山奥で南朝として「もう一つの朝廷」を名乗りながら、京都を取り返せないまま亡くなった。

「諦めなかった天皇」が「最後まで夢を叶えられなかった」── 吉野の桜は、そういう人を800年間見守ってきた花です。吉野神宮の社殿に向かって手を合わせるとき、「諦めないこと」の意味を、少し考えてみてください。

😄 ゆる神様トーク── 後醍醐天皇さんへ
👑 後醍醐天皇を現代に置き換えると── 3つの角度で

【型A:現代に置き換えるたとえ話】

後醍醐天皇の生涯を現代の会社経営に置き換えると──「創業140年の大企業(鎌倉幕府)を、株主総会で追い出されそうになった創業家の孫(天皇)が、2回の失敗と一度の左遷(隠岐流刑)を経てついに乗っ取り返した。しかし経営が下手で3年で社内クーデターに遭い、会社を分割されたまま地方のサテライトオフィス(吉野)で51歳で過労死した。」という話です。

この「経営の失敗」は、後醍醐天皇が「ビジョン」は天才的だったが「実務・根回し・組織運営」が苦手だったことを示している── 「天才的なビジョナリーが、実務で失敗する」という、現代の起業家にも通じるパターンです。

【型B:神話展開へのツッコミ】

建武の新政の「恩賞が不公平だった」という問題について── 命がけで戦った武士が「で、俺の土地は?」と聞いたら「天皇が直接決めます(時間がかかります)」と言われて数ヶ月待たされた。

そう、「革命の成功直後に一番大事なのは恩賞配分」というのは、現代でも政治の鉄則── 後醍醐天皇の建武の新政が失敗した理由の半分は「論功行賞の遅れと不公平感」でした。「人心掌握は革命より難しい」という教訓を、800年前の日本史が教えてくれています。

「朕は諦めぬ── 2度失敗しても、島に流されても。しかし……なぜ都は、こんなに遠いのか。」
── 後醍醐天皇(想像)
🔍 謎と考察── 「なぜ建武の新政は失敗したのか── 後醍醐天皇の夢と現実の差はどこにあったか」
🌸 謎と考察コーナー
【謎】
後醍醐天皇は「不可能」と言われた鎌倉幕府打倒を実現した人物── なぜその同じ人物が、その後の「建武の新政」ではわずか3年で失敗したのか。「革命に成功した人が統治に失敗する」という、この歴史的パターンの謎
【事実の整理】
① 恩賞の問題:鎌倉幕府打倒に協力した武士たちへの土地・地位の恩賞配分が遅く・不公平と感じる者が多かった。後醍醐天皇は「直接天皇が決定する」としたが、処理が追いつかなかった。

② 理想と現実の乖離:「天皇がすべてを直接決定する」という理想は美しいが、中世日本の膨大な土地・権力関係の調整を一人の天皇(と少数の側近)が担うのは現実的に不可能だった。

③ 武士文化との摩擦:鎌倉時代を経た武士は「武士による自治・武士への恩賞」という価値観が定着していた。後醍醐天皇の「貴族的・天皇中心的」な政策は武士文化と根本的に合わなかった。

④ 足利尊氏という「代替案」の存在:不満を持った武士たちが結集できる「別のリーダー」(足利尊氏)がいた── もし尊氏がいなければ、不満があっても分裂しなかったかもしれない。
【私の考察】
後醍醐天皇の失敗は「革命家」と「統治者」が求める能力の違いにあったのではないかと思います。

革命を成功させるには「ビジョンへの強烈な信念」「不屈の精神」「人を鼓舞する言葉」が必要── これらは後醍醐天皇が持っていた。

しかし統治(政治の継続)には「現場の不満を聞く耳」「利害関係者との丁寧な調整」「現実的な実施計画」が必要── これらは後醍醐天皇が苦手だったようです。「天皇がすべてを決める」という理想は「効率的な独裁」を意味しますが、実際には「全員の要望が天皇一人に集中して処理できない」という詰まり方をした。

もう一つの視点として── もし後醍醐天皇が「武士に対する恩賞を最優先」にしていたら、建武の新政はもう少し続いたかもしれない。でも「武士に恩賞を与える」ことは「武士の権力を認める」ことでもあり、後醍醐天皇が目指した「天皇親政」の理想と矛盾する。「理想を貫いたから失敗した」という解釈もできます。
【結論(あくまで推測)】
後醍醐天皇の建武の新政の失敗は「革命家として天才だったからこそ、統治者として失敗した」という逆説だったのではないでしょうか。「諦めない強さ」が革命を成功させ、「自分のビジョンへの強烈なこだわり」が統治を失敗させた。吉野神宮で後醍醐天皇に手を合わせながら、「諦めない」ことと「現実と向き合う」ことのバランスについて、ぜひ考えてみてください── あなたはどう思いますか?
※あくまで私の考察です。史実とは異なる部分が含まれる場合があります。
🚗 アクセス・周辺情報
🚃
電車でのアクセス
近鉄「大阪阿部野橋駅」〜「吉野駅」急行で約75分
近鉄「京都駅」〜「橿原神宮前」乗換〜「吉野駅」約80分
近鉄「名古屋駅」〜「大和八木」乗換〜「吉野駅」約110分
吉野駅からロープウェイ(3分)または徒歩で吉野山へ
🚗
車でのアクセス
近畿自動車道「葛城IC」から国道309号経由で約40分
桜シーズン(4月)は吉野山内への車の乗り入れ規制あり(時間・曜日)
規制時は山麓駐車場(有料)からバスまたは徒歩で山上へ
吉野神宮近くにも駐車場あり(台数少)
🌸
周辺の神社・観光スポット
橿原神宮(神武天皇を祀る建国の聖地── 吉野から車で約40分)
大神神社(おおみわじんじゃ)(三輪山・日本最古の神社── 橿原から車で約30分)
天河大辯財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)(芸術の神・秘境感のある社── 吉野から山道を南へ)
🍽
吉野山・下関のグルメ
柿の葉寿司(かきのはずし)── 吉野・奈良の名物・柿の葉で包んだ押し寿司(さば・さけ)
吉野くず(くずきり・くず餅)── 日本最高品質の吉野葛を使った和菓子
吉野葛うどん── 吉野本葛でとろみをつけた温かいうどん
📌 まとめ+関連記事
📌 この記事でわかったこと
  • 吉野神宮は1889年(明治22年)、明治天皇の勅命で創建── 鎌倉幕府を倒し「建武の新政」を断行した後醍醐天皇(第96代天皇)を祀る旧官幣大社。「2度の失敗・隠岐への流刑・それでも諦めず幕府を打倒」した後醍醐天皇は「勝運・開運・学業成就」のご利益で信仰される
  • 吉野山は「一目千本(ひとめせんぼん)」── 約30,000本のヤマザクラが下千本・中千本・上千本・奥千本の4エリアに分かれて咲く日本最有名の桜の名所・世界遺産。桜シーズン(4月)は早朝訪問・電車利用が必須。吉野神宮・吉水神社・金峯山寺(蔵王堂)を組み合わせた「吉野山1日散策コース」が最高
  • 後醍醐天皇は「北(京都)を向いて崩御した」という伝説── 都(京都)を取り戻せないまま吉野で51歳で亡くなった天皇の無念と夢が、1000年後の今も桜咲く吉野山に息づいている。近鉄で大阪から75分・京都から80分でアクセス可能
「桜の山に眠る天皇」── 吉野の桜は、諦めなかった天皇を800年間見守ってきた花です。
「諦めない勇気」を後醍醐天皇に祈りに、ぜひ吉野山へ。
— *参考:[吉野神宮公式サイト](http://www.yoshinojingu.or.jp/) / [Wikipedia 吉野神宮](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E7%A5%9E%E5%AE%AE) / [Wikipedia 後醍醐天皇](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E9%86%8D%E9%86%90%E5%A4%A9%E7%9A%87) / 太平記 / 建武年中行事*

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