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【お寺めぐり】増上寺-徳川家康が戦場に持参した秘仏「黒本尊」と、空襲を生き延びた将軍家の菩提寺(東京都港区)

増上寺 大殿と東京タワー
東京タワーを背景にそびえる増上寺・大殿

この記事でわかること
・徳川家康が、なぜ増上寺を徳川将軍家の菩提寺に選んだのか
・家康が戦場にまで持ち歩いたという秘仏「黒本尊」の正体
・東京大空襲で境内の大半を失いながらも、なぜ三解脱門だけが焼け残ったのか
東京都港区、東京タワーを見上げる場所に建つ増上寺。徳川将軍家六代の墓所を持つこの寺には、家康自身が深く信仰した秘仏と、戦火をくぐり抜けた歴史が刻まれています。

01. 増上寺の基本情報

正式名称 三縁山広度院増上寺(さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ)
宗派 浄土宗(大本山)
ご本尊 阿弥陀如来(あみだにょらい)
開山 酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)
創建 明徳4年(1393年)
寺格 浄土宗七大本山の一つ、徳川将軍家の菩提寺
所在地 東京都港区芝公園4-7-35
アクセス JR山手線・京浜東北線「浜松町駅」から徒歩約10分、都営三田線「御成門駅」「芝公園駅」からも徒歩圏内
拝観時間 境内自由(本堂は6:00〜17:30、安国殿は9:00〜17:00)
拝観料 境内無料(宝物展示室700円、徳川家墓所500円は別途)
公式サイト https://www.zojoji.or.jp/

02. ご本尊「阿弥陀如来」ってどんな仏様?

阿弥陀如来(あみだにょらい)
分類:如来
大殿に安置・徳川将軍家の篤い信仰

① 一言まとめ
増上寺のご本尊は阿弥陀如来。すべての人を極楽浄土へ導くと誓った仏様で、浄土宗の教えの中心として大殿に安置されています。

② 由来・経典上の位置づけ
阿弥陀如来は、限りない光と寿命をもって念仏を唱える人々を極楽浄土に迎え入れると誓った仏様で、浄土宗の本尊として最も重要な存在です。増上寺は明徳4年(1393年)、浄土宗第八祖・酉誉聖聡によって、現在の千代田区平河町付近に開かれました。その後、徳川家康が江戸に入った天正18年(1590年)に徳川家の菩提寺と定められ、慶長3年(1598年)に現在の芝の地へと移されました。

③ 姿・特徴
大殿の本尊とは別に、増上寺には「黒本尊」と呼ばれるもう一つの阿弥陀如来像が安国殿に安置されています。長年の香煙で黒く変色したことからその名がついたと伝えられ、平安時代中期の高僧・恵心僧都源信の作とも伝えられます。

03. ご利益・祈願

🕊 極楽往生
⚔️ 勝運・厄除け
🙏 心の平安
📿 諸願成就

本尊・阿弥陀如来への祈りに加え、黒本尊は徳川家康が篤く信仰し勝運を祈願したと伝わることから、勝負運や厄除けのご利益でも知られています。黒本尊は普段は非公開で、毎年正月・5月・9月の15日にのみ御開帳されます。

黒本尊の御開帳日に合わせて参拝すると、家康公が戦場にまで奉持したと伝わる秘仏に手を合わせることができます。

04. 境内の見どころガイド

三解脱門(重要文化財)

増上寺 三解脱門
慶長16年(1611年)建立、増上寺最古の建造物

徳川家康の助成により、江戸幕府の大工頭・中井大和守正清が慶長16年(1611年)に建立し、元和8年(1622年)に再建された門です。「三つの煩悩(貪り・怒り・愚かさ)から解脱する」という意味を持ち、増上寺で唯一、江戸時代初期の姿を今に伝える建物です。

大殿(本堂)

増上寺 大殿
昭和49年(1974年)再建、東京タワーとの共演で知られる

本尊・阿弥陀如来を安置する大殿は、東京大空襲で焼失した後、昭和49年(1974年)に再建されました。背後にそびえる東京タワーとともに撮影できる、増上寺を代表する光景です。

安国殿と黒本尊

増上寺 安国殿
秘仏・黒本尊を安置するお堂

徳川家康が深く信仰したと伝わる黒本尊を祀るお堂です。長年焚かれ続けた線香の煙で黒く変色したことから「黒本尊」と呼ばれるようになったといわれています。

徳川将軍家墓所

増上寺 徳川将軍家墓所
2代秀忠をはじめ6人の将軍が眠る

2代将軍・徳川秀忠をはじめ、6人の将軍とその正室・側室らが眠る墓所です。江戸時代の大名家の権勢を今に伝える貴重な史跡として公開されています。

徳川家墓所・宝物展示室は境内拝観とは別に入場料が必要です。開室日・時間は変更されることがあるため、訪問前に公式サイトで確認しましょう。

御朱印情報

受付場所 受付時間
境内の授与所 9:00〜17:00

05. 参拝の作法ガイド

  1. 山門(三解脱門)をくぐる前に、境内に向かって軽く一礼します
  2. 手水舎で両手と口を清めます
  3. 大殿の前で姿勢を正し、静かに合掌して一礼します
  4. お参りが終わったら、来た時と同じように山門で振り返り一礼して退出します
神社の「二礼二拍手一礼」とは異なり、お寺では拍手は打ちません。静かに手を合わせる「合掌」だけでよい、ということをお子さんにも教えてあげてください。三解脱門をくぐる際は、江戸時代から変わらぬ姿の建物であることを意識してみると、より一層味わい深く感じられます。

06. 家康が戦場に持ち歩いた、黒く煤けた仏様

天正18年(1590年)、江戸に入った徳川家康は、増上寺の教えに深く感銘を受け、この寺を徳川家の菩提寺と定めたと伝えられています。家康は特に、安国殿に伝わる黒本尊を篤く信仰し、戦の勝利を祈願して陣中にまで奉持していたといわれます。長年にわたり香煙にさらされ続けたその像は、いつしか黒く煤け、人々から「黒本尊」と呼ばれるようになりました。

慶長3年(1598年)、増上寺は現在の芝の地に移され、以来、2代将軍秀忠をはじめとする6人の将軍の墓所を擁する、江戸で屈指の格式を誇る寺院として発展しました。しかし昭和20年(1945年)の東京大空襲により、境内の建物の多くが焼失。そんな中、慶長16年(1611年)建立の三解脱門だけは奇跡的に焼失を免れ、今も江戸時代初期の姿をとどめています。焼け野原となった境内で、静かに焼け残った門は、増上寺の歩んできた600年余りの歴史そのものを物語っているかのようです。

07. 周辺スポット・アクセス

🚃 電車
JR「浜松町駅」徒歩約10分
🚇 地下鉄
都営三田線「芝公園駅」徒歩圏内
🗼 隣接
東京タワー・芝公園
⏱ 所要時間
境内散策 約40〜60分

増上寺のすぐ隣には東京タワーがそびえ、あわせて観光するのが定番のコースです。芝公園も隣接しており、都心にいながら緑豊かな散策を楽しむことができます。

08. まとめ

  • 増上寺は明徳4年(1393年)に開かれ、天正18年(1590年)に徳川家康が菩提寺と定めた浄土宗大本山
  • 家康が戦場にまで持ち歩いたと伝わる秘仏「黒本尊」は、正月・5月・9月の15日にのみ御開帳される
  • 東京大空襲で境内の多くを失いながらも、三解脱門は焼失を免れ、江戸初期の姿を今に伝えている

東京タワーを背景に、600年以上の歴史を刻んできた増上寺。ぜひその静かな佇まいを、実際に訪れて感じてみてください。

09. ゆる仏様トーク

黒本尊様、いわば「戦国武将が肌身離さず持ち歩いた、お守りみたいな仏様」です。長年の香煙で真っ黒になってしまうほど、家康公がずっと近くで祈り続けていたと思うと、その信仰の深さが伝わってきます。

「三つの解脱の門」

──三解脱門という名の通り、貪り・怒り・愚かさから解き放たれるための門。東京大空襲の炎の中でも焼け残ったこの門は、まさに「解脱」の名にふさわしい強さを見せてくれました。

10. 謎と考察コーナー

【謎】なぜ三解脱門だけが、空襲の炎を免れたのか?

【事実の整理】
昭和20年(1945年)の東京大空襲で、増上寺の大殿をはじめ多くの建物が焼失しました。しかし慶長16年(1611年)に建立され、元和8年(1622年)に再建された三解脱門だけは、奇跡的に焼失を免れ、現在も重要文化財として境内に残っています。

【私の考察】
なぜこの門だけが焼け残ったのでしょうか。史料的には、門が周囲の建物からやや独立した位置に建ち、堅牢な瓦屋根と重厚な木造建築であったことが延焼を防いだ物理的な要因として考えられます。しかし私は、それだけでなく、300年以上にわたり「三つの煩悩から解脱する」という祈りを人々に説き続けてきたこの門に、単なる建築物以上の意味を見出したくなります。焼け野原の中に一つだけ立ち続けた門の姿は、戦争という「怒り」や「愚かさ」の極みの中で、なお解脱への道を示し続けているようにも見えるのです。

【結論(あくまで推測)】
三解脱門が焼け残ったのは建築的な偶然かもしれませんが、それでもこの門が戦後の人々に与えた「変わらぬものがある」という安心感は、偶然だけでは片付けられない意味を持っていたのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?

※あくまで私の考察です。

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