この記事でわかること
・日蓮聖人が、なぜ晩年の9年間をこの身延山で過ごすことを選んだのか
・「たとえどこで死んでも、墓は身延に」という日蓮聖人の遺言に込められた思い
・287段の石段「菩提梯」と樹齢400年のしだれ桜で知られる、日蓮宗総本山の見どころ
山梨県身延町、日蓮宗総本山の身延山久遠寺には、法難の連続だった生涯の末に、日蓮聖人がようやく見出した安らぎの日々が刻まれています。
01. 身延山久遠寺の基本情報
| 正式名称 | 身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ) |
|---|---|
| 山号 | 身延山(みのぶさん) |
| 宗派 | 日蓮宗 総本山 |
| ご本尊 | 三宝尊(さんぽうそん) |
| 開山 | 日蓮聖人(にちれんしょうにん) |
| 開基 | 波木井実長(はきいさねなが)(南部実長) |
| 創建 | 文永11年(1274年)と伝わる/文明6〜7年(1474〜75年)頃現在地へ移転 |
| 寺格 | 日蓮宗総本山 |
| 所在地 | 山梨県南巨摩郡身延町身延3567 |
| アクセス | JR身延線「身延」駅からバス約15分+乗合タクシー約5分 |
| 拝観 | 境内参拝は自由(一部施設は志納金が必要) |
| 公式サイト | https://www.kuonji.jp/ |
02. ご本尊「三宝尊」ってどんな存在?
分類:如来(法華経の教主)を中心とした曼荼羅本尊
日蓮宗独自の信仰形式
① 一言まとめ
身延山久遠寺のご本尊は三宝尊。法華経の教えそのものを本尊とする、日蓮宗独自の信仰の形です。法華経を説いた釈迦牟尼仏と、その教えの正しさを証明する多宝如来を中心に祀ります。
② 由来・経典上の位置づけ
文永11年(1274年)、佐渡への流罪を赦免された日蓮は鎌倉に戻りましたが、幕府に自らの主張が受け入れられなかったため、甲斐国波木井郷(現在の山梨県身延町)の地頭・波木井実長(南部実長)の招きに応じ、この身延山に入山しました。以後9年間、日蓮はこの地を離れることなく、弟子の教育、法華経の講義、そして数々の著述に専念します。弘安4年(1281年)には十間四面の大坊が整備され、日蓮自ら「身延山妙法華院久遠寺」と名づけました。
③ 姿・特徴
開山から約200年後の文明6〜7年(1474〜75年)頃、第11世日朝上人によって、伽藍は西谷から現在の地へと移されました。
03. ご利益・祈願
法華経の教えそのものを本尊とすることから、諸願成就全般に篤い信仰を集めています。度重なる法難を乗り越えた日蓮聖人の生涯にちなみ、困難に立ち向かう力や信念を貫く強さを願う参拝者にも親しまれています。
04. 境内の見どころガイド
菩提梯(ぼだいてい)
三門から本堂へと続く、287段の急な石段。一段一段が「悟りへの梯子」を意味するとされ、多くの参拝者がこの石段を登って本堂を目指します。近年はロープウェイでの参拝も可能です。
しだれ桜
祖師堂前と仏殿前に立つ、樹齢約400年の巨木。春には見事な花を咲かせ、身延山を代表する景観として多くの参拝者を魅了しています。
祖師堂
日蓮聖人の御影像を安置するお堂。身延山久遠寺における日蓮聖人信仰の中心地です。
御廟所(ごびょうしょ)
日蓮聖人が実際に9年間を過ごした草庵の跡地と、聖人の御墓(祖廟)がある聖域。身延山内でも特に神聖な場所とされています。
御朱印情報
| 受付場所 | 備考 |
|---|---|
| 境内の御朱印所 | 複数種類の御朱印を授与 |
初穂料等の詳細は参拝時にご確認ください。
05. 参拝の作法ガイド
- 三門をくぐる前に、境内に向かって軽く一礼します
- 手水舎で両手と口を清めます
- 本堂の前で姿勢を正し、静かに合掌して一礼します
- お参りが終わったら、来た時と同じように山門で振り返り一礼して退出します
06. 「たとえどこで死のうと、墓は身延に」
鎌倉で度重なる法難と迫害を経験してきた日蓮にとって、波木井実長の招きで入山した身延山での9年間は、ようやく訪れた穏やかな日々でした。この地で日蓮は、多くの弟子を育て、法華経の教えを深く掘り下げる著述に専念することができました。身延山は、日蓮にとって単なる隠遁の地ではなく、自らの教えを完成させるための、かけがえのない場所となっていったのです。
弘安5年(1282年)9月、体調を崩した日蓮は、湯治のため常陸国(現在の茨城県)へと向かいます。しかしその道中、武蔵国池上(現在の東京都大田区)で病状が悪化し、同年10月13日、61歳の生涯を閉じました。日蓮は生前、「いずくにて死に候とも、墓をば身延の沢にせさせ候べく候」(たとえどこで死んでも、私の墓は身延の沢に作ってほしい)という遺言を残していました。この遺言の通り、日蓮の遺骨は身延山に納められ、今も御廟所として大切に守られています。
07. 周辺スポット・アクセス
JR身延駅からバス約15分
身延山山頂へも参拝可能
有料駐車場あり(約113台)
境内散策 約90分〜半日
身延山ロープウェイを利用すれば、山頂からの雄大な富士山の眺望も楽しめます。門前町には、名物のお土産店や食事処も並んでいます。
08. まとめ
- 身延山久遠寺は、法難の連続だった生涯の末に日蓮聖人が安らぎを見出した、日蓮宗総本山
- 日蓮聖人は「墓は身延に」という遺言を残し、その通り遺骨がこの地に納められた
- 287段の菩提梯と樹齢400年のしだれ桜が、境内の象徴的な見どころとなっている
日蓮聖人が最期に望んだ、安らぎの地・身延山。ぜひその静かな祈りの空気と、雄大な自然を、実際に感じてみてください。
09. ゆる仏様トーク
三宝尊様、いわば「法難続きの人生の末に、ようやくたどり着いた安住の地」を見守る本尊です。鎌倉での度重なる迫害を思えば、身延山での9年間は、日蓮聖人にとって何よりの安らぎだったのかもしれません。
──この遺言には、身延山への深い愛着と、この地で成し遂げた仕事への誇りが、静かに込められているように感じられます。
10. 謎と考察コーナー
【謎】なぜ日蓮は「墓は身延に」という遺言を残したのか?
【事実の整理】
弘安5年(1282年)、病気療養のため常陸国へ向かっていた日蓮は、道中の武蔵国池上で息を引き取りました。生前、日蓮は「たとえどこで死んでも、私の墓は身延の沢に作ってほしい」という遺言を残しており、その言葉通り、遺骨は身延山に納められました。
【私の考察】
なぜ日蓮は、自らが最期を迎えた場所ではなく、身延の地にこだわったのでしょうか。私は、これは単なる思い出の地への執着ではなく、身延山が日蓮にとって「完成の地」だったからではないかと考えます。鎌倉での度重なる法難や迫害を経て、ようやく静かに弟子を育て、教えを深めることができたこの山こそ、日蓮が自らの生涯の総決算をゆだねるにふさわしい場所だと考えたのではないでしょうか。波乱に満ちた前半生と、穏やかで実り多かった身延での9年間、その対比が、この遺言の重みをより深く物語っているように思えます。
【結論(あくまで推測)】
日蓮の遺言は、単に埋葬場所を指定したものではなく、自らの生涯において最も充実した日々を過ごした身延山への、深い感謝の表明だったのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?
※あくまで私の考察です。

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