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【お寺めぐり】青岸渡寺-廃仏毀釈をくぐり抜けた、西国巡礼の原点にそびえる朱塗りの三重塔(和歌山県那智勝浦町)

青岸渡寺 三重塔と那智の滝
朱塗りの三重塔と、日本三名瀑の一つ「那智の滝」

この記事でわかること
・西国三十三所巡礼が、なぜこの青岸渡寺から始まるとされているのか
・明治の神仏分離の中で、なぜこの寺だけが取り壊しを免れたのか
・三重塔と那智の滝が織りなす絶景が、いつ、どのように甦ったのか
和歌山県那智勝浦町、日本三名瀑の一つ「那智の滝」を望む高台に建つ青岸渡寺。西国巡礼の原点であるこの寺は、明治の激しい宗教改革の波をくぐり抜けて、今にその姿を伝えています。

01. 青岸渡寺の基本情報

正式名称 那智山青岸渡寺(なちさん せいがんとじ)
宗派 天台宗
ご本尊 如意輪観音(にょいりんかんのん)
開基 裸形上人(らぎょうしょうにん)と伝わる
中興 花山法皇(かざんほうおう)
寺格 西国三十三所第一番札所、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」構成資産(2004年登録)
所在地 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8
アクセス JRきのくに線「紀伊勝浦駅」からバス約30分「那智山」下車、徒歩約15分
拝観時間 5:00〜16:00(三重塔は8:30〜16:00)
拝観料 境内無料(三重塔のみ300円)
公式サイト https://seigantoji.or.jp/

02. ご本尊「如意輪観音」ってどんな仏様?

如意輪観音(にょいりんかんのん)
分類:菩薩
本堂に安置・西国三十三所第一番の本尊

① 一言まとめ
青岸渡寺のご本尊は如意輪観音。あらゆる願いを意のままに叶える宝珠「如意宝珠」を持つ観音様で、西国三十三所観音霊場の記念すべき第一番の本尊として祀られています。

② 由来・経典上の位置づけ
寺の起源は、仁徳天皇の御世、はるかインドから熊野の浦に流れ着いたと伝えられる裸形上人にさかのぼるとされています。その約200年後、推古天皇の御世には生仏上人によって如意輪観音が安置され、堂宇が整えられました。平安時代中期、花山法皇がこの地で三年にわたる参籠修行を行い、那智山を一番として近畿各地の三十三の観音霊場を巡拝したことが、西国三十三所巡礼の第一番札所として定められる由来になったと伝えられています。

③ 姿・特徴
現在の本堂は、織田信長の南征による兵火で焼失した後、天正18年(1590年)に豊臣秀吉によって再建されたものです。桃山時代の建築様式を今に伝える、南紀地方で唯一の国指定重要文化財建造物となっています。

03. ご利益・祈願

💎 諸願成就
🙏 心願成就
🚶 巡礼成就
💧 滝行・修行成就

如意輪観音への祈りに加え、西国三十三所巡礼の出発点として、これから巡礼を始める人・満願を果たした人の両方が訪れる特別な場所です。花山法皇が千日間の滝籠り修行を行ったと伝わることから、修行成就や困難克服の願いを込めて参拝する人も多くいます。

西国三十三所巡礼の「第一番」の御朱印は、多くの巡礼者にとって特別な意味を持つ一枚です。ここから始まる旅の記念として、大切に納経帳に記してもらいましょう。

04. 境内の見どころガイド

本堂(重要文化財)

青岸渡寺 本堂
豊臣秀吉により再建された、桃山時代の建築

織田信長の兵火で焼失した後、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が再建した本堂です。南紀地方に残る唯一の国指定重要文化財の建造物として、桃山時代の重厚な建築美を今に伝えています。

三重塔と那智の滝

青岸渡寺 三重塔
1972年に400年ぶりに再建された朱塗りの三重塔

昭和47年(1972年)、実に400年ぶりに再建された三重塔です。高さ約25メートル、一辺約12メートルのこの塔と、日本三名瀑の一つ「那智の滝」が織りなす景観は、那智山を象徴する絶好の撮影スポットとして知られています。

那智の滝(別宮)

那智の滝
落差133メートル、日本三名瀑の一つ

青岸渡寺・熊野那智大社と一体となって信仰されてきた、落差133メートルの名瀑です。古くから修行の場として崇められ、花山法皇の千日滝籠りの伝承も、この滝を舞台にしています。

那智山一帯は坂や石段が多く、境内の散策にはある程度の体力が必要です。歩きやすい靴での参拝をおすすめします。

御朱印情報

種類 備考
西国三十三所第一番の御朱印 御朱印帳の授与もあり

05. 参拝の作法ガイド

  1. 山門をくぐる前に、境内に向かって軽く一礼します
  2. 手水舎で両手と口を清めます
  3. 本堂の前で姿勢を正し、静かに合掌して一礼します
  4. お参りが終わったら、来た時と同じように山門で振り返り一礼して退出します
神社の「二礼二拍手一礼」とは異なり、お寺では拍手は打ちません。静かに手を合わせる「合掌」だけでよい、ということをお子さんにも教えてあげてください。青岸渡寺は隣接する熊野那智大社とあわせて参拝するのが古くからの習わしで、神仏習合の雰囲気を今も色濃く感じることができます。

06. 廃仏毀釈を生き延びた、たった一つの観音堂

明治時代、神仏分離令によって全国の神社と寺院は厳しく切り離されることになりました。熊野三山のうち、熊野本宮大社と熊野速玉大社では、それまで併存していた仏堂がすべて取り壊されてしまいます。しかし熊野那智大社にあった如意輪堂(現在の青岸渡寺)だけは、西国三十三所第一番札所という、あまりに有名な巡礼の霊場であったため、ひとまず破却を免れました。

明治7年(1874年)、古くからの信者たちの働きかけによって、この如意輪堂は熊野那智大社から正式に分離し、天台宗の寺院として独立します。この時、寺には新たに「青岸渡寺」という名が与えられました。廃仏毀釈という激しい時代の波の中で、多くの寺院やお堂が姿を消していく中、青岸渡寺は巡礼の力によって守り抜かれた、数少ない存在だったのです。

07. 周辺スポット・アクセス

🚃 電車
JR「紀伊勝浦駅」からバス約30分
⛩ 隣接
熊野那智大社も徒歩圏内
💧 名瀑
那智の滝は境内から徒歩圏内
⏱ 所要時間
境内散策 約60〜90分

青岸渡寺は熊野那智大社・那智の滝と隣接しており、この3か所をあわせて巡るのが定番の参拝コースです。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一角として、熊野古道歩きの拠点にもなっています。

08. まとめ

  • 青岸渡寺は花山法皇の巡拝によって、西国三十三所観音霊場の第一番札所として定められた
  • 明治の神仏分離では、西国巡礼の霊場であったことが幸いし、破却を免れて独立した寺院となった
  • 1972年に400年ぶりに再建された三重塔と那智の滝が織りなす景観は、那智山を象徴する絶景として知られている

巡礼の原点であり、激動の時代を生き延びた寺。ぜひその両方の重みを感じながら、朱塗りの三重塔と滝の競演を眺めてみてください。

09. ゆる仏様トーク

青岸渡寺、いわば「廃仏毀釈という大規模なリストラの嵐の中、唯一生き残った部署」みたいな存在です。「巡礼の第一番札所」という実績があったからこそ生き延びられたのですから、地道な信仰の積み重ねが、いざという時に寺を守ったといえるでしょう。

「千日の滝籠り」

──花山法皇が那智の滝で行ったと伝わる千日にわたる修行。現代の感覚では想像もつかない厳しさですが、その祈りの積み重ねが、今日まで続く西国巡礼の伝統を生み出したのです。

10. 謎と考察コーナー

【謎】なぜ青岸渡寺だけが、廃仏毀釈から守られたのか?

【事実の整理】
明治の神仏分離令により、熊野三山のうち熊野本宮大社・熊野速玉大社の仏堂はすべて取り壊されましたが、熊野那智大社にあった如意輪堂(現・青岸渡寺)だけは破却を免れ、後に独立した寺院として存続することになりました。

【私の考察】
なぜこの如意輪堂だけが例外的に守られたのでしょうか。私は、「西国三十三所第一番札所」という、全国的に確立された巡礼のブランド力が決定的な理由だったのではないかと考えます。単なる一地方の仏堂であれば、時代の政策の前に容易に取り壊されていたかもしれません。しかし、平安時代の花山法皇以来、数百年にわたり多くの巡礼者が「第一番」として訪れ続けてきたという実績が、政策担当者や地域の人々にとって「壊すには惜しすぎる」という共通認識を生み出していたのではないでしょうか。

【結論(あくまで推測)】
青岸渡寺が生き延びたのは幸運だけでなく、長い年月をかけて積み重ねられてきた巡礼の実績そのものが、時代の荒波から寺を守る「盾」になったからなのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?

※あくまで私の考察です。

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