この記事でわかること
- 叔父に導かれた出家
- 舎利弗との「7台の馬車」の問答
- 【謎】別人とされる「西の国のプンナ」の話と富楼那
ののしられても「手でなぐらないだけ、よい人たちだ」。そう答えたのはだれだったのでしょう。
01. 富楼那の基本情報
| 分類 | 羅漢・祖師(らかん・そし/十大弟子の一人) |
| 読み方 | ふるな。正式には富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし) |
| 梵名(ぼんみょう) | プールナ・マイトラーヤニープトラ(Pūrṇa Maitrāyaṇīputra)。パーリ語ではプンナ・マンターニプッタ(Puṇṇa Mantāṇiputta) |
| 名前の意味 | 「弥多羅尼(みたらに)」は母の名で、「子」はその息子という意味です |
| 別名 | 満願子(まんがんし)・満足慈(まんぞくじ)など。漢訳でいろいろに訳されています。満慈子(まんじし)と訳されることもあります |
| 出身 | カピラ城(カピラヴァストゥ)近くのドーナヴァットゥ村の、バラモン(インドの祭司の身分)の家とされます |
| 称号 | 説法第一(弁舌第一とも) |
| 真言・種子字(しゅじじ)・ご縁日 | 確認できる資料では見つからなかった(本記事では省略) |
02. 富楼那とは? ― 説法第一の十大弟子
① 一言まとめ
富楼那は、お釈迦さまの教えを、人にわかりやすく話して伝えるのが得意だった弟子です。仏様ではなく、実在したとされるお坊さんです。
② 生涯と経典上の位置づけ
富楼那は、お釈迦さまの故郷・カピラ城の近くで、バラモンの家に生まれたとされます。お釈迦さまと同じ日に生まれた、という伝えもあります(諸説あり)。
母は、阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)の妹と伝わります。阿若憍陳如は、お釈迦さまが最初に教えを説いた5人の修行者の一人です。つまり富楼那は、最初の弟子のおいにあたります。
パーリ語の伝えでは、この叔父がカピラ城へ行き、富楼那を出家させました。富楼那はほどなく悟りを開きます。そして、良家の若者500人を出家させ、教えを伝えたといいます。
北方の伝えには、別の話もあります。出家する前に雪山(ヒマラヤ)で修行し、お釈迦さまの悟りを聞いて弟子になった、というものです。お釈迦さまに論争をいどんで負け、弟子になったという異説もあります(『未曾有因縁経』)。悟ったあとは各地で教えを伝え(教化〈きょうけ〉)、9万9000人を導いたとも伝わります。
弟子の中での評判も高く、阿難(あなん)は「出家したばかりのころ、富楼那の教えにとても助けられた」と仲間に語ったといいます。
大乗(だいじょう=多くの人をすくう道を説く仏教)のお経『法華経』では、お釈迦さまが富楼那を「説法する人の中でいちばん」とほめます。そして将来、法明如来(ほうみょうにょらい)という仏になると約束します。これを授記(じゅき)といいます(五百弟子受記品〈ごひゃくでしじゅきほん〉)。
③ 姿の特徴 ― 決まった持ち物はない
富楼那には、決まった持ち物や印相(いんぞう=手の形)はありません。十大弟子の像では、ほかの弟子と同じく僧の姿で立ちます。
興福寺(奈良)と大報恩寺(京都)に、十大弟子の一人としての像が伝わります(くわしくは「05」へ)。
03. 富楼那とご縁のある祈り ― 伝える力・がまんする力
🤝 人を導く力
🌱 腹を立てない心
🧭 新しい土地での挑戦
富楼那は、決まったご利益をさずける仏様ではありません。けれども、その生き方から、次のような願いと結びつけて考えることができます(筆者の見方です)。
こんな人におすすめ
- 人前で話すのが苦手で、伝える力をつけたい人
- 先生・営業・リーダーなど、人に説明する仕事をしている人
- 転勤や進学で、知らない土地へ向かう人
結びつきの根拠:富楼那は「説法第一」と呼ばれた弟子です。そして、富楼那の名で伝わる話の一つに、荒々しい人々の住む国へ伝道に向かう物語があります(「10」の謎でくわしく見ます)。ことばの力と、がまんする力。その両方の先輩といえます。
04. 富楼那と関連する仏様・人物
神仏習合で富楼那に対応づけられた神様は、確認できる資料では見つかりませんでした。
05. 富楼那に会える寺院 ― 興福寺・大報恩寺
富楼那の像は、十大弟子のメンバーとして並ぶのがふつうです。今回の調べで、富楼那の名で像が確かめられたのはこの2か所です。富楼那を単独でまつるお寺は、確認できる資料では見つかりませんでした。
06. 富楼那の見分け方 ― ほかの十大弟子との違い
07. 富楼那の物語コラム ― 舎利弗と「7台の乗りつぎ馬車」
ある年の雨季のあと、お釈迦さまの故郷から来た僧たちが、お釈迦さまをたずねました。「仲間からいちばん尊敬されているのは?」と聞かれ、僧たちは富楼那の名をあげます。欲が少なく、仲間を導く力がある人だ、と。
そばで聞いていた舎利弗は、「いつか会って話してみたい」と思いました。
やがて富楼那が舎衛城(しゃえじょう)に来ると、舎利弗はそっとあとを追います。そして、林の木の下で座る富楼那に、名のらずに問いかけました。
「戒を守ってきよくなるために、修行をしているのですか」。富楼那は「いいえ」と答えます。心のきよさのためか、と聞かれても「いいえ」。7つのきよさを順に聞かれ、すべて「いいえ」でした。
では、何のための修行なのか。富楼那は、たとえで答えます。
1台目は2台目へ、2台目は3台目へ。どれか1台が目的地なのではありません。7つのきよさも、順に次へ運んでくれる馬車です。そして最後に、何にもとらわれない安らぎ(涅槃〈ねはん〉)へとどくのです。
話が終わって、二人はやっと名のり合います。相手が舎利弗だと知った富楼那は、おどろきました。そして二人は、たがいの言葉をよろこび合った――と伝わります。
08. 富楼那のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
09. ゆる仏様トーク ― 富楼那編
富楼那の「7台の馬車」は、今でいえば「電車の乗りかえ案内」です。1本目の電車に乗ったとき、「これがゴールですか?」と聞かれたら「いいえ」。でも、その1本目がなければ、ゴールにはつきません。……修行の一つひとつも、そういうものなのですね。
江戸時代には、「富楼那」という言葉が、口のうまい人・おしゃべりな人をからかう意味でも使われたそうです(精選版日本国語大辞典)。説法第一が、まさかの「おしゃべりさん」あつかい。──そう、名前が知られすぎると、こういうこともあるのです。
※経典の言葉ではなく、「7台の馬車」の話をもとにイメージしたセリフです。
10. 富楼那の謎 ― 「西の国のプンナ」はだれだったのか
11. 富楼那データベース早見表
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 分類 | 羅漢・祖師(十大弟子) |
| 読み方 | ふるな(富楼那弥多羅尼子〈ふるなみたらにし〉) |
| 梵名 | プールナ・マイトラーヤニープトラ(Pūrṇa Maitrāyaṇīputra) |
| 称号 | 説法第一(弁舌第一) |
| 出身 | カピラ城近くのバラモンの家(母は阿若憍陳如の妹とされる) |
| 真言・ご縁日 | 確認できる資料では見つからなかった |
| 主なご利益(象徴として) | 話して伝える力・人を導く力・腹を立てない心 |
| ゆかりのお経 | 『法華経』五百弟子受記品(法明如来の授記) |
| ゆかりの話 | 舎利弗との「7台の馬車」の問答、西の国へ伝道したプンナの話(パーリ語では別人) |
| 代表的な像 | 興福寺の富楼那とされる像(国宝・十大弟子立像のうち・奈良時代)、大報恩寺の富楼那立像(重要文化財・快慶作とされる・鎌倉時代) |


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