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【名所めぐり】百舌鳥古墳群-世界の歴史を塗り替えた、百億の石が語る王権の記憶-(大阪府堺市)

大阪の空を広く見渡すと、近代的なビルや住宅街のあちこちに、うっそうとした緑の「島」のような森が点在していることに気づきます。それらこそが、今から約1600年前の古墳時代中期、ヤマト王権の頂点に君臨した大王や皇族たちが眠る「百舌鳥(もず)古墳群」です。

お隣の羽曳野市・藤井寺市にある「古市(ふるいち)古墳群」とともに、ユネスコ世界文化遺産に登録されているこの地は、まさに日本が国家として形作られていった時代の「記念碑」の集まり。

なぜこの場所にこれほど多くの巨大古墳が造られたのか、そしてただ歩くだけでは分からない、古墳群のディープな見どころと歩き方に迫ります。

1. 百舌鳥古墳群とは? —— 現代に奇跡的に残された巨大古墳の密集地

百舌鳥古墳群は、大阪府堺市の北部、東西・南北ともにおよそ4キロメートルの範囲に広がる古墳の総体です。

  • かつては100基以上が存在: 古墳時代中期(4世紀後半〜5世紀後半)にかけて築造され、かつては100基を超える古墳がひしめき合っていました。戦後の高度経済成長期などの都市開発によって一部が消滅してしまいましたが、今なお44基もの古墳が奇跡的に残り、大切に守られています。
  • 多様な古墳のバリエーション: 日本最大の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)をはじめ、全国第3位の大きさを誇る上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)、さらには教科書でおなじみの「前方後円墳」だけでなく、「円墳(丸い古墳)」「方墳(四角い古墳)」、大王の墓の周りをガードするように造られた「陪塚(ばいちょう)」など、あらゆるバリエーションの古墳が狭いエリアに密集しています。

2. 歴史の深掘り:なぜ「百舌鳥(堺)」の地が選ばれたのか?

これまでご紹介してきた初期の古墳群(奈良の纒向など)は、山に囲まれた内陸の盆地に造られていました。しかし、5世紀に入ると、王権の中心地はお堀(周濠)を伴う巨大古墳を次々と造る「河内王朝」へと移り、この百舌鳥の地が選ばれるようになります。

そこには、極めて明確な「国際的なアピール」の意図がありました。

当時、百舌鳥古墳群が位置する上町台地の南端は、大阪湾(難波津)を航行する船から最もよく見える「海岸線のすぐそばの高台」でした。 中国大陸や朝鮮半島からやってくる外国の使節団の船が博多湾を経て瀬戸内海を渡り、難波の港へ近づいたとき、彼らの目に飛び込んできたのは、海岸沿いにズラリと並ぶ、白く輝く巨大な人工の山(古墳)の列だったのです。

「この国には、これほど巨大な山を造り、金銅の鎧で武装する強大な大王がいるのか」

文字を持たない時代において、百舌鳥古墳群は「言葉を必要としない、ヤマト王権の最強の外交プレゼンテーション(デモンストレーション)」として機能していたのです。

3. 名所めぐりのハイライト:百舌鳥古墳群を120%楽しむルート

あまりに広大で、地上から見ると「ただの森」に見えてしまう古墳群ですが、視点を変え、いくつかのポイントを絞って巡ることで、その圧倒的な歴史のレイヤーが姿を現します。

① 世界第3位の大王墓「上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)」

大仙陵古墳から少し南西に歩いた場所に鎮座する、全長約365メートルの巨大前方後円墳です。 大仙陵古墳(仁徳天皇陵)よりも古い5世紀前半の築造と考えられており、実は造られた当時は日本で一番大きな古墳でした(のちに息子、あるいは弟とされる仁徳天皇によって記録が塗り替えられます)。お堀の水面が広く、拝所から眺める前方部の気品あるシルエットは、古墳群の中でも屈指の美しさを誇ります。

② 古墳の「中身」を体感する「いたすけ古墳」

一時は民間に払い下げられ、破壊・住宅地化の危機に瀕したものの、市民の熱烈な保存運動によって守られた全長約154メートルの前方後円墳です。 ここには崩れてしまった古い橋が周濠に架かったまま残されており、その野生味溢れる姿が独特のロマンを醸し出しています。ここから出土した「衝角付冑(しょうかくつきかぶと)型埴輪」は、現在、堺市の文化財保護のシンボルマークになっています。

③ 百舌鳥古墳群のセンター「大仙公園」と「百舌鳥高層の目線」

大仙陵古墳と履中天皇陵の間に広がる「大仙公園」は、古墳巡りの最高の拠点です。 公園内には、数々の陪塚(竜佐山古墳や孫太夫山古墳など)が点在しており、間近でその形状を観察できます。

旅のプロのアドバイス: 地上から形が分かりにくい古墳群ですが、JR百舌鳥駅から1駅の「三国ヶ丘駅」の屋上みくにん広場や、堺市役所21階の展望ロビーへ向かいましょう。上空からの水平な目線で街を見下ろすと、**「日常の住宅街の中に、巨大な鍵穴の形をした緑の島がポコポコと浮かんでいる」**という、世界でもここ堺でしか見られない奇跡的な絶景を堪能できます。

4. 歴史の繋がり:大仙陵から難波宮、そして現代へ

当ブログでこれまで追いかけてきたタイムラインを振り返ると、この百舌鳥古墳群の重要性がさらに立体的に浮かび上がります。

  • 百舌鳥古墳群(5世紀): 圧倒的な土木技術と武力、巨大古墳で世界に国力を誇示した「河内王朝」の絶頂期。
  • 高津宮・難波宮跡(6〜7世紀): 巨大なお墓を造るパワーを、今度は「法律(律令)」や「官僚機構」、そして「本物の都」の建設へとシフトさせていった新国家の誕生。

つまり、百舌鳥古墳群に眠る大王たちの強大な経済力と、大陸からの最新技術(鉄器や土木)の受け入れがあったからこそ、のちの聖武天皇の後期難波宮や、平城京といった華麗な都の文化が花開くことができたのです。

5. まとめ:1600年の時を超え、市民の憩いの場となった聖域

かつて、近づくことすら許されなかったであろう大王たちの不滅のモニュメント、百舌鳥古墳群。 5000万個の白い石で覆われ、2万本の埴輪が夕日に赤く染まっていたあの人工の建造物は、1600年という果てしない歳月の中で鳥たちが種を運び、豊かな木々が育ち、今や誰もが深呼吸できる美しい「本物の杜」へと生まれ変わりました。

歴史の教科書の一ページとして覚えるだけでなく、実際にそのお堀の周りを歩き、クスノキの葉が擦れ合う音を聴きながら、古代の王たちの情熱と、それを守り抜いてきた現代の堺の人々の愛を感じてみてください。

これにて大阪の古代王権を巡る大きな旅は一区切り。次回は、この技術や信仰がさらに東へと伝わっていった、新たな聖地をご紹介します。お楽しみに!

百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)

  • 散策の拠点:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町(大仙公園周辺)
  • アクセス:JR阪和線「百舌鳥(もず)駅」下車すぐ。または南海高野線「三国ヶ丘駅」「中百舌鳥駅」からもアクセス可能。
  • 参拝のヒント:百舌鳥駅のすぐ前にある「堺市博物館」で自転車をレンタル(シェアサイクル)するのが最もおすすめの巡り方です。フラットな地形なので、風を感じながら1〜2時間で多くの中小古墳を効率よく網羅することができます。

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