日本を創り、数多くの神々を生み落とした母なる神、伊邪那美命(イザナミノミコト)。 彼女は火の神(カグツチ)を生んだ際の火傷が原因で、惜しまれつつも命を落としてしまいます。
『古事記』には、悲しみに暮れた夫のイザナギが、彼女の遺体を「出雲の国と伯伎(ほうき)の国との堺なる比婆之山に葬りき」と記されています。その伝説の舞台こそが、今回ご紹介する広島県庄原市と島根県仁多郡奥出雲町にまたがる「比婆山」です。
山岳信仰の聖地であり、今なお原始的な自然と数々の謎に満ちた比婆山の魅力へ、深く迫ってみましょう。
1. 比婆山が「イザナミの御陵」とされるルーツ
比婆山連峰の格式高い主峰・比婆山(標高1,264メートル)の山頂には、古くから神域として立ち入りが制限されてきたエリアがあります。
山頂の「御陵(ごりょう)」
比婆山の山頂、神聖なブナの原生林に囲まれた中央には、巨石が円形に並べられた「比婆山久米王廟(御陵)」と呼ばれる場所が存在します。これこそが、古事記の記述にあるイザナミのお墓(御陵)そのものであると古くから信じられてきました。
周辺の山々や麓の村々では、この山自体をご神体として仰ぎ、古代から現代に至るまで、絶やすことなくイザナミへの祈りが捧げられています。
2. 比婆山で絶対に体感すべき「神話と自然」の名所
比婆山は、ただの登山ルートではなく、一歩足を踏み入れるごとに神話の情景が脳裏に浮かぶようなスピリチュアルな名所が点在しています。
① 比婆山山頂の御陵と「イチイの巨木」
山頂の御陵の周りには、国の天然記念物にも指定されている「比婆山伝説地イチイ林」があります。 通常、イチイの木は寒冷地に生息する木ですが、ここでは御陵を文字通り守護するように、樹齢数百年の巨木たちがねじれ、うねりながら自生しています。その異質なほどに厳かな光景は、訪れる人に「ここから先は神の領域である」ということを肌で感じさせます。
② 天岩戸の伝承が残る「岩樋山(いわひやま)」
比婆山連峰の一つである岩樋山には、神話の「天岩戸(あめのいわと)」伝説の舞台の一つとされる巨岩・奇岩が存在します。国を生み、去っていった神々の気配が、山の岩肌や地形の随所に名前として刻まれています。
③ 麓に佇む遥拝の社 ── 熊野神社
比婆山の広島県側(庄原市西城町)の麓には、比婆山御陵を遥拝する(遠くから拝む)ための「熊野神社」が鎮座しています。
- 100本を超える杉の巨木群: 境内に一歩足を踏み入れると、目を見張るのが広島県天然記念物にも指定されている巨大な杉の木々です。樹齢1000年を超えると言われる「目代杉(めしろすぎ)」をはじめ、空を覆い尽くすほどの杉並木が、この地がどれほど古くから神聖視されてきたかを無言で物語っています。
3. たたら製鉄の歴史と「出雲」との繋がり
比婆山周辺(奥出雲・備後地域)を語る上で外せないのが、日本古来の鉄づくりである「たたら製鉄」の歴史です。
日本書紀や古事記において、イザナミが亡くなる間際に生み出した神々の中には、金山毘古神(カナヤマビコノミコト)など「鉱山や鉄」を司る神が含まれています。 比婆山一帯は良質な砂鉄と、木炭の原料となる豊かな森林(ブナ林)に恵まれており、古代から鉄の一大生産地でした。神話におけるイザナミの死と再生の物語は、この地で燃え盛る「たたら(火)」と、そこから生み出される「鉄(新たな命・文明)」の象徴だったのではないか、という歴史ロマンに満ちた説もあります。
4. 昭和を揺るがした現代の謎 ── 類人猿「ヒバゴン」
比婆山といえば、歴史好きな方だけでなく、未確認生物(UMA)ファンにとっても聖地です。 昭和45年(1970年)代、この比婆山山麓の目撃情報を皮切りに、全国的な大騒動となった謎の類人猿「ヒバゴン」。
神話の時代から続く深い森、人が容易に立ち入れない原生林が残る比婆山だからこそ、「何か未知の生き物が潜んでいるかもしれない」という人々の畏怖と幻想を掻き立てたのかもしれません。古代神話と現代の都市伝説が同じ山に同居しているのも、比婆山の非常にユニークな魅力です。
5. まとめ:母なる神のぬくもりと、原始の森に還る旅
宮崎県や三重県など、イザナミの終焉の地とされる場所は日本全国にいくつか存在しますが、ここ比婆山が持つ「圧倒的な山の深さと静寂」は唯一無二です。
新緑の季節には瑞々しいブナの青葉が広がり、秋には全山が燃えるような紅葉に染まり、冬には厳しい雪に閉ざされる。その四季の移ろいそのものが、命を生み出し、自然へと還っていったイザナミの営みそのもののように感じられます。
神話のふるさとを巡る旅。ぜひ歩きやすい靴を履いて、日本神話の母が眠る、深く優しい緑の聖地を訪れてみてはいかがでしょうか。
【名所めぐり・参拝のヒント】
- 所在地: 広島県庄原市/島根県仁多郡奥出雲町
- アクセス: 車でのアクセスが基本となります。中国自動車道「庄原IC」から比婆山(ひろしま県民の森)まで車で約40分。
- おすすめの巡り方: 登山初心者でも整備されたトレッキングコース(ひろしま県民の森からのルートなど)を利用すれば、片道1時間半〜2時間ほどで山頂の御陵へ向かうことができます。登山の前後に、麓の「熊野神社」へ参拝すると、より深く神話の世界に浸ることができます。

コメント