関東平野のど真ん中、埼玉県行田市。ここに、のどかな田園風景の中に突如として巨大な前方後円墳や円墳が9基も密集する、奇跡のエリアがあります。それが国指定特別史跡「埼玉(さきたま)古墳群」です。
今回ご紹介する「稲荷山(いなりやま)古墳」は、その古墳群のなかでも最初に造られた、まさに「じまりの古墳」です。
1978年、この古墳から出土した一振りの鉄剣から、115文字の「黄金の文字」が発見されました。それは、それまで神話の霧に包まれていた古代日本の歴史を、一瞬にしてリアルな「事実」へと変えた、考古学史上最大の「大逆転劇」の舞台だったのです。
1. 稲荷山古墳とは? —— 埼玉古墳群の先駆けとなった前方後円墳
稲荷山古墳は、5世紀後半(およそ1550年前)に築造された、全長約120メートルの前方後円墳です。
- 埼玉(さきたま)の名の由来: この一帯の地名である「埼玉(さきたま)」は、のちに「埼玉県」の県名の由来となりました。つまり、この古墳群がある場所こそが、埼玉のすべての原点なのです。
- 復元された美しい姿: かつて昭和初期に、周囲の土が沼の埋め立てに使われ、前方部が完全に失われるという悲劇に見舞われました。しかし、その後の綿密な発掘調査のデータを基に、2004年に本来の美しい「前方後円墳」の姿へと、見事に完全復元されました。
2. 歴史を揺るがした世紀の大発見 ── 国宝「金錯銘鉄剣」の奇跡
稲荷山古墳を語る上で、絶対に外せないのが「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」の物語です。
① 1500年の眠りから覚めた115文字
1968年、後円部の頂上にある「礫槨(れきかく=石を敷き詰めた埋葬施設)」から、多くの武器や武具とともに、錆びついた一本の鉄剣が出土しました。 それから10年後の1978年。元興寺文化財研究所(奈良県)にて、保存処理のためにエックス線撮影を行ったところ、錆の下から「純金」で象嵌(ぞうがん)された115文字の漢字が浮かび上がったのです。これこそが、日本考古学史を揺るがす大事件でした。
② 刻まれていた「ワカタケル大王」の衝撃
鉄剣には、この剣を作らせた「ヲワケの臣」という人物の、8代にわたる先祖の系譜が刻まれていました。そして、彼が仕えた主君の名として「獲加多支鹵大王(ワカタケルオオキミ)」の文字がはっきりと記されていたのです。
この「ワカタケル」とは、第21代雄略(ゆうりゃく)天皇の忌み名(本名)に他なりません。
なぜこれが大発見なのか? ほぼ同じ時代、熊本県の江田船山古墳からも「ワカタケル(獲加多支鹵)」と読める文字が書かれた鉄刀が出土していました。 つまり、この一振りの鉄剣によって、**「5世紀後半のヤマト王権(雄略天皇)の権力は、九州(熊本)から関東(埼玉)に至るまで、日本全土を完全に支配下に置いていた」**という事実が、神話ではなく「文字の証拠」として完全に証明されたのです。
3. 名所めぐりのハイライト:古墳の頂上から関東平野を見渡す
現代の稲荷山古墳は「さきたま古墳公園」として美しく整備されており、他の巨大古墳(大仙陵古墳など)とは異なり、実際に古墳の頂上まで登ることができるのが最大の魅力です。
① 後円部の「国宝出土の現場」
青々とした芝生の階段を登り、円形の後円部頂上に立つと、鉄剣や貴重な副葬品が見つかった「礫槨」の跡地が白線でマークされています。 1500年前、ここに東国の有力者が、大王から授かった宝剣とともに眠っていた──。その歴史の現場の空気をダイレクトに肌で感じることができます。
② 360度の大パノラマと「丸墓山古墳」
頂上からは、遮るもののない関東平野の大パノラマが広がります。 すぐ隣には、日本最大級の円墳であり、豊臣秀吉の小田原征伐の際、石田三成が忍城(おしじょう)を水攻めにするために本陣を張った「丸墓山(まるはかやま)古墳」が聳え立っています。古代の王たちの墓が、戦国時代の戦乱の舞台となり、そして現代の憩いの公園へと繋がっている、歴史の多層的な広がりを実感できる絶景ポイントです。
③ 埼玉県立さきたま史跡の博物館
古墳のすぐ目と鼻の先にある博物館には、国宝に指定された「金錯銘鉄剣」の実物が常設展示されています。 暗闇の中に浮かび上がる、1500年前の純金の文字の輝きは、言葉を失うほどの神々しさです。鉄剣とともに見つかった、日本に数点しかない「画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)」や、黄金の帯金具、美しい「人間や馬の埴輪」も合わせて見ることができ、当時の東国の華やかな文化度を知ることができます。
4. 歴史の深掘り:なぜ「武蔵の国(行田)」だったのか?
これまで巡ってきた「百舌鳥・古市古墳群(大阪)」の大王たちにとって、この埼玉の地は、東国を治めるためのもっとも重要な「大動脈(拠点)」でした。
行田市周辺は、利根川や荒川といった巨大な河川がもたらす豊かな水源があり、関東平野屈指の巨大な穀倉地帯(米どころ)でした。また、大陸の最先端技術(乗馬の文化や鉄器の加工技術)を持った渡来人たちが、ヤマト王権の差配によってこの地に数多く移住していたことが分かっています。
稲荷山古墳の被葬者(ヲワケの臣)は、大王の親衛隊長として畿内で活躍した後、その最新の権力とカルチャーを故郷である埼玉へと持ち帰り、東国の王として君臨したのです。
5. まとめ:日常のなかに輝く、日本のルーツ
大阪の「難波宮跡」や「高津宮」で花開いた中央集権国家のシステムは、この稲荷山古墳に眠る有力者たちのような、地方の熱きエリートたちの忠誠とネットワークによって支えられていました。
いま、地元の子供たちが学校帰りに土手を歩き、春には見事な桜が咲き誇るさきたま古墳公園。そののどかな日常の風景の真ん中には、日本の「国家の夜明け」を今に伝える、世界的な宝物が眠っていました。
関東を旅する際は、東京のビル群から少し足を延ばし、この稲荷山古墳の頂上に立ってみてください。遮るもののない広大な空から吹き抜ける風の中に、かつて愛馬を駆り、黄金の剣を携えて東国を駆け抜けた若き英雄たちの足音が、今も聞こえてくるはずです。
稲荷山古墳(さきたま古墳群)
- 所在地:埼玉県行田市大字埼玉4834(さきたま古墳公園内)
- アクセス:JR高崎線「行田駅」または「吹上駅」から市内循環バス、あるいは秩父鉄道「行田市駅」から観光用無料レンタル自転車(シェアサイクル)で約15分。
- 参拝・散策のヒント:公園全体が非常に広大(東京ドーム約8個分)なため、歩きやすいスニーカーでの訪問が必須です。周辺名物の、中にあんこや赤飯が入った揚げ物「ゼリーフライ」を食べながら、のんびり歴史ハイキングを楽しむのが最高の定番ルートです。

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