神 様 図 鑑 — No. 008
すさのおのみこと 素戔嗚尊
嵐・海・農業の神 / ヤマタノオロチ退治の英雄 / 和歌の祖神
基本情報
① 名前と出典
| 正式名称 | 素戔嗚尊(すさのおのみこと)日本書紀 |
|---|---|
| 古事記表記 | 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)古事記 |
| 名前の意味 | 「スサ」は「荒ぶる・激しい」さまを意味するとも、「すすむ・清らか」を意味するとも解釈される。「ノオ」は「男・雄」。古事記の「建速(たけはや)」は「猛々しく速い」の意。全体として「荒ぶる力ある雄神」を表す。 |
| 初出文献 | 古事記(712年)上巻・日本書紀(720年)神代上。日本神話の中でも最も多くの神話・エピソードを持つ神のひとり。 |
② 別名と出典
| 建速須佐之男命 | たけはやすさのおのみこと。古事記での正式名称。「猛々しく速い」という修飾がつく。古事記 |
|---|---|
| 武素盞嗚尊 | たけすさのおのみこと。日本書紀の別表記のひとつ。日本書紀 |
| 神素盞嗚尊 | かみすさのおのみこと。「神」の尊称を冠した表記。出雲系の神社で使われることが多い。出雲国造神賀詞 |
| 牛頭天王 | ごずてんのう。神仏習合時代の呼称。インド由来の疫病神・牛頭天王と同一視され、八坂神社では現代も祇園祭の中心神。中世神仏習合 |
| 備後国荒神 | 広島・備後地方で疫病除けの神として信仰された素戔嗚尊の呼称。蘇民将来の伝説と結びつく。備後国伝承 |
③ 同一神・神仏習合
| 牛頭天王 | インド・仏教由来の疫病を司る神・牛頭天王(ごずてんのう)と習合。中世に「祇園信仰」として全国に広まり、京都・八坂神社(祇園社)の主神として定着した。毎年7月の「祇園祭」はこの習合信仰に基づく日本三大祭のひとつ。明治の神仏分離令後は牛頭天王の名称は廃され、素戔嗚尊に統一された。 中世神仏習合(本地垂迹説) |
|---|---|
| 薬師如来(一部) | 疫病神・牛頭天王の本地(本来の仏の姿)として薬師如来に配される場合もあった。病気を癒す薬師如来と、疫病を司る牛頭天王(素戔嗚尊)が同一視された地域的な信仰。 各地民間信仰 |
④ 神様の種類
| 分類 | 天津神から国津神へ——伊弉諾尊から生まれた三貴子のひとりとして高天原(天界)出身の天津神として誕生したが、高天原を追放され地上(根之堅州国・出雲)へ降りたことで事実上「国津神」として地上に根ざした神となった。天と地の両方の側面を持つ唯一無二の神格。 |
|---|---|
| 神格 | 嵐神・海神・農業神・英雄神・詩歌神・厄除神・縁結神 |
| 特徴 | 日本神話の神々のなかで最も人間的な感情の起伏を持つ神。死んだ母を恋しがって泣き続け、高天原で乱暴し追放される「問題児」から、ヤマタノオロチを退治して英雄となり、日本最古の和歌を詠む「詩人」へと変貌する。その複雑な性格は、大国主命ら多くの子孫・関係者とのドラマを生み出し、日本神話最大の登場人物ともいえる存在。 |
⑤ 系図
⑥ 活躍した時代
伊弉諾尊の禊から天照大神・月読命とともに生まれた三貴子のひとりとして神代のはじめに登場。海を治めるよう命じられるも、死んだ母・伊弉冉尊を慕って泣き続け、その荒ぶる泣き声が山川を枯らすほどだったとされる。高天原を追われ根之堅州国へ行くと宣言、途中で姉・天照大神のもとへ立ち寄ったことが天岩戸隠れの間接的原因となった。その後出雲に降り立ちヤマタノオロチを退治、奇稲田姫と結婚し日本最古の和歌を詠んだ。出雲に根ざした晩年は子孫・大国主命の国づくりへと続き、出雲神話の精神的な源流を作り上げた。
祀られる神社
登場する神話・伝説
泣き叫ぶ神——母を求めて山河を枯らした少年神
伊弉諾尊から「海原を治めよ」と命じられた素戔嗚尊だったが、死んだ母・伊弉冉尊を恋しがって泣き続けた。その泣き声はあまりに激しく、青山は枯れ山となり、河海は干上がり、悪神が跋扈するほどだったという。怒った父神・伊弉諾尊に「ならば根の国へ行け」と追放を命じられ、素戔嗚尊は根之堅州国(母のいる死者の国)へ向かうと決める。その前に姉・天照大神に別れを告げようと高天原へ向かったことが、天岩戸隠れ事件の発端となった。この神話は、素戔嗚尊の「荒ぶる力」が実は深い愛情と悲しみから来るものであることを示している。
天岩戸隠れの原因——高天原での乱暴と追放
高天原を訪れた素戔嗚尊は、天照大神に「国を奪いにきたのではない」と誓約(うけい)で証明したものの、その後高天原で乱暴を働いた。天照大神が丹精込めて作った田の畦を壊し、溝を埋め、神聖な機屋(はたや)の屋根を壊してその中に馬の死骸を投げ込んだ。驚いた機織り女が亡くなるほどの騒動となり、天照大神は深く傷ついて天岩屋戸に閉じこもった。太陽が消えた世界は暗闇に包まれ、八百万の神々が集まり対策を講じる一大事となった。素戔嗚尊はこの罪によって高天原から追放され、多額の贖罪(罰)を受けた。
ヤマタノオロチ退治——出雲に降り立った英雄神
高天原を追放され出雲国・鳥上の峯(斐伊川上流)に降り立った素戔嗚尊は、泣いている老夫婦(足名椎・手名椎)に出会う。娘・奇稲田姫(くしいなだひめ)が毎年八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に食われてしまうと嘆く老夫婦に、素戔嗚尊は「娘を嫁にくれるなら退治してやろう」と申し出る。奇稲田姫を髪飾りに変えて自らに付け、酒を八つの桶に満たして大蛇を待ち伏せた。大蛇が酒に酔って眠ったところを十拳剣(とつかのつるぎ)で斬り殺した。その尾を切ったとき、中から天叢雲剣(草薙剣)が現れ、これを天照大神に献上した。
日本最古の和歌——八雲立つ
ヤマタノオロチを退治し奇稲田姫と結婚した素戔嗚尊は、新居を構えるために出雲の須賀の地を訪れた。その地に雲がたなびくのを見て、素戔嗚尊は歌を詠んだ。この歌は古事記・日本書紀に収録された日本最古の和歌として知られ、5・7・5・7・7という31音の形式(短歌形式)の原型を持つとされる。嵐の神が詩人に転じる瞬間であり、この歌に込められた喜びと安らぎは、荒ぶる神の内面的な変革を象徴している。
蘇民将来の伝説——茅の輪くぐりの起源
旅をしていた素戔嗚尊(牛頭天王)が一夜の宿を求めたとき、裕福な巨旦将来(こたんしょうらい)は断り、貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)が粟飯でもてなした。後日神に戻った素戔嗚尊は蘇民将来の子孫が疫病に罹らぬよう「茅の輪を腰につけよ」と告げた。これが夏越の大祓(なごしのおおはらえ)で茅の輪をくぐる慣習の起源とされ、現在も6月30日を中心に全国の神社で行われる。「蘇民将来子孫也」と書いた護符も各地に伝わる。
逸話・エピソード
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
八重垣つくる この八重垣を
やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる このやえがきを
「幾重にも雲がたなびく出雲の地に、愛する妻(奇稲田姫)を迎え入れるために、幾重にも垣根を作ることよ」という意味。ヤマタノオロチを退治し愛する妻と結ばれた喜びと、新居への愛着が溢れる一首。「八重垣(やえがき)」という地名の起源となったとされ、現在も島根県松江市に八重垣神社として残る。この歌が5・7・5・7・7の短歌形式の原点とされ、素戔嗚尊は「和歌の祖神(わかのそじん)」として現在も詩歌・文学の神として信仰されている。
ヤマタノオロチの尾を切った際、剣の中から美しい剣が現れた。素戔嗚尊はこの剣を「霊妙な剣だ」と感じ、天照大神に献上した。これが「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」であり、後に「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」と呼ばれ、三種の神器のひとつとなった。現在は愛知県名古屋市の熱田神宮に祀られており、天皇即位の際にも使用される最重要の神器である。素戔嗚尊のヤマタノオロチ退治という一つの英雄譚が、日本の王権の正統性を象徴する宝を生み出したことになる。
根之堅州国に辿り着いた大国主命(大己貴命)を迎えた素戔嗚尊は、娘・須勢理毘売命と恋に落ちた大国主命に次々と試練を課した。蛇の室・蜈蚣と蜂の室・野焼きの炎など、どれも命に関わる過酷な試練だったが、大国主命は须勢理毘売命の助けを借りてすべて乗り越えた。最終的に素戔嗚尊の宝物を持って脱出した大国主命に「大国主」の名を与えて認め、「国を治めよ」と祝福した。厳しい試練を課しながらも最後に認める——その姿は「厳しいが愛情深い父」の原型として語られる。
素戔嗚尊が牛頭天王(ごずてんのう)と習合したことで生まれた「祇園信仰」は、平安時代の869年に京都で疫病が流行した際、66本の鉾(ほこ)を立てて疫神を鎮めたことが「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」の起源とされる。この祭りが発展したものが現在の「祇園祭」であり、毎年7月1日から31日まで京都・八坂神社で行われる日本三大祭のひとつ。山鉾巡行(やまほこじゅんこう)は2009年にユネスコ無形文化遺産に登録された。疫病除け・厄払いの神としての素戔嗚尊の信仰がそのまま日本最大規模の祭礼へと発展した例である。
愛知県津島市の津島神社(牛頭天王の総本社)は、織田信長の祖父・織田信定の時代から織田家が深く信仰した神社である。信長は津島神社の祭礼(天王祭)を特別に保護し、神社の発展に貢献した。また豊臣秀吉も津島出身であることから津島神社と縁が深く、晩年まで信仰を続けたとされる。さらに八坂神社(京都)は祇園祭の中心として、歴代の武将・公家・商人に至るまで広く信仰され続けた。「荒ぶる嵐の神」でありながら疫病から民を守り英雄的な力を持つ素戔嗚尊は、戦国時代の武将たちに特に人気の高い神だったといえる。

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