神 様 図 鑑 — No. 006
うかのみたまのかみ 宇迦之御魂神
お稲荷さんの主祭神 / 五穀豊穣の神 / 商売繁盛の神
基本情報
① 名前と出典
| 正式名称 | 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)古事記 |
|---|---|
| 表記ゆれ | 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)日本書紀 |
| 名前の意味 | 「宇迦(うか)」は食物・穀物を意味する古語。「御魂(みたま)」は神霊・魂。すなわち「食物・穀物の神霊」を意味する。稲=「稲荷(いなり)」の語源にもなったとされる。 |
| 初出文献 | 古事記(712年)上巻。素戔嗚尊と神大市比売の御子神として登場する。 |
② 別名と出典
| 倉稲魂命 | くらいなだまのみこと。日本書紀における表記。「倉に満ちた稲の魂」の意。日本書紀 |
|---|---|
| 稲荷大明神 | いなりだいみょうじん。神仏習合時代に広まった呼び名。「稲荷(いなり)」は「稲生り(いねなり)」が転じたとも、「食物の神(うけのかみ)」が転じたともいわれる。伏見稲荷大社縁起 |
| 御食津神 | みけつのかみ。食物・食事を司る神としての呼称。保食神と同一視されることもある。古語拾遺 |
| 三狐神 | みけつのかみ。「三(み)」+「狐(けつ)」と解釈され、狐と結びついた呼称。後世の民間信仰から生まれた。民間信仰 |
③ 同一神・神仏習合
| 荼枳尼天 | だきにてん。インド・密教由来の女神で、狐に乗る像で描かれる。「稲荷」信仰と習合し、豊穣・福徳・商売繁盛の神として江戸時代に爆発的に広まった。豊川稲荷(愛知県豊川市)では宇迦之御魂神ではなく荼枳尼天を本尊として祀る。 中世神仏習合 |
|---|---|
| 保食神との関係 | 保食神(うけもちのかみ)とは食物の神として性格が重なり、同一視される説もある。厳密には古事記・日本書紀で別の神として登場するが、民間信仰では混同される場合もある。 古事記・日本書紀 |
| 大物主神との関係 | 伏見稲荷大社では宇迦之御魂神のほかに佐田彦大神・大宮能売大神・田中大神・四大神を合わせて「稲荷五社大明神」として祀る。大物主神(大国主命の化身)と稲荷神が同一視される地域もある。 伏見稲荷大社社伝 |
④ 神様の種類
| 分類 | 国津神(くにつかみ)——素戔嗚尊と神大市比売の御子神として生まれた地の神。食物・穀物を司る神として地上の生命を支える存在。 |
|---|---|
| 神格 | 食物神・穀物神・農業神・商業神・産業神・福徳神 |
| 特徴 | 古事記・日本書紀では食物神としての記述は簡潔だが、平安時代以降に「稲荷信仰」として庶民の間に爆発的に広まり、農業・商業・工業・芸能など万能の神として発展した。現代では「商売繁盛の神」として経営者・個人事業主からの信仰が特に厚い。 |
⑤ 系図
⑥ 活躍した時代
古事記・日本書紀では素戔嗚尊の御子神として名前が登場するにとどまるが、711年(和銅4年)に稲荷山(現・伏見稲荷大社)に鎮座したとされる記録が稲荷信仰の始まりとされる。平安時代には朝廷の崇敬を受け、江戸時代には商業の発展とともに庶民の「商売繁盛の神」として爆発的に全国へ広まった。現代では全国約30,000社の稲荷神社を通じて、日本人にもっとも身近な神様のひとつとして参拝者数トップクラスを誇る。
祀られる神社
登場する神話・伝説
誕生——素戔嗚尊と山の神の娘の御子神として
素戔嗚尊が大山津見神(山の神)の娘・神大市比売(かむおおいちひめ)との間に生まれた御子神が宇迦之御魂神である。古事記では「また神大市比売を娶りて生みし子は大年神、次に宇迦之御魂神」と簡潔に記されるのみだが、「うか」が食物・穀物を意味することから、この神が生まれた瞬間から食の恵みを司る神格が与えられたとされる。嵐の神・素戔嗚尊と山の神の娘の間に生まれたという出自は、農耕に欠かせない「風雨と山からの恵み」を体現する存在ともいわれる。
稲荷山への鎮座——711年、餅が白い鳥になった奇跡
伏見稲荷大社の社伝によると、和銅4年(711年)2月初午の日、伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)という人物が餅を的にして弓を射たところ、餅が白い鳥に変じて稲荷山の峰に飛んでいき、その場所に稲が生い茂ったとされる。その峰に神が鎮座したとされ、これが伏見稲荷大社の起源とされる。「2月初午(はつうま)の日」は今も全国の稲荷神社で最も重要な祭礼「初午祭」として受け継がれており、この日に稲荷神社へ参拝すると特別なご利益があるとされる。
狐と稲荷神——神使としての白狐の起源
稲荷神社の代名詞ともいえる「白い狐(白狐)」は、宇迦之御魂神の神使(しんし・かみのつかい)とされる。稲荷山に狐が多く生息し、稲の害獣であるネズミを食べることから農業の守護者として神聖視されたとも、または荼枳尼天信仰における「狐に乗る天女」のイメージが稲荷信仰と習合したとも説明される。白狐は「びゃっこ様」とも呼ばれ、神社の境内に置かれる狐像は宇迦之御魂神へのメッセージを神様に届ける使者とされる。
千本鳥居の由来——願いが叶ったお礼に鳥居を奉納する慣習
伏見稲荷大社の「千本鳥居」は、江戸時代以降に「願いが叶ったら鳥居を奉納する」という慣習が広まり、多数の鳥居が山道に立ち並ぶようになったことに由来する。現在は1万基以上の朱塗りの鳥居が稲荷山の参道を覆い、幻想的な光景を作り出している。鳥居の朱色は「魔力に対抗する色・生命力の象徴」とされ、宇迦之御魂神の力が満ちていることを表す。外国人観光客にも「FUSHIMI INARI」として世界的に有名となり、日本を代表する絶景スポットのひとつとなっている。
逸話・エピソード
毎年2月の最初の「午の日(うまのひ)」は「初午(はつうま)」と呼ばれ、全国の稲荷神社で最も重要な祭礼が行われる。これは711年の稲荷山への鎮座が2月初午の日とされることに由来する。この日に稲荷神社へ参拝することは古来「福参り」と呼ばれ、農家は豊作、商家は商売繁盛を祈願してきた。江戸時代には江戸中の稲荷社に初午参りをする慣習が大流行し、「初午に稲荷へ参らぬは江戸の恥」とまでいわれた。現代でも初午の日の稲荷神社は多くの参拝者で賑わう。
稲荷神社の奉納食として知られる「油揚げ(お揚げ)」は、狐の好物とされたことから稲荷神へのお供え物として定着した。本来は狐の好物である「ネズミ」を油揚げで包んだものを模した、という説と、豆腐を揚げた油揚げが黄金色で豊穣を象徴したという説がある。この油揚げを皮に見立てて酢飯を詰めた「稲荷寿司(いなりずし)」は、稲荷神への奉納をもとにした食べ物として江戸時代に庶民の間に広まり、現在も日本全国で親しまれる。伏見稲荷大社の参道にも稲荷寿司を出す名店が並ぶ。
もともと稲荷神は「稲・食物の神」として農民に信仰されていたが、江戸時代に商業が発展すると「商売繁盛の神」としての性格が前面に出るようになった。特に江戸(東京)では「江戸には伊勢屋・稲荷に犬の糞」という川柳が残るほど、稲荷社は至るところにあった。現代では農業・商業を超えて、IT・芸能・芸術など産業全般の守護神として幅広い職業の人々に信仰されている。伏見稲荷大社には毎年多くの企業の初詣参拝が行われ、商売繁盛の祈祷が絶えない。
伏見稲荷大社の稲荷山(標高233m)には、山全体に「お塚(おつか)」と呼ばれる無数の石碑・石祠が鎮座している。これは参拝者が個人的に祈願した神様の名を刻んだ石を奉納する独自の信仰慣習で、現在では数万基に及ぶとされる。ひとりひとりの祈りが積み重なってできた山全体が「聖なる場所」として機能するこの信仰形態は、日本では非常に珍しい。稲荷山を一周する「お山めぐり」は約4kmの参道で、全てのお塚をめぐりながら山頂まで登る特別な参拝体験として知られる。
稲荷神社の狐像はそれぞれ口に何かをくわえていることが多い。くわえているものは神社によって異なり、「稲穂(豊穣)」「巻物(知恵・神通力)」「玉(神の霊力)」「鍵(倉の鍵・財宝)」の4種類が代表的。参拝の際に狐像が何をくわえているかをチェックするのも神社めぐりの楽しみのひとつ。また、狐像は「神様の使い」であり、神様そのものではない。参拝の際は狐像ではなく、奥の本殿に祀られる宇迦之御魂神に向けてお祈りするのが正式な作法。

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