目連(もくれん)は、お釈迦さまの弟子の中で「神通第一(じんずうだいいち)」と呼ばれた人です。夏のお盆の由来となった物語の主人公でもあります。
この記事でわかること
- 親友・舎利弗(しゃりほつ)との約束と、お釈迦さまの弟子になったいきさつ
- 餓鬼の世界に落ちた母を救った『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』の話と、お盆とのつながり
- 神通力の達人が、なぜ母も自分の命も神通力では救えなかったのかという謎
お盆に手を合わせるとき、その始まりにいた一人の弟子の物語です。
01. 目連の基本情報
| 分類 | 羅漢・祖師(お釈迦さまの十大弟子の一人) |
| 読み方 | もくれん |
| 正式な名前・別名 | 目犍連(もっけんれん)。舎利弗と並ぶ二大弟子として、大目犍連(だいもっけんれん)・摩訶目犍連(まかもっけんれん)とも |
| 梵名(ぼんみょう) | マウドガリヤーヤナ(Maudgalyāyana)。パーリ語ではモッガッラーナ(Moggallāna) |
| 若いころの名前 | コーリタ(拘律多〈くりった〉) |
| 出身 | 古代インドのマガダ国、王舎城(おうしゃじょう)の北の村。バラモン(祭司の家柄)の出 |
| 称号 | 神通第一(不思議な力にもっとも優れた弟子) |
| 真言・種子字(しゅじじ)・ご縁日 | 確認できる資料では見つからなかった(本記事では省略) |
| ゆかりの行事 | 盂蘭盆会(うらぼんえ=お盆) |
02. 目連とは? ― お釈迦さまの「神通第一」の弟子
① 一言まとめ
目連(目犍連〈もっけんれん〉)は、お釈迦さまの十大弟子の一人です。不思議な力(神通力)がだれよりも優れていたため、「神通第一」と呼ばれました。仏様ではなく、実在したとされるお坊さんです。
② 生涯と経典上の位置づけ
目連は、マガダ国の王舎城の北にある村で、バラモンの家に生まれました。隣の村には、幼なじみの舎利弗がいました。
2人は一緒に出家し、はじめはサンジャヤという思想家の弟子になります。しかし満足できず、のちにお釈迦さまの弟子になりました(「07」の物語で紹介します)。
弟子になってからは、神通力で説法をじゃまする鬼神や龍をしずめたと伝わります。難陀龍王(なんだりゅうおう)をしずめた話も、その一つです(くわしくは難陀龍王の記事へ)。
いっぽうで、ほかの教えを信じる人たちから恨みを買うこともありました。最後は、外道(げどう=仏教以外の教えを信じる人)に打ちのめされて亡くなったと伝わります。舎利弗とともに、お釈迦さまより先に亡くなりました(2人のどちらが先かは、資料によって異なります)。
そして日本で目連の名を広めたのが、『盂蘭盆経』です。目連が神通力で亡き母をさがすと、母は餓鬼(がき)の世界に落ち、苦しんでいました。食べ物をささげても、口に入る前に炎になってしまいます。
お釈迦さまは、「安居(あんご=夏の修行期間)の最後の日に、すべての僧に食べ物を施しなさい」と教えました。目連がそのとおりにすると、母は餓鬼の苦しみから救われたとされます。この話が、お盆(盂蘭盆会)の由来とされています。
なお『盂蘭盆経』は、インドではなく中国などで作られたお経だとする説が有力です。ただし、インドの原典から訳されたとする研究もあります(諸説あり)。
③ 姿の特徴
目連は人間のお坊さんなので、頭をそり、袈裟(けさ)を着た僧の姿で表されます。如来や菩薩のような光背や、きらびやかな飾りは基本的にありません。
日本で有名なのは、興福寺の国宝「十大弟子立像」と、大報恩寺(千本釈迦堂)の快慶作「十大弟子立像」です(「05」で紹介します)。決まった持物(じもつ)や印相(いんぞう=手の形)はありません。
03. 目連とお盆 ― 先祖供養・親への感謝
👪 親への感謝・親孝行
🍚 施しの心
🙏 亡き人を思う祈り
目連はお坊さんなので、仏様のような「ご利益」が定められているわけではありません。ただ、『盂蘭盆経』の物語から、先祖供養や親を思う心と深く結びついています。
こんな人におすすめ
- お盆やお彼岸に、亡くなった家族を思う人
- 親や家族に、なかなか感謝を伝えられない人
- 自分の力だけでは解決できない悩みを抱えている人(「10」の謎にちなんで)
結びつきの根拠:『盂蘭盆経』で目連の母を救ったのは、目連の神通力ではありませんでした。多くの僧への施しが、母に届いたとされます。そのためお盆には、ご先祖さまのためにお供えをし、お寺に施しをする習わしが広まりました。
04. 目連と関連する仏様・人物
05. 目連に会える寺院 ― 興福寺・大報恩寺
- 興福寺(こうふくじ/奈良県奈良市)― 国宝館に、奈良時代の国宝「乾漆十大弟子立像(かんしつじゅうだいでしりゅうぞう)」が残ります。もとは10体で、734年ごろ、光明皇后が建てた西金堂(さいこんどう)にまつられていました。今残るのは6体で、その一体が目犍連とされます。布と漆で作る技法のため軽く、火事のときに運び出せたと考えられています(どの像がどの弟子かは、確定していない部分もあります)。
- 大報恩寺(だいほうおんじ=千本釈迦堂/京都府京都市上京区)― 鎌倉時代の仏師・快慶の最晩年の作とされる「十大弟子立像」(重要文化財)があり、その一体が目犍連立像です。目犍連像には快慶の署名があり、10体のうちこの像だけが金泥(きんでい)で塗られていると紹介されています。もとは本堂のご本尊・釈迦如来坐像を囲んでいたとされ、今は霊宝殿(れいほうでん)で拝観できます。
- 京都国立博物館(京都府京都市東山区)― 鎌倉時代の「木造十大弟子立像」(重要文化財)が伝わり、公開されることがあります。もとは京都の常楽院(じょうらくいん)で、清凉寺式の釈迦如来像とともにあった一群です。ただし目犍連像は、江戸時代に作り直された像に替わっているとされます。展示されているかは、時期によって異なります。
- 全国のお寺の盂蘭盆会・施餓鬼会(せがきえ)― 目連の物語は、お盆の法要で語られることがあります。お近くのお寺の行事も確かめてみてください。
06. 目連の見分け方 ― 舎利弗・ほかの十大弟子・羅漢との違い
- ✅ 頭をそった僧の姿で、光背や飾りがない:如来・菩薩ではなく、弟子や羅漢(らかん)の像です。
- ✅ 10体で一組の僧の像:十大弟子です。目連はその一人です。
- ✅ 名札や解説で「目犍連」:十大弟子の像は、見た目だけでは区別がつかないことが多いので、名札で確かめるのが確実です。
- ✅ 母を救う僧の絵:お盆の絵や地獄絵の中で、炎の中の母に食べ物を差し出す僧がいたら、目連の場面かもしれません。
※興福寺の十大弟子像のように、どの像がどの弟子かが確定していない例もあります。お寺の案内もあわせて確かめてください。
07. 目連の物語コラム ― 舎利弗との約束
目連と舎利弗は、子どものころからの親友でした。2人は、人の世のはかなさを感じて、一緒に出家します。
はじめに弟子入りしたのは、思想家のサンジャヤでした。でも、そこで本当に大切な答えは見つかりません。そこで2人は、こんな約束をしました。
ある日、舎利弗は王舎城の町で、静かに托鉢(たくはつ)をする一人のお坊さんに目をとめます。お釈迦さまの弟子、アッサジでした。その落ち着いた姿に心をひかれ、舎利弗はたずねます。「あなたの師は、何を教えているのですか」。
アッサジは「私はまだ新米なので、くわしくは話せません」と言いながら、教えの要点を短い詩で伝えました。
その一言で、舎利弗の心に光がさしました。舎利弗はすぐに目連のもとへ向かいます。遠くから舎利弗の澄んだ顔を見た目連は、「もしや、たどり着いたのか」とたずねました。
舎利弗から同じ詩を聞いた目連も、たちまち悟りの入口に立ちました。2人は仲間とともに、お釈迦さまのもとへ向かいました。250人の仲間も、2人に続いたと伝わります。
親友との約束が、仏教史上もっとも有名な2人の弟子を生んだのです。
08. 目連のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 目連は、お釈迦さまの十大弟子で「神通第一」。親友舎利弗との約束から弟子になった
- 『盂蘭盆経』で、餓鬼の世界に落ちた母を救った話が、お盆の由来とされる
- 奈良の興福寺や京都の大報恩寺で、十大弟子の一人としての像に会える
次のお盆には、母を思って走り回った一人の弟子のことも、少し思い出してみてください。
09. ゆる仏様トーク ― 目連編
目連と舎利弗は、今でいえば「どっちが先に合格しても、必ず勉強法を教え合おうと約束した親友コンビ」です。しかも2人そろって、学年トップの2人になってしまいました。
なんと、空を飛び、龍をしずめ、天上界まで見通せる「神通第一」。それなのに、お母さんにごはんを届けることだけは、どうしてもできなかったのです。──そう、いちばん近くの人を救うことが、いちばん難しいのかもしれません。
※経典の言葉ではなく、『盂蘭盆経』の物語をもとに目連をイメージしたセリフです。

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