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【仏様図鑑】十大弟子(じゅうだいでし)-釈迦の10人の高弟一覧、なぜこの10人なのかの謎

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十大弟子(じゅうだいでし)とは、お釈迦さまの弟子の中でも、とくにすぐれた10人のことです。

この記事でわかること

  • 10人の名前・読み方・「〇〇第一」の一覧
  • 10人がそろって登場する『維摩経』の物語
  • 【謎】お経で名簿がちがうのに、なぜ「この10人」なのか

実は、『法華経』の弟子の名簿に、名前がない十大弟子が一人いるのです。

01. 十大弟子の基本情報

十大弟子(じゅうだいでし)基本情報
分類 羅漢・祖師(らかん・そし/羅漢は悟りを開いた修行者のこと)。釈迦如来の直弟子10人をまとめた呼び名
読み方 じゅうだいでし
別名 十弟子(じゅうでし)
メンバー 舎利弗・目連・迦葉・須菩提・富楼那・迦旃延・阿那律・優波離・羅睺羅・阿難(『維摩経』弟子品に出てくる順)
ゆかりのお経 『維摩経』(ゆいまぎょう)弟子品(でしほん)など
梵名・真言・種子字・ご縁日 10人をまとめた呼び名なので、確認できる資料では見つからなかった(本記事では省略)
💡 出典:読み・別名「十弟子」・10人と称号はコトバンク(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典)とWikipedia「十大弟子」。並びの順番はWikipedia「十大弟子」(『維摩経』弟子品の順。この箇所には出典要求の注記あり)。

02. 十大弟子とは? ― 10人の名前と「〇〇第一」の一覧

① 一言まとめ

十大弟子は、お釈迦さまのそばで教えを受けた、実在したとされるお坊さん10人です。仏様ではありませんが、お寺では釈迦如来を囲むように像がならべられ、大切にされてきました。

② 呼び名の成り立ち

実は、「十大弟子」という呼び名は、仏教の最初のころからあったわけではありません。たとえば古いお経の『増一阿含経』(ぞういつあごんきょう)弟子品では、もっとたくさんの弟子が「〇〇第一」としてほめられています。

『日本大百科全書』によると、この呼び名が固まったのは、大乗仏教(だいじょうぶっきょう)のお経の中でのことです。そして、10人を信仰する習わしは中国で始まったとされます。

日本では、奈良時代の興福寺(こうふくじ)の像が、とくに有名です。南北朝時代の『太平記』にも「釈尊の十大弟子に擬して」という言い回しが出てきます。この呼び名が、広く知られていたことがわかります。

③ 10人の一覧

順 名前(読み) 称号 ひとことで
1 舎利弗(しゃりほつ) 智慧第一 もっとも智慧(ちえ)にすぐれた人
2 目連(もくれん/摩訶目犍連) 神通第一 不思議な力(神通力)の第一人者
3 迦葉(かしょう/摩訶迦葉) 頭陀第一 衣食住をつつしむ修行(頭陀〈ずだ〉)の第一人者
4 須菩提(しゅぼだい) 解空第一 「空(くう)」をもっともよく理解した人
5 富楼那(ふるな) 説法第一 教えを話して伝える名人
6 迦旃延(かせんねん) 論議第一 短い教えをくわしく説き明かす名人
7 阿那律(あなりつ) 天眼第一 目を失って、心の目(天眼)を得た人
8 優波離(うぱり) 持律第一 僧の決まり(律)をもっともよく守り、よく知る人
9 羅睺羅(らごら) 密行第一 目立たずに修行をつづけた、お釈迦さまの実の子
10 阿難(あなん/阿難陀) 多聞第一 教えをいちばん多く聞き、おぼえていた人

表記には、ゆれがあります。たとえば目連は「目犍連(もっけんれん)」、優波離は「優婆離(うばり)」、羅睺羅は「羅怙羅」とも書きます。優波離の称号は「持戒第一」と書かれることもあります。

④ 姿の特徴

十大弟子の像は、どれも頭をそり、僧の衣を着た姿です。決まった持ち物や印相(いんぞう=手の形)、光背・台座の決まりはありません。

そのかわり、年老いた顔・若い顔・目を閉じた顔など、表情や体つきで一人ひとりを表し分けます。興福寺の像については、観光庁の英文解説に説明があります。実在の人物の肖像というより、瞑想・論議・説法などの理想を形にしたもの、という趣旨です。

03. 十大弟子とご縁のある祈り ― 自分の得意を伸ばす

📚 学業・智慧(舎利弗)
🗣️ 話す力・伝える力(富楼那・迦旃延)
🧠 記憶力(阿難)
⚖️ 決まりを守る心(優波離)
👁️ 心の目・見通す力(阿那律)
🌱 こつこつ続ける力(羅睺羅)

十大弟子は、決まったご利益をさずける仏様ではありません。けれども、一人ひとりの「〇〇第一」から、次のような願いと結びつけて考えることができます(筆者の見方です)。

こんな人におすすめ

  • 受験や資格の勉強をしている人(智慧・記憶)
  • 先生・営業など、話して伝える仕事の人(説法・論議)
  • 自分の「得意」を見つけたい人。10人の中に、きっと自分に近い人がいます

結びつきの根拠:10人は、それぞれちがう分野で「第一」とたたえられました。一人で全部ができなくても、それぞれの得意が集まってお釈迦さまの教えを支えた。その姿が、十大弟子の何よりの魅力です。

04. 十大弟子と関連する仏様・人物

釈迦如来(しゃかにょらい)10人の師。像は十大弟子に囲まれて安置されることがある。
維摩居士(ゆいまこじ)『維摩経』の主人公。10人が見舞いを断った在家(ざいけ)の信者(「07」)。
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)10人のかわりに、維摩居士の見舞いに行った智慧の菩薩。
十六羅漢(じゅうろくらかん)お釈迦さまの亡きあと、教えを守る16人。羅睺羅は両方に入っている。
八部衆(はちぶしゅう)興福寺で、十大弟子とともに釈迦如来を囲んでいた守護神たち。

十大弟子は仏様ではなく弟子なので、脇侍(わきじ)や眷属(けんぞく=つきしたがう者)はいません。神仏習合で十大弟子に対応づけられた日本の神様も、確認できる資料では見つかりませんでした。

05. 十大弟子に会える場所 ― 興福寺・大報恩寺など

  • 興福寺(こうふくじ/奈良市)― 国宝の乾漆(かんしつ=漆と布で形を作る技法)十大弟子立像。733〜734年に作られ、もとは西金堂(さいこんどう)にありました。今、寺に残るのは6体で、国宝館で拝観できます。ただし、6体がそれぞれだれなのかの当てはめには、不確かさがあるとされます(「10」の謎へ)。
  • 大報恩寺(だいほうおんじ/千本釈迦堂〈せんぼんしゃかどう〉/京都市上京区)― 重要文化財の木造十大弟子立像。銘文(めいぶん=像に記された文字)から、1218〜1220年に快慶(かいけい)の一門が作ったとわかっています。10体すべてが残っています。目連像と優波離像には「巧匠法眼快慶」の銘があります。今は霊宝殿(れいほうでん)に安置されています。
  • 清凉寺(せいりょうじ/嵯峨〈さが〉釈迦堂/京都市右京区)― 重要文化財の木造十大弟子立像が伝わります。公開の時期は、お出かけ前に公式情報で確かめてください。
  • 京都国立博物館(京都市東山区)― 京都の常楽院(じょうらくいん)に伝わった木造十大弟子立像(重要文化財・鎌倉時代)が収められています。もとは清凉寺式の釈迦如来像のおともの像でした。目連と羅睺羅の2体は、江戸時代の補作(ほさく=後から作り足した像)です。常に展示されているとはかぎりません。
  • 東京国立近代美術館(東京都千代田区)― 棟方志功(むなかたしこう)の版画「二菩薩釈迦十大弟子」(1939年制作・1948年に改刻)を所蔵しています。展示されている時期は限られます。
📅 出典:興福寺の像は観光庁の多言語解説文データベース「乾漆十大弟子立像」。大報恩寺の像の銘文・制作年・10体完存はWikipedia「大報恩寺」。霊宝殿にあること、もとは本堂で本尊を囲んでいたことは美術手帖の展覧会記事。清凉寺の像はWikipedia「清凉寺」。京都国立博物館の像は文化遺産オンライン「木造十大弟子立像」。拝観料や公開の予定は、各施設の公式情報で確かめてください。

06. 十大弟子の見分け方 ― 十六羅漢・五百羅漢との違い

  • ✅ 人数とならび方:釈迦如来を囲む10人の僧なら十大弟子。16人なら十六羅漢、たくさんなら五百羅漢の可能性があります。
  • ✅ 姿のちがい:十大弟子は、静かに立つ僧の姿が多いです。羅漢は、座ったり、動物を連れたりと、くだけた姿もよく見られます。
  • ✅ 2人だけなら迦葉と阿難:釈迦如来の両わきに年老いた僧と若い僧がいたら、迦葉と阿難のことが多いです。
  • ✅ 名札と案内板で確かめる:10人の像には、決まった持ち物がありません。一人ひとりの名前は、案内板などで確かめましょう。
  • ✅ 名前が「当てはめ」のこともある:古い像では、後の時代に名前が当てはめられたものもあります。案内の名前にも、ときどき「とされる」がつきます。

07. 十大弟子の物語コラム ― 10人全員が「お見舞いに行けません」

インドの町ヴァイシャーリーに、維摩居士(ゆいまこじ)というお金持ちの信者がいました。出家はしていませんが、だれよりも深く仏の教えを知る人です。

ある日、維摩居士が病気でねこんでしまいます。お釈迦さまは、弟子に「お見舞いに行っておいで」と言いました。

まず舎利弗が「わたしには、その役はつとまりません」と断りました。次の目連も、迦葉も、同じように断ります。みな以前、維摩居士にたしなめられたことがあったのです。

たとえば優波離は、罪をおかした2人の僧に、律にそって教えていました。そこへ維摩居士が来て、「罪は心の中にも外にもない」と、その教え方を問い直したのです。

羅睺羅は、町の若者たちに出家の功徳(くどく=よい報い)を説いていました。すると維摩居士は、「出家とは、利益や功徳を求めるものではない」とたしなめました。

最後の阿難は、病気のお釈迦さまのために、牛乳をもらいに行ったときのことでした。維摩居士は、「仏の本当の体は、病気にはならない」と言ったのです。

──そう、10人とも、ふだんの修行や行いの場面で、一度やりこめられていたのです。このあと菩薩たちも次々に断り、最後に見舞いに行ったのは文殊菩薩でした。

一人ひとりの場面は、それぞれの記事でどうぞ(舎利弗の記事では、林での座禅の場面を紹介しています)。

📖 『維摩経』弟子品をもとに、やさしく言いかえました。もとにしたのは鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の『維摩詰所説経』です。断った理由は、仏教解説サイト(true-buddhism.com)などの要約によります。お経の言葉そのままではありません。

08. 十大弟子のまとめと関連記事

この記事でわかったこと

  • 十大弟子は、それぞれ「〇〇第一」の得意分野をもつ、お釈迦さまの10人の高弟
  • 呼び名は、大乗仏教のお経の中で固まった。並び順は『維摩経』弟子品の順
  • 興福寺(国宝)・大報恩寺(快慶一門・10体完存)で像に会える

一人ひとりの物語は、それぞれの記事でくわしく紹介しています。気になる弟子から読んでみてください。

09. ゆる仏様トーク ― 十大弟子編

🍵 ゆる仏様トーク①(たとえ話)

十大弟子は、今でいえば「全員がちがうポジションのエース」がそろったチームです。頭脳派、行動派、記憶の達人、ルールの番人……。だれか一人では勝てなくても、10人そろえば最強です。

🍵 ゆる仏様トーク②(ツッコミ)

エースが10人もいるのに、病気のお見舞いには、だれも行けない。しかも全員、一度やりこめられた経験あり。──そう、「第一」の人たちにも、問い直される日があったのです。

🍵 ゆる仏様トーク③(ひとこと)
「得意なことこそ、ときどき見つめ直してみてください。」

※経典の言葉ではなく、「07」の物語をもとにイメージしたセリフです。

10. 十大弟子の謎 ― なぜ「この10人」なのか

【謎】お経によって、弟子の名簿はちがう。それなのに、なぜ十大弟子は「この10人」なのか? 『阿弥陀経』『法華経』の名簿にいない優波離が入っているのはなぜか?
【事実の整理】① 『日本大百科全書』によると、「十大弟子」の呼び名は最初期にはなく、大乗仏教のお経の中で固まりました。今の10人の並びは、『維摩経』弟子品の順です(Wikipedia)。
② ほかのお経の名簿を見てみます。『阿弥陀経』(鳩摩羅什訳)のはじめには、16人の弟子の名前がならびます。十大弟子のうち7人は入っていますが、須菩提・富楼那・優波離の3人はいません。
③ 『法華経』序品(じょほん)のはじめには、21人の弟子がならびます。最初は、最初の弟子の一人とされる阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)です。十大弟子のうち9人はいますが、優波離だけがいません。
④ 『維摩経』の弟子品では、お釈迦さまが弟子に、病気の維摩居士の見舞いを命じます。弟子たちは、以前たしなめられたことを理由に断ります。10人の名前を一人ずつ挙げたあと、五百人の大弟子もみな「見舞いには行けない」と申し上げた、と結ばれます。つまり、その場にはもっと多くの弟子がいて、名前が出るのは10人だけです。
⑤ ただし、『維摩経』弟子品の本文には、「〇〇第一」という称号は出てきません。称号は、『増一阿含経』(ぞういつあごんきょう)弟子品など、別のお経から来ています。
⑥ その『増一阿含経』では、羅睺羅は「戒を破らず、お経を読むことを怠らない」第一とされます。優波離の「持律」と近い分野です。一方、羅睺羅の「密行」の名は、『法華経』授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)の「羅睺羅の密行は、ただ我のみよく知る」という言葉にさかのぼれます。
⑦ 今の一覧では、10人の称号は一つも重なりません。智慧・神通・頭陀・解空・説法・論議・天眼・持律・密行・多聞です(「02」の表)。
【私の考察】私は、十大弟子は「その場にいた偉い弟子の名簿」ではなく、後の時代に「得意分野の見本帳」として整えられたのだと考えます。
理由1:ほかの名簿は「その場にいた人の名簿」 ②③の『阿弥陀経』『法華経』の名簿は、説法の場にいた有名な弟子を書き出したものです。だから人数が多く、同じ分野の人が重なってもかまいません。『法華経』は、最初の弟子の一人阿若憍陳如から始まります。
理由2:『維摩経』は「いろいろな修行の場面」を順に取り上げた ④のとおり、『維摩経』は五百人の中から10人だけを名指しします。そして、座禅・説法・托鉢・律・出家など、さまざまな修行の場面を一つずつ問い直していきます。律の場面には、律にくわしい優波離が登場するのが自然です。②③の名簿にいない優波離が入ったのは、そのためではないでしょうか。
理由3:後の人が「重ならない称号」をそろえた ⑤⑥のとおり、『維摩経』そのものに称号はありません。古いお経では、羅睺羅と優波離のように、近い分野でほめられる弟子もいました。それなのに⑦のとおり、今の一覧では10の称号がきれいに分かれています。私は、『維摩経』の10人の顔ぶれに、後の時代の人が、『増一阿含経』や『法華経』など複数のお経から、重ならない称号を一つずつ選んで当てたのだと考えます。たとえば羅睺羅には、戒律ではなく、『法華経』の「密行」が当てられた。こうして「10の得意分野の代表」がそろった、という見方です。
理由4:『維摩経』はよく読まれたお経だった 『維摩経』は、鳩摩羅什の訳で中国・日本で広く読まれました。日本には、聖徳太子の作と伝わる『維摩経義疏』(ゆいまぎょうぎしょ)があります。興福寺では、『維摩経』を講じる維摩会(ゆいまえ)が、学問僧の大切な法会(ほうえ=仏教の儀式)でした。よく知られたお経の10人の顔ぶれだったからこそ、称号をそろえた一覧も覚えやすく、広まりやすかったのではないでしょうか。
ただし、注意も必要です。お寺の十大弟子像は、どれもお釈迦さまを囲む群像で、『維摩経』の場面を表したものではありません。興福寺の西金堂の像は、『金光明最勝王経』の場面を表したという見方もあります。しかも、残る6体がだれなのかの当てはめは、不確かとされます(観光庁の解説)。像の名簿が『維摩経』から来たとは、言い切れません。
【結論(あくまで推測)】十大弟子は、「いちばん偉い10人」というより、「10の得意分野の代表」なのかもしれません。顔ぶれは、いろいろな修行の場面を問い直す『維摩経』から。称号は、別のお経から重ならないように選ばれた――私はそう考えます。ただし、だれがいつ称号を割り当てたのか、像の名簿がそこから来たのかは、確かめられていません。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?
💡 出典:①はコトバンク(日本大百科全書)とWikipedia「十大弟子」。②③④⑤は、それぞれ『阿弥陀経』『法華経』序品『維摩経』弟子品の本文(いずれも鳩摩羅什訳)。⑥は『増一阿含経』弟子品(パーリ語経典との対照サイト dhamma.gift による)。維摩会はコトバンク(世界大百科事典・日本国語大辞典)。『維摩経義疏』はWikipedia「維摩経」。興福寺西金堂と『金光明最勝王経』の関係は、和楽webの記事による。

11. 十大弟子データベース早見表

項目 内容
分類 羅漢・祖師(釈迦如来の直弟子10人)
読み方 じゅうだいでし(別名:十弟子)
メンバー 舎利弗・目連・迦葉・須菩提・富楼那・迦旃延・阿那律・優波離・羅睺羅・阿難
称号 智慧・神通・頭陀・解空・説法・論議・天眼・持律・密行・多聞(それぞれ「第一」)
梵名・真言・ご縁日 確認できる資料では見つからなかった
主なご利益(象徴として) 学業・伝える力・記憶力など、自分の得意を伸ばす
ゆかりのお経 『維摩経』弟子品(10人が見舞いを断る場面)
代表的な像 興福寺の乾漆十大弟子立像(国宝・奈良時代・6体)、大報恩寺の木造十大弟子立像(重要文化財・快慶一門・10体)
近代の作品 棟方志功「二菩薩釈迦十大弟子」(1939年・版画、1948年改刻)

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