舎利弗(しゃりほつ)は、お釈迦さまの弟子の中で「智慧第一(ちえだいいち)」と呼ばれた人です。実は、『般若心経(はんにゃしんぎょう)』に出てくる「舎利子(しゃりし)」も、この舎利弗のことです。
この記事でわかること
- 舎利弗が「智慧第一」と呼ばれた理由と、名前の意味
- 祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)を建てるときに、術くらべをしたという『賢愚経(けんぐきょう)』の物語
- 智慧第一なのに、『般若心経』や『維摩経(ゆいまぎょう)』では「教えられる側」になっている謎
毎日のお経で何度も名前を呼ばれる、いちばん身近な弟子の素顔にせまります。
01. 舎利弗の基本情報
| 分類 | 羅漢・祖師(らかん・そし/お釈迦さまの十大弟子の一人) |
| 読み方 | しゃりほつ |
| 別名 | 舎利子(しゃりし)、鶖鷺子(しゅうろし) |
| 梵名(ぼんみょう) | シャーリプトラ(Śāriputra)。パーリ語ではサーリプッタ(Sāriputta) |
| 名前の意味 | 「シャーリー(母の名)の息子」。母の名は鳥の名に由来し、漢字では鶖鷺(しゅうろ)と訳されます |
| 若いころの名前 | ウパティッサ(Upatissa) |
| 出身 | 古代インドのマガダ国、王舎城(おうしゃじょう)の北のナーラカ村。バラモン(祭司の家柄)の出 |
| 称号 | 智慧第一(教えをもっとも深く理解した弟子) |
| 真言・種子字(しゅじじ)・ご縁日 | 確認できる資料では見つからなかった(本記事では省略) |
02. 舎利弗とは? ― 『般若心経』の「舎利子」は智慧第一の弟子
① 一言まとめ
舎利弗は、お釈迦さまの十大弟子の一人です。教えを理解する力がだれよりも優れていたので、「智慧第一」と呼ばれました。仏様ではなく、実在したとされるお坊さんです。
② 生涯と経典上の位置づけ
舎利弗は、マガダ国の王舎城の北にあるナーラカ村で、バラモンの家に生まれました。幼なじみの目連(もくれん)とともに出家し、のちにお釈迦さまの弟子になります。
弟子になったいきさつ(目連との約束と、アッサジの詩)は、目連の記事でくわしく紹介しています。
舎利弗は、お釈迦さまに代わって教えを説くこともありました。南方の仏教では「法の将軍」(パーリ語でダンマセーナーパティ)とも呼ばれます。
また舎利弗は、アビダルマ(論=教えを細かく分けて整理する学問)と深く結びついています。北インドの説一切有部(せついっさいうぶ)では、『集異門足論(しゅういもんそくろん)』などの論書が舎利弗の作とされます。南方でも、アビダルマを受け継いで整理した人とされます。
そして、舎利弗の名前は大乗(だいじょう=多くの人を救う道を重んじる仏教)のお経にもたびたび出てきます。日本でよく読まれる『般若心経』『阿弥陀経(あみだきょう)』『法華経(ほけきょう)』のどれにも登場します。
- 『般若心経』:観自在菩薩(かんじざいぼさつ)が「舎利子よ」と語りかけます
- 『阿弥陀経』:お釈迦さまが「舎利弗よ」と何度も呼びかけて、極楽のようすを説きます
- 『法華経』:方便品(ほうべんぼん)で、お釈迦さまが自分から舎利弗に語りかけます。舎利弗が三度願い出て(三請〈さんしょう〉)、大切な教えが説かれます。のちに「華光如来(けこうにょらい)」という仏になると約束されます
最期は、重い病にかかったあと、お釈迦さまの許しを得てふるさとのナーラカ村に帰りました。母に見守られながら亡くなったとされます。南方の注釈書では、仏教を信じていなかった母に教えを説いてから亡くなったと伝わります。お釈迦さまより先に亡くなりました。
③ 姿の特徴
舎利弗の像は、ほかの弟子と同じく、袈裟(けさ)を着た僧の姿です。決まった持物(じもつ)や印相(いんぞう=手の形)はありません。
そのかわり、手がかりになるのは「立ち位置」です。タイなど南方の仏教の国では、お釈迦さまの右に舎利弗、左に目連を並べてまつることが多いとされます。
日本では、興福寺の国宝「乾漆十大弟子立像(かんしつじゅうだいでしりゅうぞう)」の舎利弗像が有名です(「05」で紹介します)。
03. 舎利弗とご縁のある祈り ― 智慧・学び
🗣 教えを伝える力
🤝 友を思う心
🙏 母を思う心
舎利弗はお坊さんなので、仏様のような「ご利益」が定められているわけではありません。ただ、「智慧第一」の名から、学びや理解の象徴として親しまれています。
こんな人におすすめ
- 『般若心経』を写経したり、唱えたりしている人
- 試験や勉強に向き合っている人、人に教える仕事をしている人
- 経験を積んで「もうわかっている」と思いはじめた人。智慧第一でも学び直した舎利弗の姿は、初心を思い出させてくれます
結びつきの根拠:舎利弗は「智慧第一」と呼ばれ、お釈迦さまに代わって教えを説いたと伝わります。また、多くのお経の聞き手として名前を呼ばれます。お経を読むことは、舎利弗と一緒に教えを聞くことでもあるのです。
04. 舎利弗と関連する仏様・人物
05. 舎利弗に会える寺院 ― 興福寺・大報恩寺
- 興福寺(こうふくじ/奈良県奈良市)― 国宝館に、奈良時代の国宝「乾漆十大弟子立像」が残ります。もとは10体で、734年ごろに西金堂(さいこんどう)にまつられていました。今残る6体の一体が舎利弗とされます(どの像がどの弟子かは、確定していない部分もあります)。
- 大報恩寺(だいほうおんじ=千本釈迦堂/京都府京都市上京区)― 鎌倉時代の仏師・快慶(かいけい)の作とされる「十大弟子立像」(重要文化財)があり、霊宝殿(れいほうでん)で拝観できます。舎利弗像もその一体です。
- サーンチーのチェーティヤギリ寺院(インド・マディヤ・プラデーシュ州)― 1851年、サーンチーの第3塔などから、舎利弗と目連の名を刻んだ箱が見つかりました。遺骨はイギリスで保管されたあと、インドに返されました。1952年、その一部がこの寺に納められました。ただし、返されたのは近くのサトダーラの塔の遺骨だとする説もあります(諸説あり)。
- 全国のお寺のおつとめ ― 『般若心経』や『阿弥陀経』が読まれるたびに、舎利弗の名前が唱えられます。
06. 舎利弗の見分け方 ― 目連・ほかの十大弟子との違い
- ✅ お釈迦さまの右(向かって左)に立つ僧:南方の仏教では、右に舎利弗、左に目連が並ぶのが一般的とされます。南方の像では、向かって左が舎利弗です。ただし日本や中国のお寺で、お釈迦さまの両脇に立つ2人の僧は、ふつう迦葉(かしょう)と阿難(あなん)なので注意しましょう。
- ✅ 外道(げどう)と向き合う僧:敦煌(とんこう)の壁画などで、木や山や龍を出す術者と向き合う僧は、「07」の術くらべの舎利弗です。
- ✅ お経の中の「舎利子」「舎利弗」:像だけでなく、お経の文字の中でも出会えます。『般若心経』なら「舎利子」が2回出てきます。
- ✅ 天女と花の場面の僧:『維摩経』の絵で、天女の花をはらおうとしている僧がいたら、舎利弗かもしれません。
※十大弟子の像は、顔や姿だけでは区別しにくいものです。名札やお寺の案内で確かめるのが確実です。興福寺の像のように、どの像がどの弟子か確定していない例もあります。
07. 舎利弗の物語コラム ― 祇園精舎の術くらべ
お釈迦さまの時代、コーサラ国の都・舎衛城(しゃえじょう)に、須達長者(すだつちょうじゃ)というお金持ちがいました。お釈迦さまの教えにふれた須達は、この町にお寺を建てたいと願います。
よい土地は、祇陀太子(ぎだたいし)の園でした。太子は「地面をすき間なく金で敷きつめたら売ろう」と言います。須達は本当に、象に金を運ばせて敷きはじめました。
その本気ぶりに心を打たれた太子は、「残りの土地はいい。木は私が寄進しよう」と申し出ます。こうして、祇園精舎を建てることになりました。
ところが、ほかの教えを信じる六師外道(ろくしげどう)の人々が、これに反対します。「術くらべで勝ったら建ててよい」。そこで、お釈迦さまの弟子の代表として受けて立ったのが、舎利弗でした。
相手は、術の達人の労度差(ろうどしゃ)です。労度差が大きな木を出すと、舎利弗はつむじ風を起こして、根こそぎ吹き飛ばしました。
労度差が池を出すと、舎利弗は6本の牙を持つ白い象を出し、水を飲みほさせます。山を出せば、金剛力士(こんごうりきし)が打ちくだきました。
龍には金翅鳥(こんじちょう)、牛には獅子で応じます。最後に労度差が恐ろしい夜叉(やしゃ)を出すと、舎利弗は自ら毘沙門天(びしゃもんてん)の姿になりました。夜叉はおそれて、降参したといいます。
そのたびに、見物の人々は「舎利弗の勝ちだ」と声をあげました。こうして精舎の工事が始まります。
須達と舎利弗は、縄の両端を持って土地を測りました。ふと、舎利弗がほほえみます。わけをたずねる須達に、舎利弗はこう答えました。
人のために尽くす心は、目に見えないところで、もう実を結んでいる。舎利弗のほほえみは、それを伝えるものだったのかもしれません。
08. 舎利弗のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 舎利弗は、お釈迦さまの十大弟子で「智慧第一」。『般若心経』の「舎利子」と同じ人
- 『賢愚経』では、祇園精舎を建てるために、術くらべで勝ったと語られる
- 奈良の興福寺や京都の大報恩寺で、十大弟子の一人としての像に会える
次に『般若心経』を唱えるときは、「舎利子」のところで、ほんの少し舎利弗の顔を思いうかべてみてください。
09. ゆる仏様トーク ― 舎利弗編
舎利弗は、今でいえば「どの番組にも呼ばれる、聞き上手な人気の聞き手」です。『般若心経』にも『阿弥陀経』にも『法華経』にも出演。主役の話を引き出す名インタビュアーなのです。
なんと、術くらべでは木を吹き飛ばし、山をくだき、最後は毘沙門天に変身。それなのに、『維摩経』では、天女がまいた花びらをはらい落とすこともできませんでした。──そう、智慧第一の道も、まっすぐではなかったのです。
※経典の言葉ではなく、舎利弗の物語をもとにイメージしたセリフです。


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