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京都の西、西山(にしやま)の中腹にある善峯寺(よしみねでら)。西国三十三所の第20番札所で、地をはうようにのびる「遊龍の松(ゆうりゅうのまつ)」で知られる山寺です。
この記事でわかること
- 117歳まで生きたと伝わる開山・源算(げんさん)上人と、桂昌院(けいしょういん)による江戸の再興
- 国の天然記念物・遊龍の松と、2028年まで開かれない秘仏の本尊
- 【謎】天台の山の名前「西山」が、なぜ浄土宗の一派の名前になったのか
山門をくぐると、急な坂と石段の先に、お堂が山の斜面に点々と並びます。ふり返れば、京都の街が足もとに広がっています。
01. 善峯寺の基本情報
| 寺号(読み方) | 善峯寺(よしみねでら)。別名は「西山門跡(にしやまもんぜき)」 |
|---|---|
| 山号 | 西山(にしやま) |
| 宗派 | 天台宗系の単立寺院(善峰観音宗の本山) |
| ご本尊 | 十一面千手観世音菩薩(千手観音)。秘仏の本尊と、脇本尊の2体 |
| 開山 | 源算(げんさん)上人 |
| 創建 | 1029年(長元2年) |
| 寺格・札所 | 西国三十三所第20番札所、京都洛西観音霊場第1番 |
| 所在地 | 京都府京都市西京区大原野小塩町(おおはらのおしおちょう)1372 |
| アクセス | JR向日町駅・阪急東向日駅から阪急バス63系統(約2時間に1本)で「灰方(はいがた)」下車、徒歩約43分。本数が少ないので事前に時刻表を確認してください。車なら山門前駐車場(普通車500円) |
| 拝観時間 | 平日8:30〜17:00、土日祝8:00〜17:00(受付は16:45まで) |
| 入山料 | 大人500円、高校生300円、小・中学生200円 |
| 公式サイト | 西山 善峯寺(yoshiminedera.com) |
・拝観時間・入山料・駐車場・アクセス・歴史:公式サイト(2026年10月確認)
・宗派・寺格・本尊の2体:Wikipedia「善峯寺」
・阪急バス66系統(善峯寺行き)は2025年5月31日で廃止(公式サイト)。Wikipediaによると、63系統も2026年度末で廃止予定とされます(公式サイトでは未確認)。お出かけ前に公式サイトの最新のアクセス案内を確認してください。
02. 善峯寺のご本尊 ― 2体の千手観音
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① 一言まとめ
善峯寺の本尊は、千の手で人々を救う千手観音です。しかも2体。秘仏の本尊と、脇本尊(わきほんぞん)の千手観音が、観音堂にまつられています。
② 由来・位置づけ
公式サイトによると、1029年、源算上人が小さなお堂に千手観音を安置したのが始まりです。脇本尊は、寺伝では源算上人の作とされます(Wikipedia)。
そして1042年、後朱雀天皇(ごすざくてんのう)の命令で、鷲尾寺(わしおでら)から千手観音が移されました。これが今の秘仏の本尊です。寺伝では、仁弘(にんこう)法師の作と伝わります。
秘仏の本尊は、2022年からは毎月や正月の開扉(かいひ=扉を開けて見せること)をやめています。開山1000年にあたる2028年まで開かれない予定とされます(Wikipedia)。
観音堂の本尊は西国三十三所第20番の本尊です。善峯寺は、京都洛西観音霊場の第1番札所でもあります。
③ 姿・持ち物・特徴
千手観音は、千の手でどんな願いにも応えるとされる観音様です。くわしくは千手観音の記事で紹介しています。
善峯寺の2体は、どちらも木造の立ち姿の像です。Wikipediaによると、秘仏の本尊は高さ178.8cm、金箔をおした漆箔(しっぱく)の像で、平安後期から鎌倉初期の作。脇本尊は高さ174.5cmで、11世紀前半の作と考えられています。人の背たけほどの観音様が、2体並んでいることになります。
ちなみに、源算上人が最初にまつったお堂は「阿智坂の法華院」と呼ばれていました。寺の名前の由来には諸説あります。1034年に後一条天皇が「良峯寺」の名を与えた説、後冷泉天皇が雨のふしぎ(「08」で紹介)を受けて「良峯」の額を与えた説、1192年に後鳥羽天皇が「善峯寺」の額を贈った説などです(公式サイト)。
03. 善峯寺のご利益・祈願
公式サイトでは、鐘楼の鐘は「厄除けの鐘」、観音堂のそばのお香水(おこうずい)は長寿のご利益があると伝えられる、と紹介されています。「諸願成就」「心身の癒やし」は、どんな願いにも応える千手観音と、山の景色から考えた筆者のおすすめです。
こんな人におすすめ
- 厄年をむかえる人(将軍の厄年に寄進された「厄除けの鐘」があります)
- 家族の長生きを願う人
- 西国三十三所めぐりをしている人
ご利益の根拠:鐘楼の鐘は、5代将軍徳川綱吉の厄年に、母の桂昌院が寄進したものとされます(公式サイト)。そして本尊の千手観音は、千の手でどんな願いにも応えるとされる観音様です。
参拝に適した時期:紅葉の見ごろは例年11月中旬〜12月上旬とされます(るるぶ)。春は桂昌院しだれ桜、6月はあじさいも名所です。
04. 善峯寺 境内の見どころガイド(山門から遊龍の松、見晴らしの多宝塔へ)
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山門(楼門〈ろうもん〉)
1716年に建てられた2階建ての門です。門の下の金剛力士像は、運慶の作で源頼朝が寄進したと伝えられています。中興の功績から「二世」と仰がれた観性(かんしょう)法橋(ほっきょう)は、頼朝の願いで鶴岡八幡宮の大塔供養の導師をつとめました。そんな鎌倉とのつながりもある寺です。
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観音堂(本堂)
1692年、桂昌院の寄進で建てられた本堂です。2体の千手観音をまつり、御朱印(納経)とお守りもここで受けられます(公式サイト)。
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遊龍の松(国の天然記念物)
樹齢600年以上の五葉松(ごようまつ)。幹が地面をはうように横へのび、まるで龍が遊んでいるように見えます。
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多宝塔(国の重要文化財)
1621年に建てられた、境内でいちばん古い建物です。本尊は愛染明王(あいぜんみょうおう)。遊龍の松のすぐそばに立っています。
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鐘楼堂(しょうろうどう)=厄除けの鐘
1686年、桂昌院の寄進で建てられた鐘楼です。鐘は徳川綱吉の厄年にあたって寄進されたもので、「厄除けの鐘」と呼ばれています。
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桂昌院しだれ桜と桂昌院廟(びょう)
樹齢300年以上のしだれ桜は、江戸時代に桂昌院が植えたと伝わります。もみじと寄りそう「結び木」です。近くには、桂昌院の遺髪を納めた廟所(1705年建立)もあります。寺の伝えでは、桂昌院は京都の堀川の生まれです。
| 御朱印 | 内容 |
|---|---|
| 受付場所 | 観音堂(本堂)で納経(御朱印)とお守りを授与(公式サイト) |
| 料金・種類 | 公式サイトの拝観案内に記載がありません。現地で確認してください |
出典:各お堂の年代・本尊・由来、遊龍の松、しだれ桜は公式サイト「諸堂案内」。多宝塔の重要文化財指定と「山内最古」はWikipedia「善峯寺」。
05. 善峯寺の寺宝・秘宝ハイライト
遊龍の松(国の天然記念物)
1857年(安政4年)に、公家の花山前右大臣家厚公が「遊龍」と名づけました。1994年(平成6年)、松くい虫の被害で約15m余りが切られ、今の全長は37mとされます(公式サイト)。Wikipediaでは、もとは全長50数メートルで、10メートルあまりが切られたとしており、数字には資料によるちがいがあります。
秘仏の本尊・十一面千手観世音菩薩
1042年に鷲尾寺から移されたと伝わる秘仏です。開山1000年にあたる2028年まで開扉しない予定とされます(Wikipedia)。公式サイトにも、2022年1月から本尊のご開帳日を改めたというお知らせがあります。
文殊寺宝館と重要文化財の大元帥明王像
2000年に建てられた文殊寺宝館には、仏像や絵画など約300点が収められています(公式サイト)。寺には、重要文化財の絹本著色大元帥明王像(たいげんすいみょうおうぞう)も伝わります(Wikipedia)。宝館は特定の時期に開館し、入山料で見学できます。
06. 善峯寺の参拝の作法
お寺の基本の作法は、お寺の参拝作法の記事でくわしく紹介しています。善峯寺では、次の順番でお参りしましょう。
- 山門の前で軽く一礼し、受付で入山料を納めます
- 手水舎があれば、手と口を清めます
- 観音堂の前で合掌し、一礼します
- 西国巡礼の人は、ここで納経(御朱印)をいただきます
- 遊龍の松、多宝塔、各お堂をめぐり、帰りに山門で一礼します
子どもへの説明:「ここには、龍みたいに長ーくのびた松があるんだよ。どこまで続いているか、いっしょに歩いてみよう」
07. 善峯寺の物語 ― 117歳まで生きた開山・源算上人
983年、因幡(いなば=今の鳥取県東部)に、1人の男の子が生まれました。のちの源算上人です。幼いころは但馬(たじま=今の兵庫県北部)の明運(みょううん)上人のもとで育ったといいます。
やがて源算は比叡山にのぼり、天台の教えを学びます(師については「12」で紹介します)。
47歳のとき、源算は京都の西の山に小さなお堂を建て、千手観音をまつりました。1029年、善峯寺の始まりです。
そこから寺は大きくなります。1034年には後一条天皇(ごいちじょうてんのう)が国を守る祈りの寺と定め、1042年には後朱雀天皇の命令で、鷲尾寺から千手観音が移されました。源算は法華経を講じる法会や、写経を供養する法会を開き、人々から深く敬われたといいます。
やがて源算は93歳で寺を退き、1099年、117歳でこの世を去ったと伝わります。
今も境内の開山堂には、「上人117歳の尊像」がまつられています(公式サイト)。山の上で、人生の半分以上を祈りにささげた僧。その長い年月が、この山寺の土台になりました。
08. 善峯寺に伝わる伝説・言い伝え
【記録】山の上の親王の墓と「西山門跡」
1181年、青蓮院(しょうれんいん)門跡の覚快法親王(かくかいほっしんのう)が亡くなり、善峯寺に葬られました。これが御所墓(ごしょばか)の始まりとされます。今も宮内庁による正辰祭(亡くなった日に行うお祭り)が、住職の参列のもとでおこなわれています(公式サイト)。皇族出身の僧が多く入ったことから、善峯寺は「西山門跡」とも呼ばれました(Wikipedia)。
【伝説】一夜で大岩をならした猪の群れ
源算上人が最初のお堂を建てようとしたとき、土地は岩だらけで、地ならしに困っていました。すると夢に僧があらわれ、助けを告げます。その後、野猪(いのしし)の大群があらわれ、一夜のうちに牙で大岩をくだき、平らな土地にしたと伝えられています(公式サイト)。
【伝説】雨を呼んだ青龍
ひでりの年、源算上人が雨ごいの祈り(請雨法〈しょううほう〉)をおこないました。すると、その場所に青龍があらわれ、大雨をふらせたと言い伝えられています。その場所は「西滝」と呼ばれる霊蹟です(公式サイト)。この雨のふしぎが、「良峯」の額を賜った由来の1つともされます。
【言い伝え】長寿のお香水
観音堂のそばにある閼伽井(あかい=仏様にそなえる水の井戸)の「お香水」は、長寿のご利益があると伝えられています(公式サイト)。長生きした開山の寺らしい言い伝えです。
09. 大原野・善峯寺周辺のスポット・アクセス詳細
阪急バス63系統「灰方」下車、徒歩約43分(Wikipediaでは2026年度末で廃止予定)
JR桂川駅・阪急洛西口駅から西9号系統「大原野小学校前」下車、徒歩約45分
JR向日町駅・阪急東向日駅・阪急長岡天神駅から約15〜20分、約2,500円(平成30年時点の公式情報)
山門前駐車場(普通車500円・150台)。山門まで徒歩1分
所要時間の目安:境内は3万坪と広く、ひととおりまわると1時間〜1時間半ほど見ておくと安心です。
近くの寺社:善峯寺のすぐ北には、証空ゆかりの三鈷寺(さんこじ)があります。ふもとの大原野には大原野神社。車で約15分の長岡京市には、紅葉の名所の光明寺があります(公式サイトの車のアクセス案内)。
グルメ:境内は飲食禁止です。善峯寺は山の中にあり、まわりにお店は多くありません。食事は、向日町・東向日・長岡天神などの駅のまわりですませてから向かうと安心です。
10. 善峯寺のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 善峯寺は1029年に源算上人が開いた、西国三十三所第20番の山寺。本尊は2体の千手観音
- 応仁の乱で焼けた寺は、桂昌院の寄進で江戸時代に再興された。遊龍の松は国の天然記念物
- 山の名前「西山」は、浄土宗の証空の呼び名と、その流れの名前にもなった
龍のような松と、足もとに広がる京都の街。紅葉の季節に、ぜひ善峯寺にお参りしてみてください。
11. ゆる仏様トーク ― 善峯寺編
🍵 ゆる仏様トーク①(たとえ話)
遊龍の松は、今でいえば「縦に伸びるのをやめて、横にどこまでも伸びることを選んだ、マイペースな大型ルーキー」です。600年かけて、ずっと寝そべったまま。……それでも国の天然記念物です。
🍵 ゆる仏様トーク②(ツッコミ)
開山の源算上人は117歳まで生きたと伝わり、本尊の秘仏は開山1000年の2028年まで開かれない予定。──そう、この寺は、人も仏様も「待つ時間」のスケールがちがうのです。
🍵 ゆる仏様トーク③(ひとこと)
本尊の千手観音が、坂をのぼってきた参拝者にかけるとしたら――
※経典の言葉ではなく、千の手で人を救う千手観音の願いをもとにイメージしたセリフです。
12. 善峯寺の謎 ― 天台の山の名前「西山」は、なぜ浄土宗の一派の名前になったのか
【謎】
善峯寺の山号は「西山」。天台宗の流れをくむ山寺です。ところが「西山」という名前は、浄土宗を開いた法然の弟子・証空(しょうくう)の呼び名「西山上人(せいざんしょうにん)」にもなりました。今の西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)などの名前にも残っています。念仏の教えの名前に、なぜ天台の山の名前がついたのでしょうか。
【事実の整理】
① 開山の源算上人は、比叡山の横川(よかわ)で恵心僧都(えしんそうず)・源信に学びました(公式サイト)。源信は、念仏で極楽に生まれることを説いた『往生要集』の著者として知られます。
② 源算は93歳で、寺の北の「北尾往生院」に退きました。この往生院が、今の三鈷寺のはじまりとされます(公式サイト・Wikipedia「三鈷寺」)。
③ 1192年、慈鎮(じちん)和尚(慈円〈じえん〉)が住んでいたときに、後鳥羽天皇から「善峯寺」の額が贈られました(公式サイト)。
④ 法然が亡くなった1212年のあと、証空は「慈円の譲り」を受けて、善峯寺の北尾往生院に移り住みました(Wikipedia「証空」)。
⑤ 証空は「西山上人」「西山国師」と呼ばれます。その流れは、のちに「西山義」と呼ばれるようになりました。ただし、鎌倉時代には「小坂義」と呼ばれることも多かったとされます。「西山義」が定着したのは、南北朝時代に仁空実導の活躍で、三鈷寺が西山派の拠点になってからとされます(Wikipedia「証空」)。
⑥ 公式サイトは、善峯寺に住んだ名僧の1人として、証空を「浄土宗西山派の祖」と紹介しています。
【私の考察】
私が注目したのは、①と②です。善峯寺は天台の寺ですが、開山の源算は、念仏の書『往生要集』を書いた源信の弟子でした。そして、最後に退いた場所の名前が「往生院」。往生とは、極楽に生まれることです。
つまり善峯寺には、はじめから「念仏」と「往生」の種がまかれていたのではないでしょうか。天台の山の中に、極楽を願う小さな庵がありました。
その庵に、約140年後にやってきたのが証空です(④)。証空は法然の弟子で、念仏の教えを受けついだ人でした。源算が晩年を過ごした「往生院」に、念仏の僧が入る。名前と中身が、ぴたりと合ったことになります。
しかも、③の慈円は天台のトップに立った僧です。その慈円から「譲り」を受けたということは、天台の山が、念仏の僧を受け入れたということでもあります。
こうして、西山の往生院は念仏の拠点になりました。⑤のように「西山義」という呼び名が定着するのは、三鈷寺が拠点として確立されてからとされます。人々は、教えを山の名前で呼んだのです。
【結論(あくまで推測)】
「西山」が浄土宗の一派の名前になったのは、偶然ではないと考えます。源信の弟子が開き、「往生院」で生涯を終えた天台の山には、もともと念仏を受け入れる土台がありました。そこへ法然の弟子が入ったことで、山の名前が、そのまま教えの名前になった。天台と浄土宗は、ここ西山でつながっていたのではないでしょうか。ただし、慈円の「譲り」の中身など、くわしいいきさつは確認できていません。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?

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