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比叡山のふもと、京都・修学院(しゅうがくいん)の赤山禅院(せきざんぜんいん)。拝殿の屋根の上には、金網に入れられた1匹の猿がいます。
この記事でわかること
その猿は、夜な夜な悪さをしたため、金網に入れられたと伝わります。
01. 赤山禅院の基本情報
| 寺号(読み方) | 赤山禅院(せきざんぜんいん)。「赤山さん」とも呼ばれます |
|---|---|
| 山号 | なし |
| 宗派 | 天台宗。総本山比叡山延暦寺の別院(べついん=本山の出先のお寺)。公式サイトは、延暦寺の塔頭(たっちゅう=本山に属する小さな寺)として創建されたと説明しています |
| ご本尊 | 赤山大明神(せきざんだいみょうじん)。唐の赤山にまつられていた泰山府君(たいざんふくん)を迎えたものです |
| 開山(開基) | 第三世天台座主(ざす=天台宗のいちばん上の僧)・円仁の遺命(いめい=亡くなる前の言いつけ)により、第四世座主・安慧(あんね)が創建したと伝わります |
| 創建 | 仁和(にんな)4年(888年)と伝わります。ただし安慧は868年に亡くなったとされ、年代を疑う見方もあります |
| 寺格 | 比叡山延暦寺の別院 |
| 所在地 | 京都府京都市左京区修学院開根坊町(しゅうがくいん かいこんぼうちょう)18 |
| アクセス | 叡山電車「修学院」駅から徒歩20分。市バス5・31・65系統「修学院離宮道」から徒歩15分 |
| 拝観時間 | 9:00〜16:30(山門の開門6:00・閉門17:00) |
| 拝観料 | 無料(自由拝観) |
| 公式サイト | 赤山禅院公式サイト(rakuhoku-sekizanzenin.org)/電話 075-701-5181 |
02. 赤山禅院のご本尊 ― 赤山大明神(泰山府君)
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① 一言まとめ
本尊の赤山大明神は、中国の山の神・泰山府君です。人の寿命や運命をつかさどるとされます。お寺の本尊が「神」という、めずらしい寺です。
② 由来・位置づけ
公式サイトによると、泰山府君は中国の東岳(とうがく)・泰山(たいざん)の神です。日本では陰陽道(おんみょうどう)の祖神(そしん=おおもとの神)とされました。
唐の赤山(今の中国・山東省)にまつられていた神を、円仁の遺命で日本に迎えたのが赤山大明神です。くわしくは「07」の物語で紹介します。
また公式サイトは、本尊を「天にあっては福禄寿神、地にあっては泰山府君」と説明しています。福禄寿としての話は、福禄寿の記事でくわしく紹介しています。
③ 姿・特徴
本尊の像の姿や大きさは、公式サイトに記載がありません。参拝者は、拝殿の前から本殿の神に手を合わせます。
そのかわり、公式サイトの説明をまとめると、この神には3つの「顔」があります。中国の寿命の神・泰山府君。天にあっては福禄寿。そして本当の姿は地蔵菩薩です。
赤山大明神は地蔵菩薩の化身とされます。そのため境内の地蔵堂には、本地仏(ほんじぶつ=神の本当の姿とされる仏)の地蔵菩薩がまつられています。
ちなみに、毎月25日は縁日です。赤山大明神が「三十番神(さんじゅうばんじん)」の25番目にあたるからです。三十番神とは、1か月の30日を毎日交代で守るとされた30の神々です。
03. 赤山禅院のご利益・祈願
赤山禅院は、平安京の東北、つまり表鬼門(おもてきもん)にあります。鬼門とは、災いが入ってくるとされた方角です。そのため、方角の災いをよける「方除け(ほうよけ)」の寺として信仰されています(公式サイト)。
また本尊には、商売繁盛・延寿(えんじゅ=長生き)・健康・除災を祈ることができるとされます(公式サイト)。
こんな人におすすめ
- 引っ越しや新しい仕事など、新しい方角へ一歩ふみ出す人
- 商売をしていて、お金のめぐりをよくしたい人(毎月5日の五日講〈いつかこう〉が有名です)
- ぜんそくや気管支炎に悩む家族がいる人(仲秋の名月の「へちま加持〈かじ=仏の力を祈りで授けること〉」)
ご利益の根拠:泰山府君は、人の寿命や運命をつかさどる神とされます。そして赤山禅院は、都の表鬼門の守りとして置かれた寺です。境内の相生社(あいおいのやしろ)には、縁結びの神がまつられています(公式サイト)。
赤山禅院の紅葉の見頃は11月後半
公式サイトによると、11月に入ると境内のもみじが色づき始め、11月後半に見頃を迎えます。モミジとイチョウが中心です(旅行情報サイト「ウォーカープラス」)。
04. 赤山禅院 境内の見どころガイド(屋根の猿をさがす)
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鳥居・山門と勅額
お寺なのに、入口には鳥居があります。神仏習合(しんぶつしゅうごう=神と仏をあわせてまつること)の姿を、今に残しているのです。かかげられた「赤山大明神」の額は、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)から賜った勅額(ちょくがく)の複製です(公式サイト)。
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もみじの参道
山門から社殿へ続く参道は、秋の紅葉が見事なことで知られます(公式サイト)。
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拝殿の屋根の猿
拝殿の屋根の上に、御幣(ごへい=神前に供える紙の飾りをつけた棒)と、かぐら鈴を持った猿がいます。京都御所を守る鬼門よけの猿です(公式サイト)。金網に囲まれているのは、夜に暴れていたずらをしたからと言われています。拝殿は、明治44年(1911年)に再建された建物です(Wikipedia「赤山禅院」)。
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雲母不動堂(きららふどうどう)
比叡山へ登る雲母坂(きららざか)にあった雲母寺(きららでら)の本堂と本尊を移したお堂です。雲母寺は相応(そうおう)和尚が開いた寺で、明治時代に廃寺になりました(公式サイト)。
| 御朱印 | 内容 |
|---|---|
| 都七福神の御宝印(ごほういん)(福禄寿) | 毎日9:00〜16:30。金の印は毎月7日だけ授与されます(公式サイト) |
| 赤山禅院の御朱印 | 種類・料金は公式に記載なし。現地で確認してください |
05. 赤山禅院の寺宝・秘宝ハイライト
千日回峰行の6年目に通う寺
比叡山の荒行「千日回峰行」は、7年かけて山の峰々をめぐる修行です。その6年目には、赤山禅院への往復を加えた約60kmを100日歩きます。これを「赤山苦行(せきざんくぎょう)」といいます(公式サイト)。赤山禅院の住職は、この千日回峰行を満行した大阿闍梨がつとめています。
朝廷が守った表鬼門の神
『歴代皇記(れきだいこうき)』には、弘長(こうちょう)元年(1261年)から赤山権現祭が官祭(かんさい=朝廷が行う祭り)になったとあるそうです。『太平記』では、後醍醐天皇を守る存在として描かれています(公式サイト)。
後水尾天皇が賜った「赤山大明神」
後水尾天皇は、近くの修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)へ出かけたとき、社殿の修築を命じました。そして「赤山大明神」の勅額を賜ったといいます(公式サイト)。今、鳥居と山門にかかる額は、その複製です。
06. 赤山禅院の参拝の作法
お寺の基本の作法は、お寺の参拝作法の記事でくわしく紹介しています。赤山禅院では、次の順番で静かにお参りしましょう。
- 鳥居と山門の前で、軽く一礼します
- 手水舎があれば、手と口を清めます(手水舎の有無は公式に記載なし)
- 拝殿の前で手を合わせ、本殿の赤山大明神にお参りします
- 地蔵堂・福禄寿殿・雲母不動堂などをめぐります
- 帰りに山門でもう一度一礼して、境内を離れます
子どもへの説明:「ここの神さまは、京都の町に悪いものが入ってこないように、東北の方角を見張っているんだよ。屋根の上のおさるさんもお手伝いしているんだって」
07. 赤山禅院の物語 ― 唐の赤山で立てた、円仁の誓い
承和(じょうわ)5年(838年)。最澄の弟子・円仁は、遣唐使の一行とともに唐へ渡りました。その記録は『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)』に残されています。
けれど、唐はすでに乱れた時代でした。仏教への締めつけも強まっていました。円仁は、思うように学ぶことができません。
帰りの船に乗った円仁は、登州(とうしゅう)の赤山で船を下ります。そこには、海を渡ってきた新羅(しらぎ)の人々が暮らしていました。円仁は彼らに助けられ、赤山法華院(せきざんほっけいん)に身を寄せます。
この地で円仁は、赤山の神々に願いました。「五台山(ごだいさん)への巡礼をとげさせてください。かなったなら、日本に赤山禅院を建てます」と(誓いの言葉は意味をとって書きました)。
円仁は、ついに五台山の巡礼を果たします。都の長安でも学びました。皇帝・武宗(ぶそう)の仏教弾圧のさなか、天台の秘法や経典を日本へ持ち帰ります。
帰国した円仁は、第三世天台座主になりました。でも、誓った禅院を建てることなく、世を去ります。亡くなる前、円仁は安慧ら弟子たちに、赤山禅院を建てるよう命じました。
そして円仁の死から20年あまり。仁和4年(888年)、比叡山の西のふもとに赤山禅院が建てられたと伝わります(公式サイト)。唐の海辺で立てた誓いは、弟子たちの手で、京都の東北の守りとしてかなえられたのです。
なお、誓いの時期には別の説もあります。観光庁の多言語解説「赤山宮」は、838年に唐へ渡るときの誓いとしています。また円仁は、比叡山の横川(よかわ)に赤山明神をまつったともいわれます(同)。
08. 赤山禅院に伝わる伝説・言い伝え
【言い伝え】金網に入れられた猿
拝殿の屋根の猿は、金網に囲まれています。夜になると暴れて、いたずらを重ねたからだと言われています(公式サイト)。京都御所の東北の角「猿ヶ辻(さるがつじ)」の猿にも、そっくりな話が伝わります(「12」の謎で紹介します)。
【言い伝え】船のへさきに立った赤い衣の神
円仁の一行は、日本への帰り道でも、何度も遭難しそうになりました。そのとき、船のへさきに赤い衣を着て、白羽の矢を背負った赤山明神が現れ、船を守ったと伝えられています(公式サイト)。
【言い伝え】「五十払い」はここから
毎月5日・10日などに支払いをすませる商売の習わしを「五十払い」といいます。この習わしは、赤山禅院の5日の縁日詣でから始まったと伝わります(公式サイト)。くわしい話は福禄寿の記事で紹介しています。
【天台の秘法】へちまにぜんそくを封じる
仲秋の名月の日、大阿闍梨がへちまに、ぜんそくや気管支炎を封じこめる「へちま加持」が行われます。月が日ごとに欠けていくように、病も減っていくようにという意味がこめられています(公式サイト)。日は年によって変わります。
09. 修学院・赤山禅院周辺のスポット・アクセス詳細
「修学院」駅から徒歩20分(タクシー5分)
烏丸線「松ヶ崎」駅からタクシー7分
5・31・65系統「修学院離宮道」、北8系統「修学院道」から徒歩15分
駐車場なし。公共交通機関を利用
所要時間の目安:境内をひとまわりして30分ほど。紅葉の時期は、写真を撮りながらゆっくり1時間みておくと安心です。
近くの寺社:すぐ近くには修学院離宮があります(参観は宮内庁への申しこみが必要です)。南へ下れば、一乗寺の詩仙堂・圓光寺など、紅葉の名所が続きます。
グルメ:叡山電車でひと駅となりの一乗寺のあたりは、ラーメン店が多いことで知られます。紅葉めぐりのあとの一杯にどうぞ。
10. 赤山禅院のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 赤山禅院は比叡山延暦寺の別院。本尊は唐から迎えた赤山大明神(泰山府君)
- 円仁が唐の赤山で立てた誓いを、弟子たちがかなえて建てたと伝わる
- 京都の表鬼門を守り、屋根の猿・五十払い・へちま加持など、ふしぎな言い伝えが多い
紅葉が参道を染めるころ、金網の猿に会いに、ぜひ赤山禅院にお参りしてみてください。
11. ゆる仏様トーク ― 赤山禅院編
🍵 ゆる仏様トーク①(たとえ話)
屋根の猿は、今でいえば「京都の東北の入口に立つ、24時間の警備員さん」です。ただし、夜勤中に持ち場を離れて遊びに行ったので、金網つきの詰め所に入れられてしまいました。
🍵 ゆる仏様トーク②(ツッコミ)
唐で学ぼうにも、国は乱れ、仏教は締めつけられる。それでも円仁は、赤山の海辺で誓いを立て、五台山へ向かいました。なのに、帰国して座主になっても、誓った禅院は建てられないまま……。──そう、仏様の道もまっすぐではなかったのです。誓いをかなえたのは、20年あまりあとの弟子たちでした。
🍵 ゆる仏様トーク③(ひとこと)
本尊の赤山大明神が、参拝する人にかけるとしたら――
※経典や公式の言葉ではなく、円仁と弟子たちの物語をもとにイメージしたセリフです。
12. 赤山禅院の謎 ― 京都の表鬼門を守るのは、なぜ「猿」なのか
【謎】
赤山禅院の拝殿の屋根には、御幣を持ち、金網に入れられた猿がいます。京都御所の東北の角にも、よく似た猿がいます。表鬼門を守る役目なら、強そうな龍や獅子でもよさそうです。なぜ京都の鬼門の守りに、猿が選ばれたのでしょうか。
【事実の整理】
① 赤山禅院の公式サイトは、猿(申)は鬼門の反対の方角・西南西を指し、邪気を払うと説明します。そして京都御所の猿ヶ辻や、日吉大社にも鬼門よけの猿がいるとしています。
② 京都御所の東北の角「猿ヶ辻」には、烏帽子(えぼし)をかぶり、御幣を持った木彫りの猿がいます。この猿は日吉山王(ひよしさんのう)の使いとされます。夜に抜け出していたずらをしたため、金網に閉じこめられたと伝わります(観光庁の多言語解説「猿ヶ辻」)。
③ 赤山禅院の猿も、御幣とかぐら鈴を持ち、金網の中にいます。夜に暴れていたずらを重ねたためと言われています(公式サイト)。
④ 日吉大社では、猿は神の使いで「神猿(まさる)」と呼ばれます。「魔が去る」「勝る」に通じる魔よけの象徴とされます(観光情報サイト)。日吉大社は、比叡山の東のふもと(滋賀県大津市)にあり、比叡山延暦寺を守る神社として知られます。
⑤ 赤山禅院は比叡山延暦寺の別院です。千日回峰行の行者は、6年目に比叡山から赤山禅院まで通います(公式サイト・Wikipedia「赤山禅院」)。
⑥ 「五十払い」の言い伝えでも、「申の日」の5日に参ると吉運に恵まれるとされました(公式サイト)。
【私の考察】
公式の説明は、①の「申の方角」です。たしかに十二支の方角で、申は鬼門(東北)のほぼ反対にあたります。でも私は、②と③の「そっくりさ」にも注目しました。
御所の猿も、赤山の猿も、御幣を持っています。御幣は、神に仕える者が持つ道具です。つまりこの2匹は、ただの魔よけの置物ではなく、「神の使い」として描かれているのではないでしょうか。そして②では、御所の猿ははっきり「日吉山王の使い」とされています。
ここで⑤を重ねてみます。日吉山王は比叡山の守り神です。赤山禅院は、その比叡山の別院です。御所から見ると、比叡山は東北、つまり鬼門の方角にそびえています。そのふもとの赤山禅院を、公式サイトは「皇城の表鬼門の鎮守(ちんじゅ=その土地を守る神)」と説明しています。鬼門の方角の山と、その山の神の使い。2つは同じ方向を向いているのです。
そう考えると、猿たちの並び方が見えてきます。比叡山の東のふもとの日吉大社には「神猿」。山の西のふもとの赤山禅院には、屋根の猿。そして都の中心・御所の東北の角には、猿ヶ辻の猿。地図で見ると、御所の東北の角(猿ヶ辻)から東北へ進むと赤山禅院があり、その先の比叡山の向こうに日吉大社があります。比叡山の神の使いが、山から都へと、鬼門の方角にそって「リレー」のように置かれているように見えるのです。
さらに、どちらの猿にも「夜にいたずらをして金網に入れられた」という話が残ります。じっとしていない、生きた神の使いだからこそ、金網に入れられた。この話は、猿が本気で見張りをしている、という人々の思いの裏返しなのかもしれません。
【結論(あくまで推測)】
京都の表鬼門を守るのが猿なのは、申の方角が鬼門の反対にあたるからだけではないと思います。猿が、鬼門の方角にそびえる比叡山の神・日吉山王の使いだったからではないでしょうか。比叡山から都へ、神の使いの猿が鬼門にそってリレーのように並び、都を見張っている。赤山禅院の屋根の猿は、そのまん中の一匹なのだと私は考えます。ただし、3か所の猿がいつ、誰の考えで置かれたのかは、はっきりしていません。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?

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