この記事でわかること
- 飯縄権現とはどんな神仏か。信州・飯縄山(いいづなやま)で生まれたとされる信仰の歴史
- 白狐に乗る天狗の姿の意味と、高尾山薬王院の「五相合体(ごそうがったい)」
- 【謎】真言の「チラチラヤ」は、なぜ日本の僧に負けた中国の天狗の名前とされるのか
戦国武将が兜にいただいた神のふるさとには、「食べられる砂」の伝説が残る山がありました。
01. 飯縄権現の基本情報
| 分類 | 権現(ごんげん=仏様が人々を救うために仮の姿で現れたもの)。この図鑑では天部に準じて扱います |
| 読み方 | いづなごんげん(いいづなごんげん とも) |
| 別名 | 飯綱権現(いづなごんげん)、飯縄明神(いづなみょうじん)。高尾山薬王院では飯縄大権現(いづなだいごんげん) |
| 梵名(ぼんみょう) | なし。信州・飯縄山の山岳信仰から生まれたと考えられています |
| 真言(しんごん) | オン・チラチラヤ・ソワカ |
| 種子字(しゅじじ) | カーン(hāṃ) |
| 本地(ほんじ=仏様の本来の姿) | 不動明王や荼枳尼天(だきにてん)とされることが多い。飯縄山では地蔵菩薩とされ、大日如来とする説もあります |
| ご縁日 | 飯縄権現としての定まったご縁日は、確認できる資料では見つかりませんでした |
02. 飯縄権現とは? ― 信州の山で生まれた、狐に乗る天狗の神
① 一言まとめ
飯縄権現は、長野県北部の飯縄山の神です。からす天狗の姿で白狐に乗り、剣と索(さく=なわ)を持ちます。山で修行する修験道(しゅげんどう)の人々が、各地に広めました。
② 由来・位置づけ
飯縄山は、標高1,917mの山です。長野市・信濃町・飯綱町(いいづなまち)にまたがっています。山の名は「飯砂(いいずな)」に由来するとされます。飯砂とは、食べられる砂のことです(Wikipedia「飯縄山」)。
飯縄山の修験は、となりの戸隠山(とがくしやま)の修験のもとにあったとされます。ただし「飯綱信仰は戸隠信仰より古い」という見方もあります(Wikipedia「飯縄権現」)。
実は、飯縄権現の仏教での正体は、1つに決まっていません。不動明王とも荼枳尼天ともいわれます。中世の祭文(さいもん=神仏に読みあげる文)では、さらに多くの姿に変わるとされました。摩利支天・三宝荒神・地蔵菩薩・不動明王・宇賀神などです(同)。
年がわかる最古の飯縄神像は、永福寺(えいふくじ)の像です。応永13年(1406年)の銘(めい=像に刻まれた文字)をもつとされます(同)。
③ 姿・持物の特徴
- 顔と体:からす天狗の姿です。背中に翼をもつ像が多く見られます。
- 乗り物:白い狐(白狐〈びゃっこ〉)に乗ります。白狐に蛇が巻きつく姿もあります。
- 右手:剣を持ちます。
- 左手:索(羂索〈けんさく〉=人々を救いあげるなわ)を持ちます。
剣と羂索は、不動明王と同じ持ち物です。高尾山薬王院では、飯縄大権現を不動明王の変化身(へんげしん=姿を変えたもの)としています。かつては「飯縄不動尊」と呼ばれたこともあるそうです(公式サイト)。
03. 飯縄権現のご利益 ― 戦の勝利から、開運・招福まで
🌾 農耕の守り
🔥 除災開運
🍀 招福
高尾山薬王院の公式サイトによると、飯縄権現はもともと農耕をつかさどる守り神でした。それが時代とともに戦の神となり、戦国武将の信仰を集めたといいます。
こんな人におすすめ
- 試合や受験など、ここ一番の勝負をひかえている人
- 悪い流れを断ち切って、運を開きたい人
- 山歩きが好きで、山の神仏に旅の無事を祈りたい人
ご利益の根拠:公家の九条稙通(くじょう たねみち)も信仰したとされます。中世の武将では細川政元(ほそかわ まさもと)・上杉謙信・武田信玄が信仰したとされます。謙信の兜の前立(まえだて=兜の正面かざり)は、飯縄権現の像として知られます(Wikipedia「飯縄権現」)。また高尾山薬王院では、天狗は飯縄大権現の眷属(けんぞく=お供)で、除災開運・招福をもたらすとされます(公式サイト)。
04. 飯縄権現の関連する仏様 ― 高尾山の「五相合体」
高尾山薬王院の飯縄大権現は、5つの仏様が1つになった「五相合体」の姿とされます(Wikipedia「飯縄権現」)。
五相が姿のどこに当たるかは、高尾山の公式サイトやWikipediaには書かれていません。カードの対応(翼=迦楼羅天、狐=荼枳尼天、蛇=弁財天)は、私の見立てです。それぞれの仏様のくわしい話は、各記事で紹介しています。
05. 飯縄権現をまつる主な寺社
- 高尾山薬王院(東京都八王子市):本尊が飯縄大権現です。公式サイトによると、もとの本尊は行基の開山以来の薬師如来でした。南北朝時代の永和年間(1375年ごろ)、京都の醍醐山(醍醐寺)から俊源(しゅんげん)が来ました。俊源は飯縄大権現をまつり、寺を中興(ちゅうこう=立て直すこと)しました。
📅 火渡り祭:毎年3月の第2日曜日。山伏のあとに続いて、一般の人も火の上を渡れます(公式サイト)。 - 飯縄神社(長野県・飯縄山):飯縄権現の信仰の発祥とされる山にまつられる神社です。全国に多くの分社をもつとされます(Wikipedia「飯縄山」)。
- 飯縄寺(いいづなでら/千葉県いすみ市):天台宗の寺で、本尊は天狗の姿の飯縄大権現です。円仁(慈覚大師)の開山と伝わります。1797年に再建された本堂は、千葉県の有形文化財に指定されています。牛若丸と大天狗の欄間の彫刻は、武志伊八(たけし いはち=波の伊八)の作とされます(千葉県観光物産協会「まるごとe!ちば」)。
- 鹿野山神野寺(かのうざん じんやじ/千葉県君津市):飯縄権現をまつる寺の1つとされます(Wikipedia「飯縄権現」)。
- 輪王寺(栃木県日光市):日光山でも飯縄権現がまつられてきたとされます(同)。
06. 飯縄権現の見分け方ガイド
✅ 飯縄権現かどうか、ここをチェック!
- 狐に乗っている:いちばんの目印。乗り物は白狐です。
- 顔がからす天狗:くちばしのある鳥の顔で、翼をもつ像が多いです。
- 剣と羂索を持つ:不動明王と同じ持ち物です。
- 狐に蛇が巻きつく:この姿があれば、飯縄権現の可能性が高まります。
似ている神仏とのちがい
07. 飯縄権現の物語 ― 「食べられる砂」の山と、注連縄を張った城主
信州の北に、飯縄山という山があります。昔、この山には「飯砂(いいずな)」という、食べられる砂があったと伝わります。
ある年、ひどい凶作が村々をおそいました。田畑は実らず、人々は飢えに苦しみます。そのとき山から現れたのが、飯綱三郎(いづなさぶろう)という天狗でした。天狗はこの飯砂を人々に配り、命を救ったといいます(Wikipedia「飯縄山」)。
この飯砂は、「天狗の麦飯(てんぐのむぎめし)」と呼ばれるものだとされます。信州の一部に見られる、微生物のかたまりです。かつては飯縄山にもありましたが、今は絶えたともいわれます(同)。
時は流れて、天福元年(1233年)。荻野(おぎの)城主の伊藤豊前守忠縄(いとう ぶぜんのかみ ただつな)が、神のお告げを受けました。忠縄は飯縄山の頂上に注連縄(しめなわ)を張り、飯縄の神をまつったと伝わります。
同じ1233年には、戸隠でも飯縄の神にまつわる話が伝わります(「10」の謎で紹介します)。
人々を飢えから救った天狗の伝説と、城主が神としてまつった伝え。2つを並べると、この山の神は、まず暮らしを守る神だったように私には思えます。高尾山薬王院の公式サイトが「もとは農耕の守り神」と説明するのも、うなずけます。
08. 飯縄権現のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 飯縄権現は、信州・飯縄山の信仰から生まれたとされる神仏。からす天狗の姿で白狐に乗り、剣と羂索を持つ
- 本地は不動明王や荼枳尼天など諸説あり、高尾山薬王院では5つの仏様の「五相合体」とされる
- もとは農耕の守り神で、のちに上杉謙信ら戦国武将の戦の神となった
紅葉の高尾山薬王院を歩くときは、山の上の本堂で、狐に乗った天狗の神にもごあいさつしてみてください。
09. ゆる仏様トーク ― 飯縄権現編
高尾山の飯縄大権現は、今でいえば「5人のヒーローが合体した、最強の守り神」です。剣は不動明王、翼は迦楼羅天、狐は荼枳尼天。さらに、願いをかなえる歓喜天と、福の弁財天。1体で5人分のご加護、と考えるとたのもしいですね。
謎のコーナーで紹介する中国の天狗・智羅永寿(ちらようじゅ)。中国では最強だったのに、日本では3人の僧に1度も勝てず、最後は北山でお湯につかってから、中国へ帰されることになります。──そう、天狗の道もまた、まっすぐではなかったのです。
※経典の言葉ではなく、飯縄権現の姿と「10」の考察をもとにイメージしたセリフです。
10. 飯縄権現の謎 ― 真言「チラチラヤ」は、なぜ負けた天狗の名前なのか
飯縄権現の真言は「オン・チラチラヤ・ソワカ」です。この「チラチラヤ」は、『今昔物語集』に出てくる天狗「智羅永寿(ちらようじゅ)」に由来すると考えられています。ところが智羅永寿は、日本の僧たちに負けた天狗です。勝負に負けた天狗の名が、なぜ戦の神の真言になったのでしょうか。
① 真言の「チラチラヤ」は、『今昔物語集』の天狗・智羅永寿に由来すると考えられています(Wikipedia「飯縄権現」)。
② 『今昔物語集』巻20第2話では、智羅永寿は震旦(しんたん=中国)の強い天狗です。日本の天狗の案内で比叡山に行き、通る高僧をこらしめようとします。
③ ところが、余慶(よけい)の輿(こし=人がかつぐ乗り物)は炎に包まれて見え、近づけません。飯室(いいむろ)の深禅に従う童子には、杖で追われます。最後は慈恵大僧正(じえだいそうじょう=良源)の童子たちに捕まり、腰を折られました。日本の天狗は、北山の鵜の原(うのはら)で湯治(とうじ=温泉で体を治すこと)をさせてから、中国へ帰してやることにした、と物語は伝えます。
④ 1233年の出来事として、飯縄大明神が戸隠の住職の前に現れ、「日本第三の天狗」と名のったと記録されています(1458年の『戸隠山顕光寺流記并序』)。
⑤ 天文15年(1546年)の『飯縄山廻祭文』では、飯縄大明神は「天竺(てんじく=インド)の王子の一人である智羅天狗」とされています(Wikipedia「飯縄権現」)。
⑥ 飯縄権現が授けるという「飯縄法」は、中世から近世に、天狗や狐を使う「外法(げほう)」とされました。一方で、民間には広く広まりました(同)。
⑦ 高尾山薬王院では、天狗は飯縄大権現の眷属です。そして飯縄大権現は、不動明王の変化身とされます(公式サイト)。
私が注目したのは、③と⑤の大きな差です。『今昔物語集』では、智羅永寿は腰を折られて湯治をする、少しなさけない天狗でした。それが、今昔物語集ができてから400年ほどあとの⑤では、「天竺の王子」に格上げされています。
真言の「チラチラヤ」は、仏の力に負けて心を改めた最強の天狗の名でした。だからこそ、外法とも呼ばれた天狗と狐の力を、仏の側の力として呼び出す言葉にふさわしかったのではないでしょうか。ただし、「チラ」が智羅永寿に由来するという説そのものも、はっきり証明されたものではありません。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?


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